肖像画をみる視点

樺山 紘一


  しばらく交通機関の駅などにはられていた、あのポスターが目立たなくなったようだ。オウム真理教事件関連の指名手配書だ。人物情報とならんで似顔絵がそえられている。この場合、容疑者は特定されているので、図像はほぼ正確なのだろう。かりに変装しても、もとの顔の特徴はなかなか隠しがたいものだろうから。それにしても、この図像から推定して、容疑者の所在を通報するひとの直観力には、感心するほかない。わたしなど、ひとの顔を覚え、名前とむすびつける能力が劣悪で、とても犯人逮捕に協力できそうにない。

  容疑者が特定できない場合、つまり犯行の現場目撃者の証言だけから、指名手配書をつくることがある。よく知られるようにモンタージュという手法だ。複数の証言をつなぎあわせ、既存の写真を微調整しながら犯人像を作成する。その道のプロがいるようで、じっさい逮捕された容疑者の写真をみると、じつによく似ているので驚くことがおおい。

  けれども、このモンタージュ手法には危険もともなう。目撃者の証言は、いつもたしかとはいいがたい。ごくわずかな瞬間にみたもので、正確な記憶などたどりえないからだ。しかもさらに由々しいのは、こうして作成されたモンタージュが誤解をともなって、ひとり歩きしてしまい、実像が忘れられてしまう。モンタージュのおかげで、かえって犯人像をせばめる。

  あまり似ていないモンタージュをながめて、ほくそえんでいる犯人の得意たるや。かつて、三億円強奪犯人が「キツネ目の男」ととなえられ、かなりはっきりとしたモンタージュとして流布されたのに、ついに逮捕にいたらなかった。ことによると、キツネ目ではなく、じつはタヌキ目だったのかもしれぬ。キツネばかり追いまわしていたために、タヌキはみごとに網をのがれたようだ。

  そんな事情から、このごろでは、モンタージュによる手配書の使用には、慎重になってきたようだ。やむをえないところだろう。けれども、わたしたちが他人を認識するときに、その顔の様相に注意を集中するというのは事実である。目撃証言にあっても、また犯人の特定にあっても。顔をみてひとを覚え、顔によっておもいだす。これは、なにも事件がらみの場合にかぎらない。

  顔全体のかたち。頭髪の色や分量、ヘアスタイル。両眼の線状や瞳の色。とんがった鼻とまるい鼻。つきだした顎と、しゃくれた顎。福耳と貧耳。顔の様子をあらわす、いろいろな単語や記述がある。そんな情報をあつめて、わたしたちはひとの顔を叙述する。いまでは、犯罪捜査で最後の拠り所は指紋照合であり、これはもっとも確実だとされるが、これが信頼感をもって使用されるのは、やっと十九世紀の後半であった。それまではだれも顔貌情報によっていた。間違えもどっさりあったにちがいない。

  だが、それだけに顔をもってひとを特定する方法や感覚は、ことによると、いまよりもずっと的確で高度だったかもしれない。キツネ目とか、かぎ鼻とか、小麦色の肌とか、比喩の方法で顔を表現し、それがけっこう適切な情報となっていたようだから。それどころか、もっと漠然とした表現によって、かえって正確な像を再現しえたこともある。

  たとえば、「高貴な顔」とか、「貧欲な顔」、「ずるそうな顔」、「おとなしい顔」、「暗い顔」といった表現だ。顔の表情だけで、人格まで判断されてはかなわないというのが、正論であろう。けれども、意外とこの観察と表現が的中することも、わたしたちは経験でしっている。顔は人格の窓であるとの信念である。それどころか、この経験を学問にまでしあげようとする試みも、かつて栄えたことがある。

  十九世紀には、顔相学とか骨相学とよばれ、おもに顔のかたちによって、人格を判断しようというものだ。高貴や貧欲は、顔にきっちりと現れるといい、多数の実例を収集して、「科学的」に検証した。「高貴」という顔や、「貧欲」という顔がモデル化され、人物判定の基準ともされた。ときには、犯罪をおかす顔などという類型まで作成され、警察の捜査資料に利用されたともいう。これがエセ科学であることは、いまでは常識であろうが、当時にあっては人びとの日常経験によくうったえるところがあったのも事実である。

  肖像画という絵画のジャンルが、ながらく人気を博したのは、以上のような事情とふかい関係があるとおもう。実在する人間の記憶を、一定の方法で定着させる手段。直接は面会の機会がない遠方のひとにも、人物の様相を的確にしらせられる。すでに故人となってしまったとしても、永久に面影を保存できる。いや、そればかりか、その人物の人格を画家の意識によって、はっきりと表示することも可能だ。キツネ目やかぎ鼻といった言語表現を、図像によってより確実に表現する。

  ヨーロッパの古典絵画の時代、あるいは日本でも江戸時代後期から明治・大正にかけて無数の肖像画がかかれた。いまも世界の美術館に、所蔵され展観されている。そのほとんどは、胸よりうえ、つまりバスト・ショットとよばれる構図である。顔が中心となる。むろん、肖像とは「肖(似)る」像という意味だから、対象となるモデルの生き写しでなければならない。不肖の像では、画家は失格である。

  けれども、ただ似ているだけなのか。そうではないようだ。そもそも、人間の顔なのだから、いつもおなじ表情をするとはかぎらない。たまたま体調がわるいときに、モデルとなったかもしれぬ。得意満面の瞬間に描いてもらったかも。つまり、肖像画は、かれの人生のごくみじかい一瞬に制作されるのだから、当人のどの側面が表示されるかは、かなりの偶然に左右されもする。その偶然のなかで、画家はモデルの顔の特性を、もっともふさわしく描写しようとつとめるだろう。その作品は、似ているとも似ていないともいえる。モデルが、作品に満足する場合も、不満な場合もあるはずだ。

  それどころか、画家の力量もさまぎまだ。意図は立派でも、成果はそこそこといった例だってある。未熟だが、希望にみちた若い画家が、モデルの内面にまでふみこんだすばらしい作品をのこしてくれることもある。老練の画家が、モデルをあなどって手抜きの作品をしたて、ちゃっかりと高額の謝礼をうけとることだってある。

  すこし整理していえば、一点の肖像画には、そのモデルの人生における一瞬と、画家の制作技術の発展の一瞬とが、かけがえのない交差を達成している。肖像画には、ごく単純な文法があり、どれもほとんどバストショットだ。ほとんどが、単独のモデルだ。ほとんどが、実物と等身大で正面向き。極端に笑ったり、泣いたりはしない。風景画や静物画(あるいは歴史事件をえがく絵画とはことなる。きまりきったともいえる文法のなかで、制作される。だから、ついうっかりするとみな同様で、変化にとぼしい絵画ジャンルだと誤解しかねない。

  だが、そうであるだけに、よりいっそう肖像画には、細部にわたる観察が可能であり、必要だともいえる。じつは、わたしもながらく誤解にとられてきた。ヨーロッパの美術館で多数の肖像画をみていると、どれもおなじ作品にみえて、退屈を禁じえないのだ。ところが、いったん意識をかえて眺めなおしたとき、世界が一変するのにきづいた。肖像画では、モデルの人生と画家の技法とが、これしかない決定的な一瞬において遭遇し、その成果として、人格の窓である顔貌が特別の方法で表示される。

  たとえば、肖像画の宝庫といわれるロンドンの国立ポートレート美術館。一万点という所蔵品をみてまわる。どれもおなじような作品にみえながら、じつは一万の人格が、それぞれのメッセージをもって並列する。退屈どころのはなしではない。一点ごとにその成立過程を推測しながらみてあるこう。成立の経緯をさぐるのは、きわめて困難だが、その探索は異常なほどの興奮をもよおす。

  そんな事情で、わたしは最近、『肖像画は歴史を語る』(新潮社、一九九七年)という本をかいた。わずか三六点について、探索と考察をこころみたばかりである。けれども、そうしてみると、肖像画がもつ無数のバラエティにもいきあたった。そもそも、肖像画は、モデルを前においているとはかぎらないこと。画家は、全力をかたむけて作品にむかったであろうが、じつはそこに好悪の感情はさけられず、倦怠感がにじみでることもあれば、無上の愛情の表出となることもある。それに、おなじモデルを、ほぼおなじ時期にえがいたにしても、信じられぬほど異なった肖像画がうまれることも。

  指名手配やモンタージュから、日常的な人間特定まで、わたしたちはひとの顔を観察しながら、社会生活をおくる。肖像画は、こうした人間的営みのなかからうまれた。写真という技術がうまれて、いまや無用の技となったかにみえるのに、まだ肖像画には特有の存在理由がある。過去の肖像画をとおして、人物の再現ができるからだけではない。画家の手腕を評価できるからだけでもない。

  わたしたちが、みずから顔をおもてにさらし、顔を観察しながら生活しているかぎり、そして顔が人格の表現であるとの信念を保持するかぎり、肖像画は存続しつづけるだろう。しかも、芸術家とモデルとが、ふたりの生身の人間として制作現場で対面するかぎり、そこには人間関係のドラマとしての肖像画が、くりかえし製造されつづける。あまりの多数におよび、とても探査しきれるわけのものではないとはいえ。ともあれ、このような視点をさだめて、多数の肖像画にむきあってみたら、また趣きもひとしおということではあるまいか。
(文学部長)


(本稿は、別冊『サライ』(小学館、一九九八年二月)からの転載である。一部分、改筆したところがある。)



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