東京大学で教鞭をとった人々の肖像が、キャンパスの随所に飾られている。 絵画もあれば彫刻もある。藤島武二、和田英作、中村彝、鏑木清方、大熊氏廣、新海竹太郎など、明治期から昭和期にかけて第一線で活躍した画家・彫刻家の手になるものが数多く含まれるが、その全貌はなかなか明らかにならない。 総合研究博物館では、これまでに「大学コレクション展」の名で、学内に伝わる学術資料に光をあてる展覧会を重ねてきた。標本・発掘品・機械など、いずれも、百二十年を超える本学の歴史を語るものばかりだった。そして、歴代教授たちの肖像画・肖像彫刻もまた、この歴史が生み出したものにほかならない。 美術品である前に、これらは学問の場に生まれた肖像である。それならば、大学教授の肖像は、はるか大学創立以前からの長い歴史を負っている。学問の場においては、祖師や先師を追慕するために肖像が必要とされたからだ。そもそも、肖像とは、故人の姿をこの世にとどめたいとする念に発する。日本における現存最古の肖像彫刻は唐招提寺の鑑真和上像である。肖像は、中国文明の影響下に、まず学問の場に登場したのだった。 本学における現存最古の肖像彫刻は、医学部の前身である東校・医学校などで教鞭をとったドイツ人教師レオポルド・ミュルレルの肖像である。ミュルレルの三回忌に、教え子たちにより建立された。かつての鑑真も、仏教ばかりでなく最新の中国医学を教えたというから、中国とドイツの違いを除けば、肖像彫刻建立の事情は時を超えてよく似ているといわぎるをえない。 ミュルレルの肖像が薬学部東側の繁りすぎた木立の中に姿を隠したように、多くの肖像は学内の各所にひっそりと眠っている。このたび、総合研究博物館はその所在調査を行ない、約百点の肖像画、約八十点の肖像彫刻を確認した。この中から五十五点の肖像画、二十点の肖像彫刻を選び、「博士の肖像」と題して展覧会を開催する。 博物館の展示室にわざわざ肖像を運び込むことは、むろん「お蔵入り」でもなければ、学術資料の紹介にとどまるものでもない。学内に与えられたそれぞれの居場所から肖像を切り離し、肖像とわれわれとの関係を組み替え、肖像とは何かを問い直してみることでもある。それこそが、博物館という装置の果たすべき役割だろうと考える。 本展開催にあたり、多大なご協力を賜った関係者ならびに関係部局に、この場を借りてあらためて感謝申し上げる。 一九九八年十月一日
東京大学総合研究博物館 館長 林 良博 |
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