N市のど真ん中に「地下広場」がつくられることになっていた。なぜ「地下広場」かと言えば、あまりはっきりとしない。一応、車の渋滞緩和のために、今ある歩行者用の信号を撤廃した方が良いという理屈なのだそうだ。信号待ちがなくなれば、車がスムーズに流れるだろうとのことだろう。
歩行者用の信号をなくせば、むろん道路を歩行者が横断できなくなる。そこで、空中か地下を人に迂回して渡ってもらう必要がでてくる。しかし空中を迂回する、つまり歩道橋による迂回だが、これは最近では評判が悪い。歩道橋は景観上見苦しいからだそうだ。それにN市のような雪の降る地方では、つららができて下の交通にとって危険ということもある。さらに、吹きさらしの中を歩くのがそもそも寒い地域でもある。
というわけで、地下歩道をつくる、という計画になる。地下歩道には暗いイメージがある。明るいところから、暗い中に降りていくのだから仕方がない。しかしそれでも心理的抵抗がある。ならば、歩道を広げて「広場」にしたらどうか。もっともこれは国道事業なので商業的な仕掛けはできない。運営管理が発生するものもつくれない。つまりコーヒー・ショップも展覧会もバザーもできないということである。つくれるのは「空間」だけ。しかしそれでもすばらしい「空間」をもった「広場」をつくれば、人は喜んで降りてきてくれるのではないか。
縮めて言えば、これが「地下広場」をつくることになった経緯である。
しかし考えてみれば、この論には無理がある。まず、人は徒歩で登り降りするより、車に乗って登り降りした方が楽なわけだから、そもそも車道を地下にもぐらせるべきではないか、ということがある。車の交通のために人が犠牲になる。これはかなり大きな無理である。そんな無理をするくらいなら、今までどおり、人と車が交差する「痛み分け」の方がまだしも良いではないかという意見もある。正論である。
百歩譲って、現状の交通渋滞がもうのっぴきならないところまで来ていて、しかも投下できるコストもそれほどなく、どうしても歩行者に地下を経由して渡ってもらわなければならない、としても、それでも先のいきさつには無理がある。その無理さ加減は、ぼくが思うに「広場」に対する考え方の無理である。「広場」とは何か、という理解の無理である。
「広場」とは何か。「広場」とは道の一部である。では道とは何か。道とは交通の場、人々が動き回る空間である。この、動き回る、というところが大切である。ぼくは、この動き回るということが人間のもっとも基本的な性質だと思っている。
ぼくたちは無意識に呼吸している。もちろん呼吸の速度は行動によって変化している。たとえば走ると呼吸が早くなり、眠っている間は遅くなる。しかしどんな行動をしていても呼吸があることには変わりない。極端に言えば、なにもしていなくてもぼくたちは呼吸している。これはつまり、行動にかかわらず、まず呼吸がなにものにも先行してある、ということである。走るために呼吸するのではなく、眠るために呼吸するのでもない。呼吸という自立的な働きがまずあって、その、走ったり眠ったりの行動は二次的で、せいぜいそのスピードに影響を与える要因にすぎない。そんなありかたとして「呼吸」は捉えられる。
同じように、交通あるいは動き回ることを、なにものにも先行する自立的な働きとして見ることができるだろう。最終的な目的地があって、そこに向かってまっすぐ歩いているのではなく、ただ動き回っているという状態が最初にある。そういう具合に人間の行動を見ようというわけである。
もちろん近視眼的には小さな目的なり意図が無数に沸き上がって消えていっていることは確かである。目の前に小石が転がっていれば、躓かないように(という意図のもとに)その小石を避けるだろうし、猫が通り過ぎれば、撫でようという意図のもとに近づいたりもするだろう。日常はそういう小さな意図とそれに起因する行動のセットにむしろ溢れていると言った方が良いのかもしれない。
しかし、次にどんな小さな目的があらわれるか、を予測することは簡単なことではない。その一番大きな理由は、次に自分がどう動くかが、いつだって決まっていないからである。この瞬間にも、ぼくはキーボードを叩くのをやめて、食べに出かけるかもしれないし、隣のスタッフと話しはじめるかもしれない。自分の次の瞬間は自分の自由なのである。もちろん、それだけでなくて、単に次の瞬間を決める変数項が無限大に大きいということもある。たちのぼる煙の行く末を予測するのが困難であり、また天気予報が外れるのと同じ理由である。しかし、それでも最大の理由は、変数項に、自分が、あるいはあなたが入っていることである。動き回っていれば、その動きに応じて刻一刻と自分を含めた環境は変化する。その環境の変化は予測不能な一回性の出来事なのである。
むしろ不思議なのは、そういうことのはずなのに、人間の場合、もう少し大きな時間単位の上で「意図/それに伴う行動」というセットがあるように見えることの方である。駅に行こうとして家を出れば、たいていの場合は、正しく駅に辿り着いているのである。この現象をどうとらえたらよいか。たぶん、大きな時間単位での目標に向かってぼくたちの小さな時間が組織されているから、なんてことではなくて、小さな時間における絶え間ない「方向としての」目標の想起の連続のせいだとは思うけれど、ともかくこの議論は、残念ながら今ぼくが考えられる範囲を越える。
ともかく、こうした「意図/それに伴う行動」というセットは、建築ではそのまま「目的空間/それらをつなぐ空間」という空間の分化に投影される。「つなげられるもの」と「つないでいるもの」の分化と言っても良い。
近代建築を振り返ってみれば、「つないでいるもの」には二次的な役割しか基本的に担わされていなかったことがよくわかる。たとえば「文化会館」は、エントランスホール、ホワイエ、廊下、エレベータ、階段などの「つないでいるもの」とそれらによって「つなげられるもの」たとえば音楽ホールや劇場などの、ふたつのグループによって構成される建築形式である。しかし、このふたつのグループの間にははっきりとした前後関係があって、その建物の機能つまり「つなげられるもの」がまず先にあり、その後に「つないでいるもの」がくるという序列になっている。ホワイエをこうするので音楽ホールはなくなりました、というわけには普通いかないのである。
そういう中で、「つないでいるもの」に優位性を与えようとした試みがなかったわけではない。ひとつの試みが、コルビュジエの「建築的散歩道(プロムナード・アルシテクチュラル)」である。「散歩」というのは、そもそも「つなげられるもの」つまり目的地を持たないで歩くことで、その価値は「散歩道」という「つないでいるもの」の上をたどり歩くことの中にある。彼が考えたのは、そういう「散歩」が住宅を機能的な意味を超えた「事物化された詩」の次元まで引き上げるのではないか、ということである。
しかし、こういうわずかな例外を除けば、皆が「つなげられるもの」をアプリオリな存在と考え、それを前提にして、ではそれらをどうつなげばよいかを問い続けてきた。「構成」が主題になった時代があったが、「構成」とはまさに「つなげられるもの」をどうつなぐかということであったはずだし、つなぎ方が問題だったからこそ「動線」という言葉が煩瑣に使われたのだと思う。
「広場」というときも、その空間の切り取り方の底辺には、本来は道と「広場」が一体化して機能しているはずの都市空間を、「つなげられるもの」と「つないでいるもの」のふたつのカテゴリーに分類しようとする傾向がある。もっとはっきりと言えば、都市空間全体から欲しい部分つまり「つなげられるもの」を蒸留し抽出して、その欲しい部分を別の場所で得るために役立てようとする、一種の近代的意思がある。
そうして、ぼくが閉塞感を持つのは、つまりこういうところなのである。「つなげられるもの」の存在を前提にした空間のつくり方に、うんざりしているのである。
それは、日常生活を考えてみても、目的=「つなげられるもの」がまずあって、それを目指して行動=「つないでいるもの」しているというふうには思えないことと同じである。リアリティを感じるのが、その逆に、まず(目的のない)動き回るという行動があって、その中から後でみれば目的だったのかなあと思われるものが出てくる、という順番であるのと同じ感覚である。
「つなげられるもの」という、考え方の上でも空間としても「どん詰まり」をなんとかして振り払えないかといつも思う。
道から分離された「広場」は、すでに広場ではない。「広場」はそこでとどまるべき場所ではなく、道の一部として、その滑らかな延長としてある。だから、すばらしい「空間」をもった「広場」をつくれば、人は喜んで降りてきてくれる、のではなくて、その逆に、道が人のさまざまな動きを誘うように進化していくことによって、その結果として、「広場」らしいふるまいが生まれるのである。
「N市地下横断体」は、道路とその下の地下配管を残して、スリット状のU字型空間が穿たれた都市空間である。道路のこちら側と向こう側がひとつづきのスムーズな面でつなげられている。人のなめらかな動きが望まれている。
もっともこうしてみると、降りはじめの勾配はきつい。そこでスキーの斜滑降のように、傾斜面をスライスしながら降りていく階段やエスカレータが設けられている。
傾斜面のところどころには「スリーオンスリー」用に円形平面の水平面が削り出されている。現在、管理や運営が必要ではなく、かつ商業的でなく、自主的になにかが起きている都市空間だからである。