東大文学部と常呂町

東京大学大学院人文社会系研究科長
同附属北海文化研究常呂実習施設長
東京大学文学部長


佐藤慎一


  昭和三〇年(一九五五)夏、常呂町でアイヌ語の現地調査を行なっていた東京大学文学部の服部四郎教授(言語学)のもとに、常呂町住民の大西信武さんが駆け込んだところから、半世紀にわたる東京大学文学部と常呂町のお付き合いが始まりました。映画館を経営する大西さんは、常呂町に眠る膨大な遺跡群の調査と保存を専門家に訴えたものの芳しい反応が得られず、窮余の一策で、たまたま常呂町を訪ねた言語学者の服部教授に直訴したわけです。服部教授は帰京後、同僚の駒井和愛教授(考古学)にこの貴重な情報を伝えました。戦前に中国大陸や朝鮮半島に持っていた調査のフィールドを終戦とともに失った考古学研究室にとって、常呂遺跡の情報はおそらく飛び付きたくなるほどの魅力ある情報だったことでしょう。さっそく昭和三二年(一九五七)から本格的な調査が始まり、昭和四八年(一九七三)には文学部附属北海文化研究常呂実習施設がサロマ湖畔に建設されて、研究者が常駐して常呂遺跡の調査研究に従事するようになりました。

  半世紀にわたるお付き合いは、東京大学文学部と常呂町を太い絆で結ぶようになりました。例えばカーリングです。

  「サロマ湖のある町」「ホタテ養殖の町」として知られる常呂町は、最近では「カーリングの町」としても有名です。長野オリンピックで活躍した男子カーリング・チームのキャプテンは常呂町で漁業に勤しんでいますし、ソルトレークシティー・オリンピックで健闘した女子カーリング・チーム「シムソンズ」のメンバーは、全て常呂高校の卒業生です。常呂町には日本で最初に作られたカーリング専用の屋内施設があり、町民が老若男女を問わず日常的にカーリングを楽しんでいます。この恵まれた環境が常呂町を日本一のカーリングの町にしたことは確実ですが、この屋内施設建設の陰の功労者が藤本強元文学部長であることは、地元以外にはあまり知られてはいません。長く常呂実習施設に勤めた藤本教授は、東京に戻る時、常呂町民から貰った餞別に自分のポケットマネーを加え、これをカーリング専用の屋内施設を作るための基金にしてくれと常呂町に寄付し、これがきっかけとなって、全国的にはカーリングの何たるかも知られていない時代に、いちはやく常呂町に専用施設が作られたということです。その施設で訓練された「シムソンズ」のメンバーの一人は、現在、常呂実習施設で嘱託として働いて下さっています。

  常呂実習施設の運営は、多くの面で常呂町の皆様の支援によって支えられています。東京大学文学部は、多少なりともその恩返しをしようと、平成一二年(二〇〇〇)夏から「東京大学文学部ところ公開講座」を開始しました。夏と冬の年二回のペースで開講され、それぞれ文学部教官二名が常呂町に赴いて講義を行ない、受講生には学部長名の修了証も発行しています。さしづめ東京大学公開講座のミニ版と言えるでしょうか。最近の公開講座は平成一四年(二〇〇二)二月二三日に行なわれましたが、日本美術史と仏教哲学をテーマとする講義が行なわれ、補助椅子が出るほどの盛況でした。常呂町が「東京大学文学部の公開講座のある町」としても著名になるよう、及ばずながら微力を尽くしたいと思っています。




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