− 坂村 健 −
デジタルアーカイブ博物館に求められる機能には二つある。一つは資料の保存であり、もう一つはその資料を利用できるように提示することである。古来よりこの二つの要求は変わっていないが、同時にあい矛盾するものでもあった。展示にしろ研究目的の分析にしろ——資料は利用すれば程度の差こそあれ保存状態を悪化させる。
そこで、近年のデジタルテクノロジーの進歩を背景に、資料のもつ情報を最大限デジタル化し、電子的に保存し、利用してもらうという、デジタルアーカイブのコンセプトが生まれてきた。
資料の情報を保存するために記録を取るということは従来から行なわれてきた。例えば写真や映画がその典型である。また植物や動物等の姿を細密画として写し取るというのもその一つだ。このようにアナログでも情報は記録できるが、その記録媒体が紙やフィルムであるためやはり年月とともに劣化してしまう。たとえいかに保存に最適の環境に置かれていても——徐々にではあれ——形あるものはいずれ壊れる。またアナログ記録の複製をオリジナルと同じ水準で行うのは不可能であり、程度の差こそあれ複写による劣化は避けられない。
これに対して、デジタルデータは情報損失のない完全コピーが可能である。もちろん情報を記録する媒体自体は光ディスクにしろ磁気ディスクにしろ、いずれは失われる。しかし、符号理論をつかい冗長のある情報をつかうことにより、誤りを発見したりさらには訂正することも可能となり、トータルの誤り率は殆どゼロに近いものとなる。このようにデジタル情報自体はコピーにより媒体を定期的に乗り継ぐことで、理論的には永遠の保存が可能となる。ところで保存という目的において優れているデジタルアーカイブであるが、その利用についてもデジタルテクノロジーを活かした多くの利点が発揮できる。コンピュータを使うことにより、情報を素早く検索したり、伝送したり、必要なら加工することができる。インターネットをみてもわかるように、一旦デジタル化された情報は全世界に自由に伝送することができ、利用者側では許可があればオリジナルのままの情報を利用することが可能となる。もちろん、この情報は写真をデジタル化したものだけにとどまらない。文章はもちろん、3次元情報、化学式や各種データ、音や動画なども扱うことができる。そして、これらの情報を整理したり、互いに関連づけて引きだしたりすることも可能となる。
また、これは博物館の例ではないが、先史時代人の壁画が発見されたフランスの "Chauvet-Pont -d'Arc" 遺跡では、内部の精密な映像記録を行ったあと元の状態に洞窟を密封してしまった。そして見たい人にはインターネット上で公開している画像データを見て欲しいとしている。研究者に対してはさらに高解像度の画像データの提供も行われるということである。このような処置は、先に発見されたラスコー遺跡を開いたままにしておいたことにより、短期間でひどく痛んでしまったという、不幸な経験をふまえてのものであるという。
このように、情報を得るだけですむ場合には、実物資料を持ち出さなくてもすむようにするということも、資料の劣化を防ぐためには重要であり、それにもデジタル化は寄与しているのだ。つまり、資料をデジタル化するということは、実物資料の有効利用を促進することでもあり、同時に実物利用の必要を減少することで実物資料を守ることにもつながるのである。
このような認識の上に立ち、博物館でデジタル技術をいかに活用していくか、その後の利用を考え、どのようにデジタル化をし、分類整理していくのかを検討していくことが重要となる。そして、そのために博物館をどう捉えるかというモデル化が問題になる。
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情報装置としての博物館ここで博物館の機能を情報「装置」として考えるというモデル化を行う。このモデル化により、博物館の現行の機能を整理し、モジュールとして機能の相互関係を考え、また新たな機能の導入を検討する。
そして、このようにモデル化した場合、本質的に重要なのはその資料が持つ情報である。実物の資料はその情報を保持する一次媒体と見ることができる。
骨董的価値、希少品的価値はその物自体に存在する。そのため、その所有はもちろん重要である。これに対し、学術資料としての価値は、展示して多くの人に見てもらうことにしろ、研究者が分析して新しい知見を得るのにしても、そこから得られる情報の利用が重要であり実は所有は問題ではない。
この「所有と利用の違い」という概念は、インターネットの登場以前はあまり強く意識されていなかったものである。たとえ利用したいものが情報のみだったとしても、その情報を保持する媒体を物として所有していることが、その情報を利用できることの条件であったため、その二つを強いて区別して考える必要がなかったからだ。
例えば、列車の時刻表について考えてみよう。利用したいのが必要な列車の情報だけであっても、それをいつでもどれでも自由に検索するためには、時刻表という大部の書物を所有する必要があった。しかし、インターネットの登場により、情報は所有するものでなく、利用できればいいということがはっきりしてきた。時刻表ホームページで検索をすれば、必要な部分のデータのみが得られるし、さらにある駅にある時刻に到着するには、何時に出発し、どういう経路で行けばいいかといったことまでアレンジして教えてくれる。このような情報利用が、携帯電話からでもできるのである。そして、そのときその時刻表の情報が存在するのは通信回線の先の大きなサーバーコンピュータの中なのである。
たとえパソコンのハードディスクの容量がいかに大きくなっても、このような全世界にちらばるインターネットのサーバーのすべての情報を収容することはできない。これに対して、その情報を利用するだけなら携帯電話のような軽いハードウェアからでも可能なのである。
つまり重要なのは情報を利用すること。資料は一次媒体、博物館はその一次媒体を保存し、そこから情報を読み出して、多くの人が利用できるようにする装置。ユーザは——直接訪れるにしろ、ネットワーク経由でアクセスするにしても——その情報を利用する人。そのような考え方の延長線上に、デジタルアーカイブというコンセプトがある。
情報システムとしてのデジタルアーカイブというのは、その一次媒体(実物資料)からデジタル化機能を通して入力されたデータを受け取り、それを蓄積・保存し利用させるデータベースである。ここで、デジタル化機能とはイメージスキャナや三次元デジタイザなど、実物から情報を読み出す各種の入力デバイスよりなる。
この考え方を博物館機能の全体に広げる場合、すべてのモジュールについて、その入力と出力を考える必要がある。そして、その入力と出力の間で行われるのが各モジュールの処理。このような考え方が情報科学では基本であり、すべてのモジュールはその入出力関係により相互に結ばれ一つのシステムを形成する。つまり、個々のモジュールについて
- どこからの入力か
- 入力情報は何か(内容およびフォーマット)
- そのモジュールでどのような処理を行うか
- 出力情報は何か(内容およびフォーマット)
- どこへ出力するか
を押さえることで、そのシステムを決定することができる。
例えば、この考え方をデジタルアーカイブに適用してみよう。デジタルアーカイブと実物資料をそれぞれモジュールと見て、デジタルアーカイブから実物資料へはデジタル化デバイスを経て情報が送られる。では、その逆の情報の流れはあるだろうか。いわば「逆デジタル化」を行って実物資料に戻る出力が考えられるかということになる。当然、データベースに合わせ実物資料を改変することなどありえるはずもない。しかし、見方を変えれば、データベースの中にアーカイビングされたデータをもとにレブリカを製造し、それを展示するなどは、この流れとして考えることもできる。この場合、「逆デジタル化」工程は、プリンタや光造形装置(光硬化樹脂をレーザーのフライングスポットにより硬化させ、データ通りの三次元立体を自動製造する装置)などの出力デバイスからなる。
実際には、例えば光造形装置の出力は壺の口などでは再現性に限界があり、人手により修正が必要になる。また、立体物の表面からはマッピングカメラにより画像情報を得ることができるが、この逆方向であるレプリカ表面の自動彩色については、いまのところ自動化のめどがたっておらず、これも人手を必要としている。情報システムではこういう場合、人間も全体システムの一部として考える。ただし、人間はシステムで完全管理可能なものでなく、システムの感知しない理由で動作が変わりうるものとして、一般の「モジュール」と区別するため「エンティティ:実体」と呼ぶ場合がある。実は、実物資料もシステムからみるとこのエンティティにあたる。この考え方を推し進め、以下では、博物館の管理者やさらには来館者もエンティティとして、システムに組み込んで考えている。
システムにエンティティとして人手を導入した場合、再度デジタルアーカイブから実物資料への流れを考えると、例えば歴史文献などの手書き筆文字の読み取りもコンピュータ化できない部分で、ここも人手入力が必要とされる。また、土器について、その解説文を書き、そのテキストデータをデジタルアーカイブ内に収納された土器の情報に加えるといった、より人間的な作業もエンティティによる処理である。
このような考えで次世代の博物館機能をモデル化した構成図が図1である。以下では、この図1に基づいて、デジタルミュージアム——21世紀型分散博物館構想について述べる。
リアルとバーチャル — そしてデジタルミュージアム
21世紀型分散博物館構想について述べる前に、ここで確認しておかなければならないのは、情報さえ読み出せば元の資料の価値はないのか、ということである。これについては、資料それ自体以上に完全な情報をもつ媒体はなく、そこからすべての情報を読み出すことは(現時点の科学では)不可能であるということを認識する必要がある。
いくら完璧なレプリカを作ってもオリジナル以上に情報をもつものにはなれないし、多くの場合それはオリジナルのほんの一面だけの模倣にすぎない。たとえば土器でいえば、いくら外観が完全でもプラスチック製では、使われている土の組成を分析して製造された場所を特定するような場合には役に立たない。同様に、どれほど多種のセンシング技術により資料の持つ情報を多角的にデジタル化しても、それが持つすべての情報を完全に網羅することは不可能である●。はるかな未来を考えるならば、強X線による一種のホログラム撮影により、資料の内部微細構造を含めたほぼすべての情報を一瞬記録できる可能性もゼロではないといわれる。ただし、この場合被写体は完全破壊されるだろう。
また、人間がリアルな世界に生きている以上、デジタル化された情報では伝えられない種類の情報もある。全国のさまざまな博物館にある一つ一つの実物資料を自分の手で持ち測定して回れば、データベース検索では得られないような、人間独自の感覚的パターン認識で得られるような新しい知見が得られるこもあるだろう。
一般には、デジタル化時にどうしても情報は失われてしまう。では、デジタル化された情報よりなるバーチャルミュージアムは、あくまで本物を置いたリアルミュージアムのマガイモノであるかというとそうでもない。
例えば、解説文や関連資料をハイパーリンクで展示物の情報に加えるなど、デジタルアーカイブされた資料には元の実物資料より増える情報もある。
多数の土器についてその重さを比較したいなら、現実的な精度の重量の測定データがあれば十分である。ネットワーク経由でデータベースを検索すれば、研究者が全国のさまざまな博物館にある一つ一つの実物資料を測定して回り何カ月もかけなければならないような調査がコンピュータ上で短時間で容易に行うことができる。同様に、目的が土器表面の文様のパターンを調べることなら、表面の完全なマッピングデータがあれば良い。このように、目的の情報がはっきりしていれば、当然のことながらすでに電子化されている情報の方が利用しやすい。
さらに、製造時は漆で塗られていたとか摩滅していなかった、などいう過去の再現は、貴重な実物資料で行うわけにいかない。しかし、いまある実物が経年変化により作られた当時と同じではない以上、何をして「リアル」というかは難しい問題である。例えば、縄文土器をすべて土色のくすんだものばかりであったと思っているのと、朱塗りの派手な色彩の物も多くあったと知っているのとでは、当時の文化に対する捉え方が大きく変わってしまう。実物資料の外観という今の「リアル」から、タイムマシン的に時間をさかのぼって過去の「リアル」に変化していくなどという見せ方は、バーチャルミュージアムでしかできないことの一つであろう。
また、その土器が発掘された場所の情報がその資料に結びつけられていれば、そこから、同時に発見された食用の木の実の資料の情報を呼び出したりもできる。さらには、その当時、その場所の気候の情報を呼び出して、木の実とあわせて植生を考え当時の食生活を理解するといったこともバーチャルミュージアムなら一つの環境内で一貫して行える。
このような時間軸、空間軸を通しての「関係」という情報の蓄積と表現こそバーチャルミュージアムがリアルミュージアムに勝る部分なのだ。
デジタル化は決して実物展示を不必要にする技術ではないし、ましてや実物展示と二者択一的に対立するものでもない。
この構成図でもわかるように、純粋の情報空間の中の博物館であるバーチャルミュージアムと、実物資料を置いた物理空間の中の博物館であるリアルミュージアムの両方は、互いに対照的であり相互に補完している。その二つのミュージアムをデジタルテクノロジーにより有機的に統合した——両方の空間にまたがる存在としての博物館が21世紀の理想の博物館であると、我々は定義づけている。
リアルミュージアムバーチャルミュージアムとリアルミュージアムが互いに補完するようにするために、コンピュータが実物資料や来館者等のエンティティを認識できるようにする必要がある。このようなリアルからバーチャルへの情報の橋渡しをするのが、電子タグや各種センサーである。一方、バーチャルからリアルへの情報の橋渡しをするのが、展示場各所に置かれたディスプレイやスピーカー、キオスク端末、来館者に貸し出す博物館専用の小型端末——PDMA (Personalized Digital Museum Assistant) である。
非接触ICカードの技術を利用した小さな電子タグを資料自体につけておくと、それをセンサーで読み取ることにより、資料を特定することができる。このような電子タグを利用して、ある資料が収蔵庫の中のどこにあるかを自動認識するシステムも可能となる。移動や展示のたびに電子タグをチェックしておけば、ある資料がどこにあるかとか、最後に展示されたのはいつかといった、その資料の過去を徹底的に記録し追跡することが可能になる。また、そのような情報があれば、虫干し等のメンテナンスのスケジューリングを自動化することもできる。
電子タグは、展示にも応用可能である。電子タグのセンサーを持つPDMAを来館者が持っていれば、近づいた展示物に合わせた説明が表示されるといったことが簡単に実現可能になる。さらに、大きな展示物や、多数の部分からなる展示物の場合は、PDMAを近づけた場所により、さらに細かい説明を得ることも可能である。
WWW (World Wide Web) はインターネット利用を爆発的に広げる重要なアイデアであった。ネットワークで接続された世界中のコンピュータにある情報をどこからでも見ることができるということと共に、関連情報や詳しい情報をクリック一つで呼び出せる手軽さが広まった大きな理由である。これは専門的にはハイパーテキストと呼ばれる構造であり、ちなみに東京大学坂村研究室で仕様開発を行ったBTRONではこれをオペレーティングシステムの中の情報管理機構として組み込んでいる。ハイパーテキストは最初文章の階層構造化として登場したが、参照した先が画像であったり、音であることも可能であり、これらマルチメディアに汎用化した用語としてハイパーメディアという言葉が使われる。
デジタルミュージアムでは、このハイパーメディアのリンクに実物資料を加え、実物資料から情報にリンクしたり、情報から実物資料にリンクしたりできるという、より進んだハイパーエンバイロンメントとでもいうべき構成を取る。従来の展示では「物」の資料に「物」のパネルで解説がつけられ、利用者はそれを読み取ることしかできず、さらに詳しい情報や不明点の解説は運良く専門家がそばにいて聞くことができなければ、わからないままであった。ハイパーエンバイロンメント化されたデジタルミュージアムでは、実物資料から利用者の望む情報をどんどん引き出していくことができるし、逆にその情報から関連する別の実物資料へ誘導されることもある。このような機能は一般利用者だけでなく研究者にも有意義であることは論を待たない。
ただしこのシステムについては、多くの土器が棚に飾られていたり、壁面大の化石の天井近くなどでは、PDMAをうまく近づけられないシチュエーションがあることが判明している。これに対応するため今回の展示では、逆に来館者側から説明を求めたい実物資料をレーザーポインティングすると、その資料の近くのセンサーがそれを関知し端末に説明が送られるというシステムを開発した。
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門、シリア・ニムルド遺跡(西アジア考古美術写真データベースより)
パーソナルミュージアム来館者が展示物に近づいていることは人感センサー等で感知できる。さらに来館者が誰かということまで特定できれば、その来館者に合わせて表示のパーソナル化を行うことができる。このようなパーソナライズもバーチャルによるリアルの補完の例である。
実世界では、大量生産やスケールメリットという言葉に代表されるように、個々人に個別対応することは、効率が悪い場合が多い。例えば博物館のパネルをできるだけ、来館者に合わせた表現にしようとすれば、一般大人用、専門家用、学童用といった内容のレベルの違いから、弱視者用、色弱者用などの肉体条件に関するもの、さらには日本人用と外国人用といった使用言語の違いなど多種多様な組み合わせに対応しなければならない。使用言語として英語以外も必要となれば、さらに多くなるだろう。これらの条件の組み合わせを考えると、一つの資料に何十ものパネルを付けなければならない。そして博物館はパネルの中に実物資料があるような状態になってしまう。
これに対して、コンピュータと情報の世界では、個々人に個別対応することは大きなオーバーヘッドとはならない。来館者が最初にPDMAに各自の特性情報を打ち込めば、あとはそれに合わせたテキストを表示するようにできる。視力に応じて必要なら拡大表示などすればいいし、さらには音声読み上げもできる。
また、展示の方から来館者を積極的に見分けて個別に反応するというパーソナライズも現在研究されている。例えば離れた展示がネットワークで結ばれていれば、来館者を同定し、どの順番で展示を見ているかふまえて解説を変えるといったこともできる。この機能を利用し、展示Aで入力した情報を展示Bで利用するなど、展示間の有機的な連係を取ることができる。つまりミュージアムの展示が見学者を認識して、原理的には個々人に応じて異なった対応をするパーソナルミュージアムが実現できるのである。
このようなシステムを応用すれば、従来のガラスの箱の中を覗く形式を主体とした展示から、パノラマ風に自由に展示物をならべ(レプリカを利用する必要もあるかもしれないが)、そこを自由に歩き回り、気の向くままにPDMAで説明をみていくというようなユニークな展示も可能となろう。
このような技術は私が「どこでもコンピュータ」とか「超機能分散システム(HFDS : Highly Functionally Distributed System)」と呼んで研究を進めていたものであるが、最近では「ユビキタス(Ubiquitous: 遍在)コンピューティング」「電脳強化環境」とか呼ばれるコンピュータ科学の先端分野として確立しつつある。
また、構成図にあるパーソナライズ・データベースにより、来館者が帰った後も来館者を博物館が記憶しているので、同じ来館者が再度訪れたときにも、このパーソナライズ・データベースの記憶を使って、PDMAの特性を自動セットしたり、前回の来館時の行動をベースによりよい見方をサゼッションするといったこともできるようになる。
来館者とのインタラクションは、パーソナライズ・データベースと別に、FAQ (Frequently Asked Question: よく尋ねられる質問) データベースに質問と回答のパターンとして蓄積される。これにより、よく来館者がいだく疑問を把握し展示に反映したりできる。また、FAQデータベースを定期的にメンテナンスすることで、来館者がよくいだく疑問についてはエキスパートシステム的に適度な質問を行うことで疑問を特定し、FAQデータベースの回答を自動提示するような、来館者サポートシステムが構築できる。
将来的には、バーチャルとリアルの情報の橋渡しに画像認識といった人工知能的な認識技術も利用できるようになるであろう。資料の外観は、デジタルアーカイブされている——つまり博物館の記憶の中にあるので、それと対照して外観から資料を特定できるようになることは十分考えられる。同様に、来館者に対しても、顔の認識により、再来場のチェックを行いその人を特定することも考えられる。また他にも、解説文章は一般に論理的な文章なので、自動翻訳が利用できるといったように、人工知能技術の利用がこれからの博物館での研究テーマになっていくこともあるだろう。
バーチャルミュージアム — そして分散ミュージアムへ
モノリス型博物館キオスク端末
CD ROMオートチェンジャインターネット経由でアクセスするバーチャルミュージアムについても、構成図にもあるように、パーソナライズ・データベースやFAQデータベースによるパーソナライズが行われる。来館者が与えられたパーソナライズIDを使って、家に帰ってからインターネットで博物館を呼び出しその日見た物のリストを得たり、PDMA上で持ち帰り指定をしておいた興味のあるデータを引き出したり、さらに解説だけでわからなかったことの質問の回答を電子メールで後から得ることも可能である。
また、一般のWWW技術によるWebページベースの情報提供以外に、マルチメディア MUD (Multi-User Dungeon) 技術により三次元仮想環境で、実際の博物館を訪れるようにして、空間中に配置された各種の資料を見て歩くことも可能になるだろう。
構成図にあるように、FAQデータベースで処理できない質問には博物館協力メンバーの専門家が回答を作るなどといった、人手による対応もシステムに組み込むことが考えられ、より精度の高いきめこまかいシステムとなっていく。
そして、パーソナライズ・データベースがネットワーク接続した博物館の間で共用できれば、来館者が他の博物館の資料を見ていることを前提に説明を変えたりできる。FAQデータベースの情報を共用できれば、より多様な疑問に対応して定形的説明が用意できる。
さらに、MUDの仮想空間を仮想接続し、ある博物館の中を歩いていてドアをくぐると、別の博物館の仮想空間に入るようにできれば、世界の博物館のデジタルアーカイブすべてからなる究極の博物館が、ネットワークの中に構築できる。これが分散ミュージアム構想である。
流通分野の POS (Point of Sales) の考え方は、情報が発生した現場で入力した方がいいというものであるが、将来的には同様のコンセプトが学術資料の分野にも導入されるであろう。例えば、土器破片は現在でも発掘現場で見つかるごとに、帳面に登録しているが、ここに三次元デジタイザ等の入力機器を持ち込み、破片単位でデジタル化すれば、データベース化がその場で完了するととともに、復元作業も仮想空間中でコンピュータの支援を受けて行えるなどのメリットがでてくるであろう。また、仮想的に組み立てられた復元土器は、ネットワークを通して、博物館のデジタルアーカイブに破片単位の発掘情報まで持った状態で、そのまま収納することもできるのである。
このように他の博物館や各種の学術データベース、さらには実物資料が発掘された現場などもリンクされ、分散ミュージアムには非常に多くの情報が集積されると考えられる。そのため、いかに必要な情報を最低限の労力で検索できるかということが問題になる。検索では、望みの物が出てこないのも問題だが、情報が多い場合、現在のインターネットの一般ページ向けの検索エンジンの持つ問題点のように、絞り込めないという問題もありうる。必要な情報も何万もの選択肢の中に埋もれてしまえば見つけることはできない。量が多くても、必要な時に、それがどこにあって、どうすれば見られるかがわからなければ無いのと同じである。
資料をデジタルアーカイブするということは、その資料の情報が定式化されてコンピュータに納められるということである。それは、単なる名前や資料番号程度でない豊富な情報をもとに検索できなければならない。さらに、ネットワーク接続された複数の博物館のデータベースを統合して、まるで一つのデータベースのように検索を行うには、データ構造をきちんと決め、それぞれの項目の意味も定義され、コンピュータが理解し処理できるものでなければならない。
これは、一般には分散データベースの問題であるが、分散ミュージアムに関して言えば、より難しい問題をはらんでいる。一般に分散データベースを構築した場合の、問題とはある項目の更新が別のデータベースでは更新後に見えるのに他では更新前に見えたり、更新中にその内容を他のデータベースが使用しようとしたときどうするのかといった利用時におこる問題である。これに対し、博物館における分散データベースの問題は、分散した組織でジャンルも多様なら分類者も色々という状態で、多種多様な実物資料の属性をどのように一般化するかという、データベース構築にかかわる問題なのである。
ここで重要なことは、資料のデジタル化をしたときにどのように表現をするのかについて、きちんと取り決めをしておくことである。たとえば現状のインターネットで文字を送る場合英語であれば問題はないが、その他の国のことばでは支障があるし、歴史的な文字については絵として送るしか手立てがない。この問題は、文字コードの問題として最近注目をされており我々も多言語をベースとした新しい文字コードを提案しているが、文字以外にも3次元データや、素材、分類名、化学組成、地図情報等々、博物館で扱う情報には多様なものが含まれており、これがうまく流通できるような規約を明確化することが必要である。これは、正に博物館情報インフラストラクチャ(MII : Museum Information Infrastructure)というべきものであり、今後のデジタルミュージアムの展開の根幹をなすものとなろう。
このために、我々は博物館TADという、博物館用の属性記述データフォーマットを開発することとした。これは、柔軟な属性定義構造を持った記述体系で、多くの組織、多くの人が分散して、多様な実物資料をデジタル化していき、なおかつその努力が最終的に統合的な「知」の集成となることを可能にする枠組みである。
このような技術により、東京大学総合研究博物館だけではなく、全国さらには全世界の博物館や研究所などが高速ネットワークで有機的にリンクされれば、世界の貴重な「本物」と「情報」が相互にリンクした巨大な「知」のネットワークができるのである。
参考文献
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- 坂村 健 編: デジタルミュージアム 電脳博物館——博物館の未来, 目録, 東京大学総合研究博物館, 1997.
- http://www.culture.fr/culture/arcnat/chauvet/en/gvpda-d.htm
- 坂村 健: 電子美術館・博物館, 岩波講座 マルチメディア情報学 第11巻 自己の啓発, 岩波書店, 2000.
- 坂村 健: デジタルミュージアム——コンピュータを駆使した新しい博物館の構築, 情報処理, Vol.39, No.5 (May. 1998)
- ウェルナー, P. and マッケイ, W., ゴールド, R.(坂村 健 監訳): 電脳強化環境——どこでもコンピュータの技術と展望, パーソナルメディア, 1995.
- Usaka, T. and Sakamura, K.: A Digital and Evaluation of the Multi-User Virtual Environment Server System for the Digital Museum, The 13th TRON International Symposium, IEEE Computer Society, 1996.
- Usaka, T., Yura, S., Fujimori, K., Mori, H. and Sakamura, K.: A Multimedia MUD System for the Digital Museum, Asia Pacific Computer Human Interaction 1998, Information Processing Society of Japan (IPSJ), 1998.
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