ロゴ

[ニュースという物語]


東京日々新聞 第百一号
郵便報知新聞 第五百二十七号

この二つは、死んだ母親がらわれて幼い我が子に乳を与えるという、ほとんど同じ話。しかし元にした新聞の号数からみると、二年近くも離れていて同時期の報道とは考えにくい。もっとも『東京日々新聞』の一〇一号にはこの話に対応する記事が確認できず、別な号である可能性もある。しかし、定型的な同じような物語が、絵になる話題としてくりかえし注目されるということもまた重要な論点である。

東京日々新聞 第百一号

東京日々新聞 第百一号

年年歳歳相似たる千/種の花の盛なる葉月ハ旧暦の文/月にて。歳歳年年同じからぬ亡魂祭る/鼠尾花の露と消にし産婦が思ひハ。送り火の焼/野の雉子。蝋燭立の夜の鶴。跡に残りし最愛児に。ひか/れて迷ふ箒木の有か無きかに顕れて、さめざめと泣て云へるよう。/汝等二人りが薄命なる。佗しき爺子/の手一ツに育てらるれバ万の事に/不自由がちにぞありぬべし。乳呑の妹/は吾儒が伴育てあげんと抱しめし姿ハ/仏壇の土器の香の煙と消失ぬ。嗟。愛着の/妄念ハ脱離せずんバあるべからず。文明開化の/今日に斯譚ハ無き事なれバ。虚説を傳ふる/戒とす

小説の作者 転々堂鈍々記

図239

郵便報知新聞 第五百二十七号

人にハ其程々あるものと見え狐に化か/されさうな人が丁度化され幽霊に/出逢さうな人が出逢ふ者にて渡会県/伊勢の国山田田中の中世古村の何某ハ/妻もあり子もありながら遊里通ひ/のみしてありしにつまハ病ひに臥/て久敷枕もあがらず月を経て死に/至りしかども深くも傷まで乳母を雇/ひて我子を養ひ居しに乳の足らで/日に日に痩行を見て始て亡妻のありなバ斯ハあらじ杯思ひつつ寝たる夜半/に亡妻の枕辺に来り怨の数々言立/泣入子を抱取乳房含せけるに驚/き思ハず阿と一声喚びたるに姿ハ消て/只あんどうのかげほのくらくありし。

郵便報知新聞 第五百二十七号
図240

郵便報知新聞 第六百二十三号

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵

日々新聞 第十一号

この二つとも、同じ事件を取り扱っているが、じつは郵便報知新聞の虚報であった。しかし追い剥ぎに襲われて、立木に縛り置かれた女が狼に食われ「腰より下は尽く骨のみに」なってしまったという物語は、絵師の想像力を刺激したのであろう。芳年は狼がまさに足を食いちぎっている現場を描き、貞信は捜索に向かった人々が発見した無惨なありさまを描いた。東京での芳年の新聞錦絵を、大阪で模造して売り出し大評判であったと、二代貞信自身が回顧している。

郵便報知新聞 第六百二十三号

郵便報知新聞 第六百二十三号

信州水内郡野尻駅の本賃宿某が妻ハ親里へ/用事ありて重詰の強飯着替等一包にし隣家/の女を供につれて出行しが其日の暮合に三人の/旅客来り宿を求めけるが/夜食ハ持合せたれ/バ之を握り焼て玉ハれと差出したれバ亭主ハ/炉辺に持来り開き見るに我家の重箱にして/袱迄も夫なれバ大に疑ひ客が湯に入たるをり/窃に荷物を披らき見るに我妻并に隣の女/か衣類迄入しかば扨ハ盗賊なりけりと近辺の/壮者を集め三人を縛し仔細を糺せば/沢間にて追剥し二人共立木に括り置た/りと白状しけれバ人々迎として松火をふり/立て夜明に彼所に至り見れバ憐むべし/両人とも赤裸にて立木に縛られ腰より下ハ尽/く骨のみにて肉ハ狼の為に喰とられたりとぞ

図241

日々新聞 第十一号

信州水田郡野尻駅木賃宿某方/にて仏事を営みしに妻ハ重箱に強を詰め己が里方を/訪んと着替などと一褓に包み隣家の/女を雇ひ出行しが此日の夕方三人の男/此宿に一泊を頼ミ夕飯の用意ハあり此飯を握り焚て呉よと重箱を出す是妻の持行し器なれバあやしき/事なりと三人を近所の貰湯へ遣り跡にて袱包を改しに/正しく妻の衣類なれバ急ぎ近隣打寄日此党を捕んと/するに一人ハ早く逃て二人を取押へ糾聞するに山沢に縛り置たりと/白状す直に其の所を尋行しに哀成かな二人の女ハ樹下に赤裸にて縛/られ疾絶命して腰より下ハ骨顕れ肉なし是狼のために/喰取れ非業の死を遂たり此事長野県へ/訴出両賊ハ同県へ引渡されし

花源誌 綿政二代貞信画

日々新聞 第十一号
図242


前のページへ 目次へ 次のページへ