[ニュースという物語]


絵解きとしての新聞錦絵

新聞という明治近代の新しいメディア情報を、「絵解く」という形で引用し、商品化したのが新聞錦絵であった。新聞錦絵は、絵草紙屋が売り出した新しい商品であった。この新聞錦絵の制作にかかわった戯作者や絵師たちが、その一方で新しく立ち上がりつつあった日刊新聞の世界にもかかわっている点は、新聞錦絵が生みだした情報世界を考えるうえで面白い論点である。

大日本新聞雑誌名録

大日本新聞雑誌名録

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
明治一〇年四月の番付形式の新聞雑誌リストである。東京日々新聞や郵便報知新聞、朝野新聞などが上位に記されている。新聞は、話題の新しいメディアであった。新聞錦絵はこうしたメディアの情報を絵解くという形で展開した。

図223

各種新聞図解第六 遠近新聞第二十七号

新聞図解というシリーズの命名は、新聞の事件を素材にした絵解きという新聞錦絵の基本姿勢と対応している。画面右下の魚形の囲みの中にシリーズ「第六」にあたることが記されている。

各種新聞図解第六 遠近新聞第二十七号

常盤木の若葉と散す東台の嵐に交る。/弾丸の雨烈しき崖の木陰に寄り官軍の/群へうち下す。十二斥砲を曳く車坂より。/防戦の術盡果て。討死したる丈夫ハ。本/所辺の旗本の。其奥方の唯一人。従者をも/供ず焼失跡に。彼處に這方にと斃たる。尸を漸く索得て。巡邏の護兵が前より来/り。此ハ吾妻にて侍るが。方向を誤ち脱/走して。一昨日討死したるなり。此死骸を玉/ハりて埋葬たしと云ながら。我着したる重衣を/脱ぎ。夫の死骸の上にかけ。涙に咽び歎ずるに/ぞ。官兵大に憐めども。官の沙汰あらざる/うち。此尸のミ私に引取をハ許し難し。他日の/所置を俟れなバ。是より報知すべしとて。/住所を問ひ。別れし後に下谷なる。広/徳寺中に葬しハ。貞烈全き婦人と/いふべし。

東台戦死の篇者/転々堂鈍々記

各種新聞図解第六 遠近新聞第二十七号
図224

東京各社撰抜新聞 吉原七人切

東京各社撰抜新聞 吉原七人切

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
各社撰抜新聞という命名もまた、各社が出した新聞の引用を前提に錦絵したという新聞錦絵の基本構造を表現している。文字ばかりの新聞に載せられている記述のままでは、事件への想像力が及ばないリテラシーの層に、多色刷の画面で見せることはそれ自体が新しい経験であった。

東京各社撰抜新聞 吉原七人切

此廓ばかり月夜を称へし新吉原江戸町二丁目角町東側/杉戸屋の戸外に容子伺ふ一個の士族頃ハ明治/十三年七月二三日の午前十時実に青楼の昼の世界/錦の裏歟恨ミの刃突然二階へ駆上り我合妓の/初糸十六を殺害なし遣り手おかの三十年に疵を負せ尚も階子を/下り来て主個茂十郎を始め妓夫政吉を切倒す此騒動に/沐浴せし小桜二十三ハ驚きしが女ながらも一生懸命裸体の/儘で棕櫚帚取るよし早く後より力任せに滅多擲/不意を打れて取落す短刀持て小桜ハ戸外の方へ逃/出す是ハ残念と遂かける出合頭に数名の査官得物/なケレバ苦もなく捕縛し分署へこそハ引立ケる此者ハ之何人ぞ/福島県の士族にて徳永敏二十八といふ者にて第二方面五分署の査官なりしが去二十日夜燈籠見物に/来りしが此家へ無体に引揚られ格外の勘定に端銭の不足妓夫が恥辱を与へし故なりとぞ小見世の弊風も亦甚敷かな

梅堂/国政図/御届明治十三年八月三日/長谷川 十二十四番地/画工竹内兼久/所霞町二番地/価銭六銭

図225

新聞図会 第十九号

図会とは絵を集めたものという意味である。すなわち題名は、耳に新しいできごとを絵にして集めるということを伝えているわけで、絵解きとしての継続的な発行を意識した題名と考えることができる。

新聞図会 第十九号

以前猿若町にて藝妓をして居たる娼松といふハ浅草/聖天町の当二郎といふ者の娘にて去年の三月常陸の国土浦の/中城町の須田屋庄助かたへ出稼に行しがとかく手くせ悪く是/まで客の物を盗ミし事有りしが去年六月二十二日に同所の。おたま。/おきち。おとり。などと一途に加藤といふ家へ揚られたとき客から四人へ/三円祝儀を呉れたるを一人りまへ一分での祝儀だと偽り三人へ/二十五銭づつ渡し跡ハかすめたり又其後去年十一月二十六日に/竹中金助といふ家へ招かれしとき金助の紙入をあけて金六円/盗ミ出し其外小つるといふ者の象牙の箸も盗ミ中々立派な/盗人なりしが終にあらハれ此度六十日の懲役になりましたが外面女/菩薩内心如夜刃とたとへの通り美しい顔して居る阿嬢さんでも/心のうちハ鬼よりもおそろしひ中々ゆだんハならぬと讀賣新聞/紙上有り舛

笹木芳瀧画

新聞図会 第十九号
図226


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