噂の聞書 噺之種
万延元年(一八六〇)文久元年(一八六一)
万延元年の大坂では銭相場の値上がり、讃岐金毘羅神社の出開帳、各地洪水・出火、物価騰貴、文久一年の京都では、一〇月二〇日の和宮降嫁、出開帳、大稲星(ホーキ星?)出現などの珍事を織り交ぜた一種のニュース年表である。和宮降嫁を除いて、桜田門外の変など同年三月に起きた政治事件は載せていない。いかにも庶民の噂の周辺がわかる内容である。
図175 噂の聞書 噺之種
噂の聞書噺の種
文久元酉年
十月二十日 和宮様御移転
三月 八幡宮御参詣
十月 祇園社同
同 東海道道中賑
同 中仙道同
さつた峠松生峠ト改
七月 京金銀虫湧
正月 法然上人六百五十回忌
同 京知恩院大法事
同 同黒谷同
同 百万遍同
同 江戸芝増上寺同
正月 其外諸本山末寺迄同
三月 大坂一心寺九万五千日供養
同 摂州勝尾寺開帳
同 同座摩ニて富士山同
同 宇治縣宮正迂宮
同 親鸞賀人六百回忌
三月二十一日より京都南本願寺大法事参詣おうし
同 山城橋本御陣屋立
同 摂州住吉同
同 同安治川同
同 同池田町同
同 大舩作御免
五月 イキリス人大坂ニ逗留
同 阿蘭陀同
同 堀江芝居見物
秋 諸国大豊年
同 勢州四日市大稲
同 近辺ニも出来る
六月 大稲星出る
七月 伏見大花火
同 金相庭七十九匁
同 銭ハ十二匁三歩
同 雲龍横綱御免柳桑操新綿製法
六月 大坂天満天神鳥居立
四月 北新地より石引賑ひ
七月 同芸子茶の百廿五回忌
同 同大せがき
六月 天満市場ねり物
五月 唐人ぶし流行
同 奈州狼鹿を喰
同 どつこいしよぶし流行
同 桜ら五二また蓮咲
同 江戸京ばし金六丁出火
同 摂州兵庫同
同 江戸四ツ谷同
同 神奈川横濱同
同 奥州海辺津浪
同 同犬のころり
同 江戸同
大谷友右衛門死ス
中村友三同
中村翫雀同
沢村其誉同
山下金作同
実川大八同
中嶋三甫右衛門同
片岡愛之助同
萬延元申年
保字小判三両一部二朱
正字金二両二分
■ 古金直上ケ
同 新小判多く出
同 二朱金同
同 銀一歩同
同 百文銭同
同 精銭同
同 四文銭同
同 判金引替
三月 両本願寺大坂下向
同 大坂西御堂御ねり座
同 讃州金毘羅開帳
同 富士山六十一年め同
同 大坂庚申堂同
同 摂州瑞光寺同
四月 はくろ町いなり砂持
三月 佐田天満宮正還宮
同 遊行上人御下向同 三日江戸大雪
四月 大坂天王寺相撲
同 同生玉参詣人多し
同 泉州堺沖大鯨来ル
五月 大坂寺嶋鯨ニ合■[虫喰]
同 同堂島地車住吉参り
同 同新町ホイ駕出る
唐更紗四季花流行
牛の相撲
二月 尾上多見蔵つら抜大当り
四月 早竹虎吉五天竺同
同 因州ぶしはやる
同 ふじの山から同
二月より五月迄晴天二部両つづき
同 九州洪水
同 大坂淀川同
同 米穀高値
同 諸色同
同 粥施行
同 御仁政ニて下値
同 日本橋春女へ御ほうび
同 藤川八太郎同
同 ■■[虫喰]八蔵同
同 天保山異国船漂流
上町神明砂持
正月 座摩社内出火
砂場同
天満天神鳥居同
同 嶋之内戎橋同
天保山高燈籠同
堀江同
江戸両国ニて
生とら見世物大はやり
江戸新吉原出火
猿若町芝居同
八丁ほり同
遠州秋葉山同
高野山坊同
江戸アメリカ相撲
豊竹巴太夫死ス
中村歌六同
中村玉七同
市川助十郎同
三桝源之助同
内親王和宮様 清水御屋形ヨリ御城御入車
文久元年(一八六一)
文久元年(一八六一)孝明天皇の異母妹和宮親子(ちかこ)と将軍家茂の婚姻問題は、京都所司代酒井忠義の再三の要請で政治決着。和宮を迎えるため京都へ向かう警護の役人名から、京都での町触、文久元年一〇月二〇日京都出発、一二月一一日江戸着、大奥参内までを綴じ込み、表紙で一旦清水家屋敷で休息、大奥へ入る描写で終わる。
図176 内親王和宮様 清水御屋形ヨリ御城御入車
内親王和宮様 清水御屋形ヨリ御城入車
中山大納言
今出川中納言
橋本宰相
萩原刑部卿
清水御屋形ニ而
御休息夫より大手迄
檜板ニ而巾壱尺厚サ
壱寸五分ニして三十枚並
是を地へうめ置大手より
平治御門へ御入車
(中略)
釼術炮術兼
鎌兼 戸田八郎左衛門
長刀同 伊庭軍兵へ
馬術同 今城登代太郎
炮術同 中根芳三郎
同 小幡左衛門
同 間宮鉄次郎
手利釼 同須藤兵庫
棒術同 神谷縫殿助
軍学同 阿部勝三郎
強力 加藤権三郎
弓術同 杉田勝太郎
長刀同 金田英之助
柔術同 榊原船十郎
早足布 布施信三郎
鎌同 田代爰之助
手利釼同 戸田祐之丞
剣術同 沢隼之助
強弓同 森川鉀四郎
馬術同 彦坂丹右衛門
炮術同 井口博之助
水練同 大塚辰三郎
棒術同 竹本伊三郎
修行人 松倉仁之丞
〆二十三人
惣人数 五十人なり
右宮様御下向ニ付御道中
御警固被仰付候講武所より
御撰ニ相成候槍釼之達人
上京被致候
御上洛ニ付拝領銀被下置候事
文久三年(一八六三)三月九日
将軍家茂(一八五八—一八六六在位)は、三代家光以来二〇〇年振りに、朝廷に参内のため上洛。文久三年二月一三日江戸を立ち、三月四日京都二条城に到着した。家光の例に倣って、京都の町人に、五千貫の銭を与えた。
図177 御上洛ニ付拝領銀被下置候事
大樹様元和九癸亥年七月十三日御京宿 今文久三年まて二百四十一年ニなる
京都町人共へ銀壱万貫目拝領被仰付候事
大樹様寛永十一年甲戌七月十一日御京宿 今文久三年まて二百三十年ニなる
閏七月京都町中年寄共二条御城内へ被為召寄柳生
但馬守殿御取次ニて○公方様へ御目見申上候処但馬守殿
被仰付候者京都町人共御上洛目出度奉存御礼被出候段
公方様ニも御満足ニ被思召候就夫 台徳院様御上洛之
節者拝領銀壱万貫目被下候之も此度ハ半分ニて御残念に
思召され候へとも拝領仕候様被仰付町人共難有奉存候御事
町数六百二十五町 上京二条北がハよりの分軒数一万七千三百二十三軒
同二十八町 大仏外掘内之分七百三十二軒
同五百五十六町 下京二条南表よりの丁数一万五千百十二軒分
同六町 三条寺町より東之分二百三十八軒
同百十四町 両本願寺地内分軒数千四百六十九軒
惣数合三万四千八百七十四軒役 是ハ右書ニ有候侭写し候
右五千貫目拝領銀此数に割付壱軒ニ付銀百三十四匁八歩二厘ツゝと云
今般大樹様御上洛文久三亥年三月四日御京宿
亥三月九日明六ツ時右京組之惣代年寄五人組三丁宛
御召出シニ相成則御白州にて結構ニ被仰渡御銀頂戴仕候
西御町奉行瀧川播磨守様
東御町奉行永井主水正様
大御目付伊沢美作守様
御目付大久保権右衛門様
御徒目付伊藤治郎介様御小人目付彦根銀次郎様
御使池永亀三郎様
右列座
拝領金 銀五千貫目代り金六万三千両
{囲みの中}
二歩判金六千二百両入亥一月五日 十箱 外ニ 紙包 金百両包 十包
右如旧例之様例へ并有重立たる者夫より手箱ニて門前ニて車二輌へ積
御請斗 洛中町人惣代へ
御上洛之為御祝付洛中町人共へ銀五千貫目被下候間冥加之程難有
可奉存候右金六万三千両下ケ渡候間頂戴可致候
右之通被仰渡金頂戴仕冥加至極難有仕合奉存候尤割渡し候義
夫々勘弁仕相應ニ割渡し候様可仕候是又其段被仰渡候ニ付
奉畏候仍之請書奉差上候以上
文久三亥年三月九日 洛中惣代
洛中軒数三万七千六十四軒二歩 上一万八千二十軒半下一万八千四十三軒七戸
洛中町々裏借家ニ至迄金一両一歩一朱分
五十六文拝領仕候有難仕合君か代万々歳祝候
両本願寺地内町々同様ニ被仰付候