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[新聞錦絵の情報社会]


東京の変形種

東京では『東京日日新聞』『郵便報知新聞』のシリーズの他にも、いくつかの新聞錦絵が発行された。版型は大判が中心であったが、『大日本国絵入新聞』のように画面を分割したものも現れた。また、大新聞だけでなく、小新聞の記事をもとにした新聞錦絵も発行された。

各種新聞図解第三 郵便報知新聞第三百四十七号

波布蛇ハ螫蛇の一種にして。大島及び琉球に/産する毒虫なり。腹白く鱗蒼き斑ありて。形/雪花の如し。頭大にして口の廣さ殆ど頭を過て/身に及ぶ。然して人を害す事甚しく。或ハ道路/の傍に蔽匿て尾を草根に維ぎ。或ハ半身を/枝葉に垂て頭を衝ち足を噛む。一點の牙毒/人身に觸れバ全体の血液沸騰て。肉色直地/に変じて暴死する者。大島の如きハ一歳中/十を以て算すと。更に怪しむべきハ。彼一度人/を噛バ必自其尾を噛む。斯くするを数度に/及べバ。其長身も終に端縮て。縦横自在に飛/行す。疾こと風の如くなるをもて風蛇といふとぞ。/明治六年一月より県官令して波布蛇/一頭を打殺者ハ賞するに玄米一升/を以てす。六年一歳中賞賜する/所の米数八十石に至れり。是則/八千頭。然れども末だ。其百分の/一を蓋さずとぞいへり。

轉々堂鈍々記

各種新聞図解第三 郵便報知新聞

第三百四十七号
(波布蛇退治の開始)
政栄堂を版元として出された新聞錦絵のシリーズで、さまざまな新聞の記事から話題をとっている。この号は、『郵便報知新聞』第三百四十七号の記事によるものなので、「各種新聞図解の内 郵便報知新聞 第三百四十七号」と記されている。本来の号数は魚の形をした中に小さく記されている。絵師は鮮斎永濯で、遠近法を取り入れた細かい描写が印象的である。文の周囲のデザインも凝っている。

各種新聞図解第三 郵便報知新聞
図108

朝野新聞 第千三百八十六号

可愛々々の睦言も恋と忠義の二道を/尽す誠も思案の外貴君ゆゑなら/命でも何の惜かろ揚屋町毒と知りつつ/過す酒野むナらおのミと盃の数重りて/花れじと夜るの契りも当麻なく花に/嵐のさハりとハ其 花 山がふミこんで何ぼ/主人でも亭主を引とめとんだ御用に/つかふとハおから山吹恨の山々おかくごあれと/姫君へ切てかかれバ傍へより我も源家の/忠臣なり左ハさせまじと大 美  濃 の鎗小/脇に抱こミ大音に是まて女房無礼/なり抑当家にハ汝も我も恩を受たる/主家なり去年つづいての両親死亡/ありし其後ハここぞの恩をかへさんと/後見なして昼夜の勉強忠義を尽/すとしらざるかト大紛紜もやうやうに/仲裁がはいり一ト先その場ハしづめし/とぞ両手に花をながめると終にハ/こんな事になります

朝野新聞 第千三百八十六号

(芸者にうつつを抜かす夫に妻が復讐)
本紙『朝野新聞』は、成島柳北と末広鉄腸が主筆で活躍し、当時の知識人に愛読された大新聞のひとつ。この日刊紙千三百代の号をもとにした新聞錦絵のシリーズが、十種ほど作成された。絵師は山崎年信、版元は林吉蔵である。

朝野新聞 第千三百八十六号
図109


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