興行の引札
引札は、商品やそれを商う商店の宣伝や披露のために配られる広告のことで、現在のちらし・ビラがこれに相当する。見世物などの興行で制作された引札は、同様に広告として用いられたほか、簡易のプログラムとして販売もされたようである。現在のポスターのような一瞥してその内容が示してあるものから、番付のように、興行の次第が記され、全体の雰囲気が伝わるものなど様々なものが見られる。特に後者は形態としてはプログラムであり、おそらく興行の行われた場所で販売されたのであろう。また、別に冊子の形態をした目録的なものも販売された。
また芝居番付は、ある種興行の周知広告を目的としており、その芝居小屋でいつからどの狂言がどんな順番で行なわれるか、役者や囃子方は誰かなどが記されている。当然ながら芝居は、江戸庶民の大きな関心事であり、江戸三座をはじめ各芝居小屋の興行は彼らの関心によって成り立っていたといっても過言ではあるまい。芝居番付は、各興行の事前に番付売りが行商の形で売り歩いた。芝居に合わせ、芝居の台詞のダイジェスト(声色の種本)を小冊子にした「鸚鵡石」なども販売された。
歌舞伎顔見世番付(仮) 明治二二年(一八八九)
図73 歌舞伎顔見世番付(仮)
第一ばん目
南蛮鉄後藤目貫二冊つづき
花井お梅
中幕
月梅薫朧夜三まく
第二ばん目
天保水滸伝五まく
若竹座
浄瑠理竹本綾尾太夫
三味線鶴沢鉄吉
長唄常磐津清元 はやし連中
作者竹柴千代三
狂言方市山猿幸
頭市川亀未
頭取実川鱗
太夫元荻野豊三郎
{役名省略}
{袖}一高の谷一花井お梅
おし月 市川蝠之助
明治二十二年六月二十六日より
歌舞伎辻番付(仮)
図74 歌舞伎辻番付(仮)
■■重忠に客集景清初茶湯
その会席の取合を筆に矢立の杉菜にハ鶴
恋に思ひハ染付の向附ハ蝶鵆かよひハ虎と少将の
庖丁きひた伝三が小料理つひ一ト口ハ鬼王の初物
朝比奈もまだ新渡猪口のぞけハ色も麗に
梛の葉の髪結姿仇月小夜がうめ水をさしたる
星の井戸茶碗犬坊丸の紅葉古■■高麗寺の
鐘の音に正午をしらす玉鶏の印賞美の花ハ
祐成時致待合十八年工藤祐経路次入行烈 対面栄
梅柳魁曽我 四番続 来ル二十一日より
図75
新吉原仁和賀番組 慶応二年(一八六六)
吉原において、毎年八朔(八月一日)に行われた即興喜劇。吉原の芸者や幇間などが、廓内を練り歩き、賑やかにはやしたてた代表的な吉原の年中行事でもあった。その順番・演目が記された番付。
図76 新吉原仁和賀番組
慶応二寅年八月初
新吉原仁和賀番組
獅子
はる
かな
ひやく
はな
こゐ
しん
こよ
やつ
くま
その
せの
たま
持主愛吉
後見亀吉
金鳴戸泡の渦巻引台
順礼栄喜太夫
里人文次郎
同喜代寿太夫
同正孝
同孝三
スケ一人
持主栄喜太夫
後見重吉
豊竹連中はやし連中
船乗恋重楫引台
持主平十郎
後見
吉兵ヘ
又吉
男立形
喜代
しか
きな
ぢう
喜さ
地方ひで
喜美
茂よ
きえ
すミ
たち
けい
常磐津連中はやしれん中
濡中色夕立引台
持主善孝
後見千蔵
さるまハしすず
角兵ヘししきゆう
にさがりかめ
田舎娘ゑつ
年間女みか
地方
こま
まん
つま
ちよ
まさ
ちか
とよ
長うた
はやし 連中
旅雀奴行列地走り
持主幸吉
後見彦兵衛
立方
まつ
ふね
とめ
とせ
さん
なる
とも地方
ひな
いの
さだ
みき
いそ
清元はやしれん中
結恋妹脊盃引台
おそセ喜美太夫
番頭兼次郎
子そう千蔵
三ミせん由次郎
とうふかひ鯉舛
はやし連中
持主喜美太夫
後見新吉
伽羅先代萩
千松千代作
はやし喜久造
政岡有中
商人六平
鶴千代忠治
引だい 囃連中
地主
千代作
後見
熊次郎
次郎
惣一色荷分持主栄喜太夫
後見
熊吉
立方
三さ
まめ
こと
また
あい
さよ
ゑい地方
うた
はぎ
いと
むめ
つね
引台
清元はやし連中
当的吹屋姿
地主文次郎
後見秀吉
立方
ぶん
つな
ぎん
ちやう
すゑ
ふき
きせ
地方
かる
さわ
よの
とく
ふた
岸沢はやし連中 引台
浮世節抜大津画
座頭三造
わか衆又平
藤娘仲助
又平寿六
下女登喜太夫
弁けい文治
引台はやし連中
地主寿六
後見清助
竹春干浮遊引台
主方さの
男たよ同たよ
同ひさ
同よし
同さえ
同けん
同ほの
地方
つた
はや
りつ
とり
久女
清元はやし連中
地主
三造
後見
亀吉
花旅唐濡色引台
茶屋男呼助
金持座頭善孝
唐人権平
下男稲八
めかけ女家満太夫
横浜かめすけ
はやし連中
地主善孝
後見万吉
当八月朔日より晴天三十日の間俄興行仕十五日の間
前俄御覧ニ入候十六日目より不残趣向相改猶又
晴天十五日の間後俄御らんニ入申候尤男芸者折々
趣向替仕候
板元新吉原江戸町一丁目玉屋山三郎
{印}象の見世物興行の引札(仮) 文久三年(一八六三)
文久三年(一八六三)に江戸に運ばれた象の見世物の引札。象は享保・文化(長崎までで帰される)と過去二回日本に上陸しているが、この象も人気となり、評判を呼んだという。引札では、人のことばを理解し、様々な益を有した聖獣とされている。
図77 象の見世物興行の引札(仮)
演義告条
神洲の武威四夷に轟き聖代の徳沢八蛮に溢れ海外万里の波涛を凌ぎ招かさるに異邦の
奇品膝下に入首せるをもて未見の万物日夜を選ばず時々刻々に舶来せりそる([ママ])中に今般欧羅巴
人アルキウルなる者印度部中爾馬が国スヒツトヘルゲンといへる大山のふもと数千里の大平原に一疋の大象を
生とり我新港横はまに渡来なせりそもそも象ハ西南の夷地に生す漢土の大国なるもあることまれなり
支那人往古ハ其象を画にて見るのみ故に象とハ号しなりされバ蛮名をヲリハンヲといひ種類一にして
身色一ならず仏書に所謂([虫喰])白象ハ四牙六牙なるも有とかや夫象ハ■■獣の一にして将に宇宙の聖獣たりその
行状自若とし○泰山の如く夜ハ子に臥て寅に起て諸州の人語
をききわけ水をゆくこと平地のことく火を消こと恰も
草を刈に似たり力量千斤の■■(か■■へ)をおひ鼻に千曵の巌石を巻水原をうがち金蔓を推しとく気を退け
清浄をこのめり象骨象牙の人に霊ある世に益あるハ普く人の知処にして実に泰平の祥獣といふへき而巳
文久三癸寅弥生上旬太夫元に代りて 稗官 仮名垣魯文訳誌
{印}
象官舎画