灰陶加彩
中国
東魏(544年頃)
高さ23.0cm
資料館建築史部門(K0033)
胎土はきめ細かく灰色。身は中空で、足の下の部分が開いている。身は前半分と後ろ半分が別々の型で作られ、接合されたもので、側面に継ぎ目が残っている。頭は身とは別に作って接合したもののようである。全身に薄く白色の顔料が残り、さらには一部でややくすんだ朱色の顔料が見られる。もとは色鮮やかに塗り分けられていたのであろう。
これと同じ型を利用して作ったと思われるほどよく似た武人俑が、1956年に河北省呉橋県小馬廠村で発見された東魏時代の夫婦合葬墓に副葬されていた。墓から出土した刻字に、妻は興和3年(541年)に、夫は武定2年(544年)に、死亡したことが記されていたので、この武人俑もこの頃につくられたことが分る。
(谷豊信)