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壁画

(ホータン・キジル)


24 尊像腰部衣壁画断片


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塑壁着色、額装
ホータン地域か
8世紀頃
伝ル・コック将来品
縦21.2cm、横22.2cm
東洋文化研究所

等身大以上と思われる菩薩ないし天の腰部を覆った裳(裙)または腰布〔以下衣と略記する〕と、それを結んだ腰帯、そして最上端に腹部の肌がわずかにみえる尊像画の断片である。ホ−タン地域の住居祉や仏教遺跡を3度にわたり調査発掘したスタインの将来品にもまた多くの図版を収載した報告書にも、これほどの大像の腰部壁画の例はなく、その他さまざまな観点から探査しても、本壁画断片に関わる資料は皆無に等しい。

同地方の寺院は石窟寺院ではなく地上の建造物で、スタインをはじめとする今世紀初頭の各国調査隊の調査時には、塔は別として多くの寺院はわずかにその最下部が流砂に埋もれていたに過ぎない。本壁画断片は、おそらく既に倒壊して砂中にあった壁画の一部が、本格的な学術調査や発掘とは別にたまたま掘り出され、スタインとは関わりなくヨ−ロッパへ(あるいはル・コックの手を経て)将来されたものと想像される。また他の4点に比べ壁画表面の破損が極めて少なく、衣の錦文様をよくとどめる一方、表面全体が白色様のもので薄く覆われているのも、永く砂中にあった事を示しているように思われる。

しかし保存状態がよく図柄が明瞭であるのに反して、描かれた着衣の表現は、細部の絵画的な処理において著しく曖昧であることをまず指摘しなければなるまい。腹前で衣の上に締めた濃褐色の帯は、幅が一定せず、結び目にも力が込められていない。左右相称的に波型をなす帯の先端部の図式化した描写、帯の輪郭に沿って引かれた粗略な白色線、帯の上に並行している意味不明の緑色(緑青)帯(墨線二条、黄色線一条の衣文線をもつ)、それらの上から手前に折り返すように垂れた衣の一端の無造作と言うよりあまりに無自覚的な造形などがそれである。しっかりした写実の上に理想化を加えた7・8世紀の東洋古典時代、しかも西域南道の要衝にあって、インド・イランからの新しい仏教と美術とをいちはやく自己のものとし、ホ−タン様式とも呼ぶべき独自の造形表現を持ったこの地からの伝来品としてはいささか判然としないものがある。さらに、連珠文や卍文などを構成要素とした衣の文様もまた管見の限り、ホ−タン遺物とほとんど関連せず(註1)、出土地・制作年代の手がかりを見いだし難いので、ここでは、画面細部、とりわけ衣の錦文様を詳察し、責を塞ぐこととする。

白色の画面下地を施した上に塗られた衣の地色は、現状ではくすんだ赤茶一色に見えるが、表面の変色した顔料が点々と剥落した箇所から当初の明るい赤茶色(丹ほど鮮やかなオレンジ色ではない)が認められる。そこに直径9.5センチほどの円文を7個(折り返し部分に見えるものを除く)を描くが、円文様の全容を現すものはない。3つの円文が作る間隙には卍文1個を配する。円文は、まず約3ミリ幅の墨線で円環を作り、そこに白色の珠形60個ほどを列状に並べて大きな連珠文をつくり、その連珠文内側に白色線1本を沿わせる。中心部にも地色上に直接白色の小珠20個ほどを連ねて小連珠文をつくり全体を重圏連珠文とするが、大小の連珠文間に広いスペ−スをとり、卍文と小円文を交互に4個ずつ配す。それらは円内で向かい合う同士をペアとして墨と濃褐色(朱であった可能性はほとんどない)に塗り分け、さらに白色の線で輪郭を施すなど細やかな装飾意識を示すものの、個々の文様の形や位置に精緻さを欠き、卍字の先端を逆方向に描いたものもあるなど杜撰なところが見受けられる。小連珠文の中心にも褐色と白色の丸を組み合わせた文様がある。小連珠文の各白丸の剥落箇所には赤紫色の見えるものが多く、各小連珠文周囲には赤紫系の暈しが施されていた可能性もある。

ところで連珠文様にとって命ともいうべきは、より完璧な円をなすことであり、重圏連珠文なら内外円の大小、連珠の丸の大きさ・数等々のバランスのとれたデザイン感覚が次に要求されよう。例えばキジル第8窟、ドイツ隊のいう十六帯剣者窟壁画の騎士達の着衣などに見る精緻でリズム感溢れる重圏連珠文などと比較して、一種弛緩した印象しか与えない本壁画の衣は、おそらく美しく織り上げられた錦を模しながらその技量及ばずといったところだろう。

なお、文様史の観点から、ササン朝に織り文様として盛行し、7〜8世紀の東アジアへと受け継がれ、中国を経て、正倉院や法隆寺の「獅子狩文錦」などに到る連珠文の系譜との関係、卍字文との組合せやその意義などが今後の課題となろう。またここにみる卍字は、現今日本で多く用いられているいわゆる左万字ではなく、インド彫刻の古いものや奈良薬師寺の薬師三尊像中尊(7〜8世紀)足裏指、応徳涅槃図の釈迦胸部(1086年)などに記されている右万字()であるが、前述のように一部字形を誤るなど、卍字が本来持つ意味、すなわち瑞兆や吉祥を示す徳の集まり、あるいは何等かの標識としての役割を担うものではなく、装飾文として用いられているに過ぎないと思われる。

(田口榮一)

註1 ホ−タン関係の連珠文として、ニュ−デリ−国立博物館所蔵のヴァラワステ将来の礼拝する菩薩を描いたインド風の濃厚な壁画断片(7世紀前期)の菩薩の裳の美しい連珠文がある。本壁画連珠文と同様に外連珠文の内側に白色線を沿わせる、中の文様は植物文で、葉が四つ手状の渦巻きをなし、卍字文風である。この壁画断片については、前記作品23の註13参照。


キジル石窟壁画断片

図録番号25、26の壁画断片は、トルファン出土仏教壁画として購入されているが、明らかにドイツの4次にわたる西域北道を中心とする探検隊、特に第3、4次のそれにおいてル・コックによりキジル石窟から採集されたものである。ドイツ隊はグリュンウェデル、ル・コックを中心として各遺跡の壁画を詳細に記録し、大型の図録、Sptantike(註1)全7巻に纏めて刊行した。その偉業は1922年から1933年にわたったが、ドイツ敗戦後の未曽有のインフレに遭遇し、出版刊行費補填のため、一旦はベルリンに齎された収集品のかなり、特に第4次のものの多くの売却を余儀なくされたのである。これら旧ル・コック・コレクションはそのほとんどが壁面から剥ぎ取られた小像や尊像顔面など小品であったが、ドイツ国外、主に欧米に向けて売り出され、日本では井上恒一氏が20点(すべて菩薩、天部、比丘等の頭部)を所蔵、そのうち10点の図版が『国華』632号(註2)に掲載され、さらに熊谷宣夫氏によって各画面の記述と各々の原在窟が紹介されている(註3)。上野アキ氏は欧米各地に散在する7、80点にも上る壁画断片について、所蔵者、画面内容、寸法、裏書(後述)、原所在窟など詳細なデータを一覧表にまとめ、さらにキジル第3区マヤ洞窟壁画説法図中から剥離された断片について、Kultsttten(註4)の詳細な記述に照らしてその原所在箇所を確認した(註5)。しかし同氏も本壁画断片2点の存在については知るところなく、同氏の指導のもとに開催された1988年の大和文華館での展覧会準備の過程で初めて出会ったとのことである。

ところで前述の上野氏の労作である旧ル・コック・コレクション・キジル壁画断片一覧にも記載されているように、各断片のほとんどは、裏打ちの石膏に鉛筆もしくは彫り書きで、第何回探検、キジル石窟、窟寺名(ドイツ隊は各窟に何らかの特徴を見出しその名をつけて呼んだ)、壁面位置、番号などの覚書が施されている。本壁画断片2点も例外ではあるまいと思われるが、堅固な額縁に埋め込まれた上、背面は厚い板がきつくネジ止めされており、今回は敢えて裏板を外して覚書を読むことはしなかった。従って2点の壁画断片の原所在窟や位置、さらには制作年代の判定には、画面そのものの詳細な観察によって、その様式的特徴を把握すること、ドイツ隊が壁画を調査・採集、または撮影した窟についての諸資料・記録との照合作業が解説者に課せられることとなった。前記Sptantikeをはじめ、Alt Kutscha(註6)Kultstttenを博捜する一方、壁画の現状を収めた各種図録にも手がかりを求めたが、徒労に終った。

しかしその結果として、後述するように2点の壁画断片それぞれに、他には見出し得ない表現をわずかではあるが認めることが出来た。むしろ将来、裏の覚書により原所在窟を明らかにした上で、それらの究明に努めるべきかと思われる。

(田口榮一)

註1 Le Coq, A. von, Die Buddhistische Sptantike in Mittelasien, 7 vols, Berlin, 1922-33
註2 「亀茲古代壁画」『国華』632号、昭和18年
註3 熊谷宣夫、1948、「井上コレクションのキジル壁画断片について」『仏教芸術』2、昭和23年
註4 Grnwedel, A., Alt-Buddhistische Kultsttten in Chinesische Turkistan, Berlin, 1912.
註5 上野アキ「キジル第3区マヤ洞壁画説法図(上)——ル・コック収集西域壁画調査(2)」『美術研究』312号、1980年、同上(続)『美術研究』313号、1980年。なお同氏の「—ル・コック収集西域壁画調査(1)—」は「キジル日本人洞の壁画」『美術研究』308号、1978年
註6 Grnwedel, A., Alt-Kutscha, 2 vols, Berlin, 1920.


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