第1章 プロジェクト「建築復元」

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 大正12年の関東大震災は本郷キャンパスの教育施設のおよそ3分の2を灰燼に帰した。しかし、幸いなことに大学本部施設部が崩壊した建物の図面を保存しており、それらを基に当時のキャンパスを構成していた明治・大正期の建物の外観を想像することができる。

 われわれはそれら失われた建築群のなかからとくに代表的なものを5つ選び、先端的な画像処理技術による建築図面の再現を試みると同時に、伝統的な木工技術によって建物全体の復元を試みた。


 逸失建築の模型製作には、当然、高度な復元理論と良質な職人技術、さらには初期洋風建築に対する充分な理解力が求められる。この点、世界でもっとも名の知られたイタリア人木工職人ジョヴァンニ・サッキとその工房の協力が得られたのは幸いであった。イタリアにはルネサンス以来の木工模型製作の伝統があり、サッキはその最良にして最後の継承者と目されているからである。

 残されている建築図面は平面図と立面図などごく限られており、実際の製作にあたっては構造や細部など多くの部分を想像に頼らなくてはならなかった。そのため、出来上がった雛形は古建築の縮小復元物であると同時に、イタリアの老巨匠が明治・大正期の図面をどのように読解し解釈したのか、その結果を示すものでもある。サッキ親方は現在88歳。東京大学の逸失建築6棟の復元模型製作を終え、現役を退くことになった。(西野)


明治39(1906)年2月竣工の煉瓦造2階建。文部省技師山口孝吉設計。請負人鈴木由三郎。

 医科大学の前身である東京医学校は明治9(1876)年に本郷へ移転してきた。移転後、病院とあわせて龍岡門周辺に建物を建設し広大な場所を占めていくが、明治26(1893)年4月の帝国大学評議会において審議されたマスター・プランにより、医科大学教室を赤門周辺へ、病院を敷地東側の現在地へ入れ替える計画が立てられる。当初、建築設計は工科大学造家学科助教授の石井啓吉が担当したようで、赤門付近の数棟と病院の一部が建てられるが、明治33(1900)年に山口孝吉が文部省雇となって以降、山口が石井の後任として病理学、解剖学、法医学、薬学の各教室を一群の建物として設計することになった。

 この4棟は基本デザインが統一されており、赤門から延びる通りに調和のとれた家並みが形成されることになった。ここに掲げた法医学教室の建物は他のそれと同様に古典主義の様式でまとめられている。I字型平面の両端と中央部をわずかに張り出させ、窓に下層櫛形アーチと上層半円アーチの双窓と単窓を交互に配することで律動感を出している。屋根は寄棟で、両端に小塔を、中央に大塔屋を配す。その他の装飾要素は中央部に集中しており、限られた予算内で効果的なデザインを施す、文部省営繕の手法が典型的に現れている。

 中央の大塔屋は法医学教室だけでなく他の3棟にも配されている。ために、同形重複の感もないではないが、旧東京医学校本館の塔屋をイメージとして継承したと考えれば、この塔こそ医科大学校舎に学内的アイデンティティを付与する枢要な建築要素といえなくもない。(清水)


明治40(1907)年10月竣工。煉瓦造2階建に地下室付き。東京帝国大学技師山口孝吉設計。

 明治37(1904)年6月工科大学造兵学教室より出火、造船造兵学教室1棟と、それに隣接する土木工学教室の計2棟が焼失した。火事後の復旧工事として両教室の工事が行われ、もともと2棟からなっていた建物が1棟に纏められることになった。工事は胴蛇腹上煉瓦2段目を境にして上下に二分され、請負人も下部は村田元次郎、上部は鈴木由三郎と二人に分かれていることから、煉瓦造の躯体の一部に焼失を免れた部分があり、それを利用しつつ新たに全体を設計し直したのではないかと考えられる。

 この建物はバットレスとバラ窓を配したペディメントに持送りとピナクルを組み合わせるなど、ゴシック様式を基調に設計されている。しかし、開口部は水平のまぐさ材を使った長方形のかたちをしており、法科大学のヴィクトリアン・ゴシックの系統と性格を異にしている。こうした特徴は明治21(1888)年に竣工した辰野金吾設計工科大学本館のデザインとあい通じるところがある。辰野の実利的なゴシックを意図的に継承することで、工科大学のオリジナリティを建築物に具現しようとしたのかもしれない。(清水)


明治43(1910)年2月竣工。煉瓦造2階建に地下室付き。設計者不明。請負人は石井権蔵。

 理科大学の校舎は山口半六設計になる古典主義様式の本館を中心として法科大学の東側の一角に広がっていた。また、仮正門付近にもゴシック様式の校舎を有しており、この古典主義の動物地質鉱物学教室が本館前に新築され、そこに移転してからのち本格的な古典主義様式の建物によって統一性と同一性を獲得するに至った。

 この建物はコの字形平面を持ち、両端部と中央部を突出させ、各隅に古典主義の柱を有する。全体としてオーソドックスな古典主義でまとめられ、プロポーションの点でも優れている。とりわけ窓のデザインが秀逸で、下層はショルダード・アーキトレーヴ、上層は櫛形アーチを基調とし、突出部に設けられた窓のデザインが特徴的である。建物は壁面を白く走る帯状の石材で上下2層に分割されている。地下階は背面に露出しているが、隅に付けられた柱の礎より下の部分をルスティカ積みとするなど、背面ファサードの構成にも配慮が見られる。細部は意図的に崩されており、とりわけ柱頭のデザインに現存する理科大学科学教室のそれと通有な点が認められるなど、山口孝吉が設計に関与した可能性は強い。(清水)


明治44(1911)年7月竣工の木造2階建。東京帝国大学技師山口孝吉移築設計。請負人は田中石之助。

 学内に建っていた擬洋風建築の旧東京医学校本館[明治9(1876)年竣工、工部省営繕設計]は、明治43(1910)年頃に計画されていた内科病棟他の建設に「差障」があるとされ、移築されることとなった。とはいえ、原形のまま移築されたわけではない。建物を奥行方向に2分し、前半部を史料編纂掛として赤門脇に、後半部を学士会館として神田錦町に移築することになった。この移築に伴う改造の設計を行ったのが山口である。

 この建物は、旧建物の前半部を利用しているため、正面ポルティコと軸部がそのまま残されている。また、寺院建築に用いられる組物を持った柱が内部に用いられるなど、明治初期の和洋折衷的なデザインも残されている。一方、平面と屋根の形態は大幅に変更されている。中央に塔屋を付け加えている点など前身建築のイメージを継承してはいるが、デザインは古典主義的で新しい。また屋根の高さが低くなったため全体の印象も大きく変わり、むしろ和風意匠の混入した正面ポルティコが不調和なままに残される結果となった。

 この建物は後に営繕課の庁舎となった。昭和44(1969)年に小石川植物園内へ移築され、翌年には重要文化財に指定されている。(清水)


大正3(1914)年竣工。煉瓦造の2階建。設計は東京帝国大学技師山口孝吉、請負人は不明。

 八角形平面の大規模な講義室棟の4方向に別棟の階段室を設け、さらに法文科大学教室への接続部を持つ。この建物は大正初期の学内施設を代表する建物である。外観は本格的なゴシックで統一されている。階段室入口や講義室の巨大な窓に見られる尖頭アーチ、階段室のバラ窓と急傾斜の屋根、そしてバットレス、ピナクル、コーニスの処理など、建築細部に至るまですべてがゴシック様式一色に染まっている。法科大学と文科大学は理科大学とともに、医科大学に引き続いて本郷へ移転してきており、明治17(1884)年竣工のジョサイア・コンドル設計になるヴィクトリアン・ゴシックの本館をはじめ、本格的なゴシックの建物を多く持っていた。この建物もそうした法科・文科大学のゴシック・カラーを継承するものと言える。

 階段室には平坦な壁面部が目立ち、いささか間延びした感もあるが、ダイナミックな構成を有する建物であることは間違いない。1階は中央で2室に仕切られ、2階は仕切りなしの大空間。2階床は鉄筋コンクリートで、1室の大空間を覆う屋根は鉄骨で組まれていた。屋根はスレート葺。2階の天井は格間で区切られたドーム状になっており、全体構成のダイナミズムが内部に持ち込まれている。(清水)

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「東京帝国大学医科大学法医学教室之図(南・東・西建図、階下平面図、縮尺100分の1)」、明治32年、文部省営繕掛設計、彩色、縦70.5cm、横97.5cm、本部施設部
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「同上法医学教室切断詳細図(縮尺20分の1)」、明治32年、文部省営繕掛設計、彩色、縦105.5cm、横68.5cm、本部施設部
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「東京帝国大学医科大学法医学解剖及附属室之図(東・西・南・北建図、骨組図他、縮尺100分の1)」、明治32年、文部省営繕掛設計、彩色、縦67.0cm、横103.7cm、本部施設部
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「同上(東京帝国大学工科大学)造船造兵学教室切断詳細図(縮尺20分の1)」、明治37年、文部省営繕掛設計、縦106.5cm、横69.5cm、本部施設部
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「理科大学動物地質鉱物学教室新築設計図(正面中央矩形図、縮尺20分の1)」、明治40年、文部省営繕掛設計、縦103.0cm、横66.5cm、付図つき、本部施設部
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「東京帝国大学医科大学医院病室改築ニ差障建物(赤門内ニ)移築之図(縮尺100分の1)」、明治43年、文部省営繕掛設計、彩色、縦66.5cm、横94.5cm、本部施設部
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「東京帝国大学法科大学講義室本館階上天井金属板張図(縮尺20分の1)」、大正2年建設、文部省営繕掛設計、彩色、縦67.2cm、横104.0cm、本部施設部



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