空間の覚醒

セルジオ・カラトローニ
東京大学総合研究博物館
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Grande metropoli[大都会] 東京を、走る列車の小さな窓から眺める。家屋が延々と続く様子については、すぐに忘れてしまう。その風景を記憶に残すための場所が頭の中にないからだ。性急に建てられた、特徴のない建物。電線がありとあらゆる所に張りめぐらされている。

 路地には、幾つもの暮らしがからまって、それらが川のように流れていく。

 この町には、設計図がない。隙間があれば、町はそこを突いて広がっていく。出発点もなければ到着点も、中心点もなしに。家同士は密接している。間に薄い壁をはさんで。各家には小さな庭が設けられている。時折り、素材の良く判らない、何やら恐ろし気な建物が、単調な風景に穴を孔ける。

 町は、郊外の田んぼの緑の中にゆっくりと溶けていく。

Greco[ギリシア人] 血統がというよりも、精神において彼等はギリシア人である。喜びに充ちた世界に向けて教育された民族である。彼等は、神秘に触れる世界観に変換が可能な言葉に価値を与える。

Hotels[ホテル] 私は、かなりの時間をホテルの部屋の中で過ごす。かくして、世界中の各地に自分の家があるような気分である。各ホテルには、各々の匂いがあり、各々の味わいがある。見分けのつかないほどにかすかな感触の違いがある。あたかも人間のように、良い面、魅力的な面と反対の面を合わせ持っている。

 私は家を所有していない。仮りの住まいとしてのホテルについての記憶を所有している。それはまた、場所についての記憶でもある。ホテルの自分の部屋には、私に所属する物は何もない。私の旅行カバンと妻のものと子供のものとがあるだけ。そのことが私をほっとさせる。ホテルは現代の遊牧民にとっての仮りの住まいである。

 カサブランカのエル・マンスール、マラケシュのマムーニア、東京の帝国、バマコのアミティエ、アレッポのバロン、アテネのブリタニック、ニューヨークのプラザ、ローマのエクチェルシオール、モプティのカナガその他。私の日常のごく深いところに澱んでいる幾つものホテル。豪華なものから、質素なものまで。大都市の母胎の中で、砂漠のあるいはサバンナのまん中で、各ホテルの強烈な芳香によって、そこを通過するその土地の人々や流浪する旅人達によって、私は迎え入れられる。どうしてこのようなことを書くのか、と言えば、通過する場所との関係は、恋愛と同じほどに強烈なものだからだ。

Ho dato[与えた] 私は、学生達に多くの課題を与えてきた。彼等が最初に学ぶべきことは、忘れることである。次は記憶する力を養うこと。続けて、夢を活かし続けるよう習慣づけること。4番目には、童話を語れるようになること。5番目に、便器のデザインをさせる。

I dilettanti[素人] 彼等は、話している内容について理解する力がない。沈黙も好まず、かといって、他人の言葉に耳を傾けるというのでもない人々。

Il grande[偉人] 偉人は小さく、小人は大きい。

Il lavoro sul modello[模型を作る作業] 模型で仕事を進めていくこと、は基本である。そこまでしなくても済む例においても、可能な限り、模型を作る。多くの人の目には、時間の無駄と映ることだろう。

Il progetto[プロジェクト] 東京大学構内にある自然科学系の校舎は、フォルムの隠喩についての表明ではない。全体の均衡の中に、フォルムを再び組み込ませようとする試みである。量感のねじれにだまされてはならない。その動き。その目に見えて明らかな不安定さ。重心は内部にあって、外部にはない。エネルギーがほとばしり出る中心部分が拡散し、再び元に戻る。複数の塊は、エネルギー拡大の源として理解される。決して、構成の遊びとしてではない。重要な要素は、内部と外部の幾何形の織り成す関係である。素材の持っている光についての研究が次にくる。透明感、色彩とその反射も重要である。即ち、空間内の光との関係で絶えず変化する色彩のダイナミックな要素としての、色の屈折。これら全てが、初歩的な幾何形である放物線型や、ねじってはめこむといったフォルムを採用した理由として説明される。

Il lusso insolente[尊大なぜいたく] ぜいたくに暮らしていることを他人に見せたがらない者の、尊大なぜいたくさ。

Industria[インダストリー] インダストリーは盲である。常に現時点でのパフォーマンスにのみ目を据えた観方には、本当のビジネスに一致するようなイメージは何もない。

Intervista[インタビュー] 問「日本における現代建築について、どう考えるか」。答「病んだテーマである」。問「あなた自身について。脱構築派とみなすか、未来派とみなすか。それとも詩的な合理主義派とみなすか」。答「思考と感情と恐れ、そして希望、記憶、などが、すべて流動的で、固定されていない。それらが、我々の側から発したものなのか、あるいは他に由来するものなのかも明確ではない。しばしば、新しい試みに挑戦するのは、新しいものを観たいがためだ。その中で、より印象の優れた例を残す。

 建築家は、フォルムを飼いならそうとする種族である。これが思考の遡及の感覚を促す方向に導いていく。言い換えれば、最後の言葉として『確かな論拠ほど危険なものはない』と言える」。

Italiani[イタリア人] イタリア人には生まれつかない限り、成ることはできない。イタリア人は、母胎に在る時からすでに、美意識の新陳代謝を始める。一旦、イタリア人としてこの世に生まれついたが最後、一生、スペクタクルに恵まれる。その中には悲劇も含まれている。幸福は、他の要素に取って代わることの決してない、かけ替えのない本分である。国家の概念については、お互いにほぼ一致することがない、というのもイタリア人の特徴である。イタリアでは、ひとりがひとつの意見を述べると、個の人はたちどころに答える。「いや、全くそうではない。何も判っちゃいない。物ごとの運び方を教えてやろうではないか」。誰しもが、独創的とみなされる考えを武器として育んでいる。言い換えれば、完全な個人主義者の集合国家の形成に、国民全員が寄与している、ということでもある。

Japan[日本] 日本について語るのは、まだ早過ぎる。

Kama[カーマ] インドの愛の神様。

Kottoi[特牛] 特牛駅。緑色の雲。煙色をした大きな雲の塊がおおう空。そのそこかしこに見られる、明るい青色の裂け目。竹の先端が、地面に向かって垂れている。盛夏。空気はむんむんとして、牛の吐く息のように熱い。

Lavori[作品] 印象的な作品。サバンナに見られる蟻の巣。パブロ・ピカソのヴィオロン(1915年)。ソール・レヴィットの壁画(1987年)。ジャン・ジュネのル・ネグール(1968年)。ニジェール河での釣り三味の1日。青森県亀ヶ岡の遺跡から発掘された土偶(縄文後期・紀元前1000-400年)。

L'arte[芸術] 芸術は魔力に充ちたものであり、聖なるものである。

La definizione「定義] 物のフォルムを決めるのは、一番最後の作業である。

La follia ammirabile[愛すべき狂気] 異なる時代の建築物がつみ重ねられた、賞讃すべき気狂い沙汰には、ナポリで出会うことができる。「一体、秩序とは何か」、こういう問いが頭をもち上げる。

Le stazioni di benzina[ガソリン・スタンド] シリアのガソリン・スタンドは、夜間に地球に到着した円盤のようだ。ブルース・ナウマンとその助手達一行が通過したばかり、のようでもある。

Liberare l'energia[エネルギーの解放] デザインのフォルムは、先ずは思考のフォルムであると、常々、考えてきた。それがやがて、役に立つフォルムとなり、更に、エネルギーのフォルムになると。フォルムは、拡散するエネルギーに充ちた何かである。フォルムは思考である。決して偶然に成立したりするものではない。

 我々を取り巻く品々の持つエネルギーについて一考する必要がある。どういう世界に、どういう方法でそれらが活かされていくのかを知るために。

 人々は、自己分裂の状態を生きている。それ故に、彼等は最早、物が内部に有しているエネルギーに注意を向けることをしなくなっている。つまりは、家庭内の風景は、町の中の風景と同様に暴力的で混沌としているということである。それは、物のフォルムについても同様である。エネルギーが蔓延した状態の中で、人々は生きているのである。

Lo spazio esploso della Decostruzione[脱構築的建築の破壊された空間] それには、1度たりと、納得を覚えたことがない。壊した後、その破片は空間に投影され、それから再び落下する。それらをまき散らす偶然性は興味深いが、その秩序は、長く続くためには、あまりに不安定である。今は、再構築の時期にある。空間を壊す時ではない。

Macchina negante[否定的な機械] コンピュータは、紙の上に鉛筆で進める手仕事の不確かさを否定する。手による作業は、確かに不完全であるが、その分、温かくもある。コンピュータを使うと、紙の上に鉛筆でなら書き残される幾つもの線や図は存在しない。太い線と細い線の透明感も消してしまう。全ては冷ややかなものになる。記号の貴族性は、不完全さのささやきから成る。あるいは、蝶の羽が羽ばたく時のように、ごく瞬間的に行われる思考の繰り返しから成る。これらが全て、紙の上に、金粉のようにまかれて、ひとつの記号となる。各記号は各々の個性を持っている。尽きるべき生命を有している。同じ図面は2枚と存在しない。コンピュータは、図面から、驚きや、長所たる不完全さを取り払ってしまう。メカニックで生命の躍動感に欠ける。

 コンピュータによって描かれた建築図面は、全て似通っている。衝撃に欠ける。見当のつくような内容ばかりだ。




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