物産学の確立




維新直後の政情不安は教育機関にも跳ね返った。明治元(1868)年9月、幕府開成所が開成学校に改名したのを皮切りに、大学南校(明治2年12月)、南校(明治4年7月)、第一大学区開成学校(明治6年4月)、東京開成学校(明治7年5月)と目まぐるしく変化する。

そうしたなかで、尾張本草学の流れを汲む伊藤圭介、田中芳男らが学術官僚として物産学の確立に努めた。



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