緒言




 1997年は東京大学創立百二十周年にあたる。この節目の年を迎えるにあたり、われわれは教育研究機関としての「大学」の意義や、人間的営為としての「学問」の魅力を、自ら問い直してみることにした。

 いまや高等教育が広範な社会層に浸透したこともあって、大学の,イメージは陳腐化し、その存在意義が揺らぎつつある。大学とは緒より、独創的な教育研究を先導し、人間精神の涵養において他所に見出し難い機能を発揮すべきものであった。そうした高邁な理想を見失ったことで、現在の大学は未知の冒険、精神の飛翔を経験する場として機能し難くなっている。

 ならば、過去においてはどうであったのか。東京大学の前身として明治10年に創立された旧東京大学は、近代日本社会の形成の真中にあって、つねに主導的な役割を果たしてきた。自然科学、社会科学、人文科学のいずれの分野においても、東京大学の歩みは近代学術研究の伸張を領導してきたのである。いまだ揺藍期にあったとはいえ、この教育研究機関は、およそ特権的な施設設備に恵まれ、歴史を動かす大きな発見や発明、新しい知見や理論を次々と生み出し、また同時に、将来を担う掛け替えのない人材を社会に送り出してきた。社会的な寄与の何たるかを明確化し得た時代の大学は、教育研究を担うことの誇りに満ち満ちており、それが「大学」の意義と「学問」の魅力を増幅させていたのである。

 そうした青春時代の麗しい大学のイメージを、負の遺産を含めて今ここで再現してみせること—東京大学誕生前夜から帝国大学時代にかけて収集された学術標本や当時の教場・研究室で使用し、試作された実験器具や試作品を通じて、大学における教育研究の内実を明らかにすることは、日本における「学問の黎明」を復元してみせるというだけでなく、西洋に範を仰ぎつつ近代化の重責を担った教師、教官、研究者、あるいは若き学徒らの高揚した精神を例証してみせることにも通じるだろう。

 21世紀は目前にある。と同時に、東京大学の歴史も第三の世紀を迎えようとしている。過去の大学から初々しい精神の高揚感の存在を確認し、現在の大学から未来を見据えた先端研究の動向を紹介する。この双面貌なくして、大学の将来像を思い描くことは出来ない。

 本事業の主眼は、大学とは何であったのか、大学とは何であり得るのかを真正面から問い直すことにある。題して「東京大学展—学問の過去・現在・未来」。功利主義と機能主義の蔓延する今日の社会にあって、麗しく、美しい学術環境の復元を企てるために。
1997年10月




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