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井口・山中式ねじり試験機

酒井 信介


写真1 今回寄贈した試験機 写真2 試験機を横からみたところ
この度、工学部機械系三学科で長年学生実験に使用してきた井口・山中式ねじり試験機を博物館に寄贈することになった(写真1、2)。本原稿の機会を借りて、本試験機の概要をまとめておきたい。

本試験機は大正11年に東京帝国大学名誉教授井口在屋・山中直次郎両博士によって考案されたもので、明石製作所によって製作されたものである。井口博士が工部大学校機械工学科の助教授に任官したのは明治15年とたいへん古い時代であるが、当時の教官は広範囲の専門分野をカバーしていたようである。井口博士の場合、水力学、流体機械の分野でも顕著な業績を残しており、その渦巻ポンプの理論の研究は、教え子である荏原製作所創業者・畠山一清氏らにより実用に供されている。井口博士の専門分野の一つが材料力学、材料試験であり、本試験機の前にも重錘によってねじりモーメントを負荷する方式の井口式ねじり試験機を大正初期に考案している。一方、山中博士の講師への任官が大正8年であったことから推測すると、井口博士と在任期間は重なっていないものと思われ、本試験機が納入された年にはすでに井口博士はご退任後であった可能性が高い。ただし、山中博士の学生時代に、井口博士の教えを受けていた可能性は考えられる。それではなぜ井口・山中式という言葉が冠されているのか、という理由についてはたいへん興味深いことであるが、文献等の記載が見られないため推測することしかできない。この試験機が開発された年は、山中博士は未だ若かったこと、この年の翌年には井口博士がご逝去になっていること、本試験機に関する報告を山中博士が単著にて行っていることから、以下のことが推察される。つまり、本試験機開発にあたっては、それまでに井口式ねじり試験機の開発を行ってきた井口博士のノーハウがふんだんに生かされているはずである。従って、実際に開発を行ったのは若き山中博士であったものの、両者の名前が冠されたのではないだろうか。

図1 井口・山中式ねじり試験機の構造
この試験機の構造を図1に示す。ねじり試験片はA部に設置する。これ以前のねじり試験機は、重錘によるモーメントを負荷する形式であり、モーメントの変更は重錘位置の移動によって行っていた。モーメント値は、重錘位置によって計算することになる。一方、本試験機ではねじりモーメントの負荷は、試験機前面に設置されているハンドルCの回転によって行い、モーメント値の測定は回転軸の先端に設置されている振子Dを用いて正確に計測する。つまり、振子Dは、試験片の回転とともに回転するが、その先端には主ばねEが接続されていて、振子の先端を試験開始時の位置に戻すまで、ばねを通じて荷重負荷する。負荷されているねじりモーメントは、ばね先端部の移動量として正確に読み取ることができることになる。この結果、試験機の構造をそれまでの重錘形式のものと比較して、ずっとコンパクトにすることができたばかりではなく、モーメント値の測定精度を飛躍的に高めることが可能となった。これ以外にも、本試験機は当時としては画期的な要素が含まれていた。まず、試験片にねじりを加えると軸方向に伸びるため、軸方向変位が拘束されていると軸荷重が発生してしまう。この問題を解決するため、本試験機では軸方向に自由に伸びることが可能な方式を採用しており、これによって純粋なねじり試験が実現されたのである。また、チャック部Jには円錐形の構造を採用することによって、ねじりモーメントの中心軸と試験片の軸とが、自動的に完全に一致する構造となっている。それ以前には、両者の軸を完全に一致させることは、困難とされていたので、本試験機によって両者を正確に一致できるようになったことは、当時としては画期的なことであった。

本試験機は約80年間大きな故障をすることもなく研究・教育に使用された後、その使命を終えて博物館に寄贈することとなった。博物館に展示される日を、心待ちにしているところである。

 

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(大学院工学系研究科機械工学専攻教授)

 

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Ouroboros 第11号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成12年5月19日
編者:西秋良宏/発行者:川口昭彦/デザイン:坂村 健