40 生存戦略としての擬態——生体は高性能のコピー機である!





 自然界には、より強いもの、より生命力のあるものに自らの姿を似せて見せることで、生存の確率を高めている生き物がいる。毒性のある昆虫の形態やパターンを真似ることで、鳥類などより高度な生き物から捕食されるのを回避する。こうした生存戦略は一般に「擬態」と呼ばれており、この現象は昆虫にしばしば認められる。形態のコピーという生理的な現象が種の存続を可能にしているのである。



40-1 チョウの燐粉転写標本(『蝶蛾燐粉転写標本』より
書籍、高27.0、岐阜、名和昆虫研究所工芸部製作、明治42年(1909年))

—タテハモドキ(Gunonia asterie)
—アオタテハモドキ(Gunonia orithija)

 昆虫や植物の種名には「ニセ」「モドキ」「ダマシ」などの接頭語や接尾語がしばしば用いられるが、それらを種名の一部とする種は、命名の元になった種と見かけが似ているというだけで、種どうしの親近性を有するわけではない。「ニセ」「モドキ」「ダマシ」は似て非なるものについて記載するさいの便宜的な呼称に過ぎないのである。

 燐粉転写法は18世紀のフランスですでに実践されていた標本製作術であるが、国内ではギフチョウの生態研究で有名なアマチュア昆虫研究家名和靖(1857−1926)が明治末に開発し、専売特許を取得している。岐阜に昆虫研究所を興した名和は、米国留学から戻った昆虫研究家長野菊次郎(1868−1919)を雇い入れ、燐粉転写標本を製作し、国内ばかりか海外にも販路を拡大しようとしていたようである。本展に出品されている標本帖は種名を長野の分類に負っており、また精細を極めた描画もまたそれを得意とする長野の手になるものと考えられる。蝶や蛾から糊を使って直接燐粉を写し取り、胴体部分を精細に描く。結果として生まれる標本は実物と虚構の混交物としか言いようがない。画工の手になる図譜よりは精確であり、また虫ピンによる標本よりは扱い易いなどの長所はあったが、学術的なものと認められず広く普及するに至らなかったため、現存するものはごく僅かしかない。

40-2 ハチに擬態した昆虫たち
標本箱入り、国立科学博物館

—コガタスズメバチ(Vespa analis insularis)
—キイロスズメバチ(Vespa simillima xanthoptera)
—キアシナガバチ(Polistes rothneyi iwatai)
—キボシトックリバチ(Eumenes fraterculus Orancistrocerus drewseni)
—ハチモドキハナアブ(Monoceromyia pleuralis)
—ニトベナガハナア(Temnostoma bombylans)
—シロスジナガハナアブ(Milesia undulata)
—イシガキオオハナアブ(Milesia ishigakiensis)
—オオモモブトスカシバ(Melittia nipponica)
—ヒメアトスカシバ(Parenthrene pernix)
—トラフカミキリ(Xylotrechus chinensis)
—トガリバホソコバネカミキリ(Necydalis formosana matsudai)

40-3 毒チョウに擬態したチョウたち
標本箱入り、国立科学博物館

—シロオビアゲハ(メスI型)(Papilio polytes polycles)(Female, Type I)
—シロオビアゲハ(メスII型八重山タイプ)(Papilio polytes polycles)(Female, Type II, Yaeyama-type)
—シロオビアゲハ(メスII型沖縄タイプ)(Papilio polytes polycles)(Female, Type II, Okinawa-type)
—シロオビアゲハ(オス)(Papilio polytes polycles)(Male)
—ベニモンアゲハ(Pachliopta aristolochiae)
—ジャコウアゲハ(メス)(Byasa alcinous)(Female)
—ジャコウアゲハ(オス)(Byasa alcinous)(Male)

40-4 托卵
山階鳥類研究所

—ウグイス(Cetta diphone cantas)の卵
—ホトトギス(Cuculus poliocephalus poliocephalus)の卵
—モズ(Emberize cioides ciopsis)の卵
—カッコウ(Cuculus canorus telephonus)の卵

 鳥のなかには他の種の鳥の巣に卵を産み、暖めることも、かえった雛を育てることもしない種がいる。卵は「仮親」のそれに似ていることがあるが、そうでないこともある。いずれにしても「仮親」はそれを自分の卵と信じ、またかえった雛が自分よりもはるかに大きくなっても、自分とまるで似ていなくても自分の子と「信じ」て育てる。見かけが似ていないこともあるという意味では通常の擬態とは違うが、欺いて相手にマイナスをもたらすという意味では広義の擬態といえる。
(高槻成紀)




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