第一部

記載の世界



4a東京帝国大学公印(大)
明治三〇(一八九七)年以降
石、縦七・七cm、横七・七cm、高九・一cm、重一五〇〇g
本部事務局総務部総務課蔵
4b東京帝国大学公印(小)
明治三〇(一八九七)年以降
石、縦三・九cm、横三・九cm、高六・〇cm、重二四二g
本部事務局総務部総務課蔵
4c
東京大学・東京帝国大学印影

明治二五(一八九二)年
『文部省往復』より
紙、和装帖、縦二七・五cm、横一九・五cm本部事務局総務部総務課蔵(A-25)

  本学はこれまで名称を四回改称した。東京大学からはじまり、帝国大学、東京帝国大学、(旧制)束京大学を経て、現在名の東京大学となる。展示した公印は、第三番目の時期にあたり、明治三〇(一八九七)年から昭和二二(一九四七)年までの五十年間にわたり使用されてきた。参考としてこのほかの名称の時期の公印を挿図1〜3で示しておこう。

挿図3 挿図2 挿図1

  大学あるいは組織には、いくつかの印が必要である。大学では、大学(部局)印、官職印、蔵書印などを数えることができる。挿図2の帝国大学印は、明治一九(一八八六)年三月の「十八日文部省ヨリ帝国大学印章一顆総長ノ印章及分科大学長ノ印章各一顆ヲ四月十九日各分科大学ノ印章五顆ヲ交付セラル」(帝国大学第一年報)にあたるものであり、ここでも大学(分科大学)印と官職印とを示している。さらに、この大型の公印のほかに小さな公印がある。一般的には、大型の印は賞状、感謝状などに使用され、小印は日常業務に用いられたようである。

  大型の東京帝国大学の公印がよく見られるのは、卒業証書である(挿図4)。卒業証書の形式にもまた何回かの変遷があるが、これがもっとも充実した時期の卒業証書である。証書の真ん中には担当科目と担当者名が記され、担当者は自著、捺印(雇外国人の場合はサイン)がなされている。この証書の左方隅に押されているのが展示の公印であり、右方隅は分科大学公印である。東京帝国大学公印による卒業証書は七万二千四百六枚にのぼる。

挿図4(aの印影)

  この印は明治三〇(一八九七)年六月京都帝国大学が創設されたことに伴い、帝国大学が東京帝国大学と改称されたために製作された。同月二二日、「今般東京帝国大学ト改称相成候二付テハ別記之通印章改刻相成可然哉」とさっそく改刻伺が出され、七月八日には各分科大学宛に大学印と学長印とが交付されていた(『検印録』、明治三〇年)。さきの帝国大学公印は文部省から交付されていたが、今回は自らが製作していたことが異なっていた。『検印録』に例示されている印刻を紹介してみよう。展示した公印の大型は、大きさ「方二寸五分」、書体は「篆書」、小型は「方一寸三分」で書体は同じである。各分科大学の印は「方二寸二分」で篆書体である。官職印は総長と工、文、理、農科の大学長印とは「方九分」。法、医科大学長印と書記官印とは少し小さくて「方七分」であった。この理由は不明である。印材に指示はないが、ほかの書類から推して本印のように石材であることに間違いはないであろう。

  ところで、この公印はどのような印であるのか。執筆者はこの点においてまったく知識がないため、印刻家である小川政一氏に本印を持参してお話しを伺った。要約すると以下のようになる。石に彫られているが篆刻ではなく、印刻である。空白部分の彫りの残りが、篆刻の場合は先の尖った鋭い刃物で削るので鋸上状になるが、そうなっていない。文字に流派、作風は感じられない。普通の篆書体の一般的な印という印象である。使用されている石は石印材の最大の産地である中国の福州の寿山から出る普通の寿山石である。このほか、印刻なのに石材に彫ったのは長持ちさせるためではなく、正確に押印できるように重たくするためであろう、とのことであった。

  現在知ることのできるこのほかの公印について述べておこう。明治二三(一八九〇)年四月二九日、文部省総務局文書課から帝国大学宛に「内閣記録局ニ於テ各官庁ノ印章該局記録ニ編入保存可致ニ付印章二葉宛回送有之度旨照会越候条現時使用ノ分外不用ニ属スルモ保存有之モノハ貴学及所属所之分トモ都テ捺印本省扣各三通宛御回付相成度此段及照会候也/追テ本文印影ハ美濃紙半紙へ六顆位宛大形ノ分ハ適宜見斗ヒ御捺印有之度且不用保存ノ分ハ別紙二御押捺ノ儀ト御了知相成度此段添テ申進候也」という照会が発せられた。これに対して五月一日付にて「内閣記録局ヨリ照会有之候旨ヲ以テ本学所用之印影御送付可及様御照会之趣承候即現今所用之分并不用ニ属スル分トモ別紙ニ押捺及御送付候條御査収有之度候也」として六十二個もの印影を送付していた。さきに掲げた挿図1、2もここから採用したものである。これらを中心にして十二個の印影が『東京大学百年史』の裏表紙を飾っているので、参考にしてほしい。さらに時期を遡ると、たとえば明治四(一八七一)年八月に「学校所用印ノ件」について照会があり挿図5を送付していた。

挿図5

  このほかに著名な印刻家による本印と同じ時期の印としては、三扶緑山による東京帝国大学附属図書館印と同工学部丁友会長之印などがある。
(中野実)


本稿執筆にあたり小川政一氏、藤山商事、日本私学教育研究所菅原亮芳氏に種々ご教示と便宜を図って頂いた。記して感謝の意を表します。

参考文献

『東京大学百年史』(通史一、二、三)、東京大学百年史編集委員会編
東京大学公文書綴『文部省往復』、『検印録』『三扶緑山印譜』、一九七二、藤山商事



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