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Kojiro Shiraishi Insect Collection. Odonata

 
Re-examination of collecting localities in the Kojiro Shiraishi Insect Collection,
The University Museum, The University of Tokyo

Shin-ichi Suda (Department of Ecosystem Studies, Graduate School of Agricultural and Life Sciences, The University of Tokyo)

緒言にも示されているように、白石コレクションの特徴として、実際の地名ではなく最寄の鉄道駅名(多くはその日の調査起点となった駅)がラベルに表記されていることがある。これは鉄道のご趣味があったことと、ご職業が西武鉄道の運転士をなされていたことで、おもに鉄道沿線(特に埼玉県西南部)で調査されていたことにより便宜的にそうされている、と生前お聞きしている。1978年に刊行された「埼玉県動物誌」(蜻蛉目は長須房次郎氏が担当)の基礎資料として纏められた「埼玉県の蜻蛉」(1974年・自刊)でも記録地名はすべて最寄の鉄道駅名となっている。また、実際の地名が書かれている場合においても、町名変更などにより、現在の同じ地名が指し示す場所と異なる場合も見受けられる。さらに市区町村(島名)以下の地名が省略されている場合もある(特に南西諸島や小笠原など)。

幸いなことに、調査に携行されていた地形図の書き込み、記録台帳(1954~1973年までの調査記録が整理されている)、標本台帳(新旧2冊ある)、環境庁第1回自然環境保全基礎調査動植物分布調査票の原本(東京都のみであるが、実際の地名とメッシュコードが記入されており、調査年月日と記録種のリストより考証可能)、研究会などの講演録(白石1995など)、記録を引用した際に考証されたもの(埼玉県2008、白石2008など)、生前の聞取り、などによって一定の範囲においては実際の地名の考証が可能であった。今後、資料の整理読込みを進めればさらに判明する場所もあると思われる。惜しむらくは常時携行され、こまめにメモを取られていた手帳が寄贈時点でほぼ全く見つからなかったことである。これが存在していればさらに詳細な情報が得られたものと思われる。

以下に、考証の結果、実際または詳細な地名が判明、あるいは判断できた場所の中で、主要かつ重要と思われる場所の一覧を示す。なおDB中の地名表記は基本的に採集当時の市区町村名、地名となっている(郡名は省略した)。

  • 「狭山湖」:この地名には3地域が含まれている。ひとつは西武鉄道狭山湖駅(現・西武球場前駅)近くの山口観音周辺で採集されたもの(記録台帳には「狭山湖(東側)」とも記載されている)。もうひとつは狭山湖の西側(白石氏は「狭山湖西側の湿地」と言われていた)で採集されたものである。記録台帳には「狭山湖(西側)」「狭山湖(裏)」とも記載されている。「狭山湖(裏)」は現在の入間市宮寺金堀沢周辺、「狭山湖(西側)」は、標本台帳の記述などから現在の入間市宮寺周辺であると判断される。埼玉県初記録のサラサヤンマやルリボシヤンマは山口観音の裏庭にあった古井戸で採集(白石, 1995)。同じく初記録のエゾトンボ(オオエゾトンボ)やハネビロエゾトンボは金堀沢が狭山湖に流入する付近に広がる湿地と草原で採集されたものである(白石, 1995)。DBではそれぞれ「所沢市山口観音」、「武蔵町(のち入間市)狭山湖西側」、とした。なお、記録台帳にある「狭山湖(北側)」は現在の所沢市三ヶ島、通称「三ヶ島湿地」と呼ばれている周辺と判断される。
  • 「入間川」:西武鉄道入間川駅(現・狭山市駅)から徒歩10分位の所の河原(現在の狭山市入間川周辺: 白石, 1995)。DBでは「狭山市入間川」とした。
  • 「元加治」:西武鉄道元加治駅から入間川を渡った先にある丘陵地(加治丘陵)。現在、駿河台大学がある周辺で採集したもの。DBでは「飯能市阿須」とした。
  • 「飯能」:西武鉄道飯能駅から天覧山と多峯主山の間の谷戸を登り、多峯主山山頂の雨乞池に至る範囲で採集されたもの。DBでは「飯能市多峯主山」とした。1960.9.10のネキトンボ(埼玉県初記録)については雨乞池で採集したことが記されているため(白石, 1995)、「飯能市多峯主山雨乞池」とした。1957.5.26のムカシヤンマ(埼玉県初記録)については、飯能駅の改札踏切に落ちていた死体を拾得したものであることが記されているため(白石, 1995)、「飯能市飯能駅」とした。
  • 「東吾野」:西武鉄道東吾野駅近傍にある沢(白石, 1995)。DBでは「飯能市東吾野」とした。
  • 「越生」:東武鉄道越生駅から5分位の所に「山吹の里」があり、その少し先の丘の上にある「六角地蔵」の麓の池と周辺で採集したもの(白石, 1995; 須田聞取り)。白石氏のアルバムに当時の池の写真が残されている(1:25000地形図「越生」では池の直近に「六地蔵(小字と思われる)」という地名が記されている。峠になっており「六地蔵峠」と呼ばれているらしい。昭和34年発行の地図には該当する位置に小さな池が記入されているが、昭和50年発行の地図では消失している)。DBでは「越生町大谷」とした。
  • 「長瀞」:秩父鉄道長瀞駅を起点として採集したもの。駅から宝登山へ向かう坂道の左側にあった水草の豊富な池(白石, 1995)と、荒川河川敷の四十八沼、の2箇所で採集しているので、DBでは「野上町(現・長瀞町)長瀞」とした。ただし、1958.8.12は四十八沼で採集したと記されているため(白石, 1995)、「野上町長瀞四十八沼」とした。
  • 「高坂」:東武鉄道高坂駅を起点として、その鉄橋が渡る都幾川がW上に蛇行した付近で採集したもの(白石, 1995: 現在は河川改修により直線化)。現在の東松山市高坂、上押垂、下押垂周辺にあたる。なお、記録台帳には「高坂」「高坂(南側)」「高坂(北側)」の3つの記述が見られ、「高坂(南側)」は現在の東松山市高坂、「高坂(北側)」は東松山市上押垂、下押垂、「高坂」はその両方を含むと理解できるが明確ではない。そのためDBでは「東松山市高坂(都幾川)」、とし、(南側・北側)の記述のあるものは備考に記入した。
  • 「東松山」:コレクションに含まれる標本(埼玉県初記録のメガネサナエ)は、東武鉄道東松山駅から吉見百穴へ至る途中で渡る市野川の橋の上から発見、採集したことが記されているので(白石, 1995)、DBでは「東松山市松山(市野川)」とした。
  • 「朝霞」:当時使用していた地形図の書き込みから、東武鉄道朝霞駅から新河岸川へ向かいその周辺(主に旧河道付近)で採集したものと判断される。かなり広範囲を歩いており、良かった場所には○、駄目だった場所には×が記されている。詳細な採集地は判らないため、DBでは「朝霞町」とした(現在は朝霞市)。
  • 「志木」:東武鉄道志木駅を起点として採集したもの。キイロヤマトンボ(標本は含まれない)については「志木の新河岸川で採集した」ことが記されている(白石, 1995)。詳細な採集地は判らないため、DBでは「足立町志木周辺」とした(現在は志木市)。
  • 「大宮市」:1957.8.13採集の標本に付されている。白石(1995)に当日、大宮市水判土へ出向きアオヤンマ(標本は含まれない)を採集したエピソードが記されていることからDBでは「大宮市水判土」とした。
  • 「指扇」:国鉄(現JR)指扇駅から荒川へ向かい、主に旧河道の付近(現在のさいたま市西区西遊馬周辺)で採集したもの(須田聞取り)。この付近は旧河道に沿って大宮市と川越市の境界が入り組んでいるため、一部については川越市側の可能性もあるが、DBではすべて「大宮市指扇」とした。
  • 「南古谷」:国鉄(現JR)南古谷駅から荒川へ向かい、主に旧河道の付近(現在の川越市古谷本郷周辺)で採集したもの。ベッコウトンボについては、白石(2008)に採集当日のエピソードが地図入りで示されている。ベッコウトンボの採集地は荒川の旧河道にできた河跡湖であり現在のさいたま市西区湯木町に接しているが、川越市側で採集したとお聞きしており、この記録は埼玉県動物誌でも「川越市南古谷付近」として掲載されている。以上からDBでは「川越市古谷本郷」とした。
  • 「コマガワ村」:国鉄(現JR)武蔵高萩駅付近。ハッチョウトンボの生息地で1956~1959年にかけて記録されている。コレクションに含まれる標本はこの場所最後の記録となる。白石(1974)では「武蔵高萩」となっており、「乱開発で絶滅した」との記述があり、長須(1978)によれば、1976年に訪れたが発見できなかった、とある。埼玉県(2008)(トンボ目の執筆は碓井徹氏)によると実際の地名は日高市(当時は日高町)女影、とされているので、DBもそれに従った。なお、ラベルは「コマガワ村」となっているが、これは旧高麗川村(1955年に高麗村と合併し日高町となる: Wikipedia, 2012a)の村名を書いたものと思われる。
  • 「ひばりが丘」:西武鉄道ひばりが丘駅を起点として採集したもの。ひばりが丘駅とひばりが丘という地名は保谷町(現・西東京市)にあり、DBではラベル等に「ひばりが丘」とあったものは「保谷町ひばりが丘」とした。
  • 「東久留米」:西武鉄道東久留米駅を起点として、久留米町(現・東久留米市)で採集したもの。駅から黒目川流域(落合川など支流も含む)一帯で採集したとのこと(須田聞取り)であったが、詳細な場所は不明のためDBでは「久留米町黒目川流域」とした。なお、当時使用していた地形図には現在の白山公園の付近に○がしてあることから(支流西妻川の源流: 東久留米市HP, 2012)、この辺りまで含まれているのかもしれない。
  • 「江古田」:西武鉄道江古田駅周辺で採集されたもの。ここでの調査結果は、白石(1958)で報告されている。江古田(えごた)という地名は隣接する中野区にあるが、西武鉄道の江古田(えこだ)駅は練馬区である。当時白石氏は江古田駅近くに居住されており(白石, 1995)、標本台帳の江古田の記録には「練馬区」、「ネ区」と書かれていること、江古田駅周辺(現在の練馬区栄町、旭丘)は1960年の住居表示法施行までは「練馬区江古田」とされていたこと(Wikipedia, 2012b)、などから、少なくともコレクションに含まれる標本はすべて練馬区産と判断されるため、DBでは「練馬区江古田」とした。なお、トラフトンボの記録だけ(標本は含まれない)は中野区江古田の国立中野療養所(当時より中に池がありそこで採集したと思われる。現在の区立江古田の森公園)で採集したことが記されているので(環境庁調査原票、旧標本台帳ではネ区?となっている)、ことから中野区であると判断される。
  • 「金町」:国鉄(現JR)金町駅を基点として小合溜(現在は都立水元公園内)付近で採集したもの(須田聞取り)。環境庁調査原票のメッシュコードから判断すると、金町駅に近い一帯(現在の花菖蒲園から旧都水産試験場付近、調査原票の地名は「水元公園」となっている)のようである。DBでは「葛飾区水元小合溜」とした。
  • 「父島」「母島」:環境庁第1回自然環境保全基礎調査動植物分布調査の一環として関係機関の許可の下、1983~1984年に採集された標本のラベルは「父島」「母島」までしか記されていないが、当時のエピソードを執筆して頂いた白石(2009)の掲載された冊子(日本トンボ学会連絡誌)の編集を須田が担当しており、バックデータとして手元にある標本のリストを作成していただいた際に詳細な地名をお聞きしていたこと、さらに苅部(2004)、環境庁調査原票の記述も併せて判明した地名をDBには示した。

References

  • 苅部治紀, 2004. 小笠原固有トンボの現状. トンボ類はいつごろなぜ減ったのか?小笠原における昆虫相の変遷. 海洋島の生態系に対する人為的影響. 神奈川県立博物館調査研究報告自然科学, (12): 31-45.
  • 東久留米市HP, 2012. 湧水探訪. (http://www.city.higashikurume.lg.jp/civic_page/gurutto/yusui/yusui.htm) (2012.11.27参照).
  • Mapion, 2012. 都道府県地図 (http://www.mapion.co.jp/map/japan.html) (2012.11.27参照).
  • 長須房次郎, 1978. 埼玉のトンボ類. In 埼玉県動物誌編集委員会(編). 埼玉県動物誌: 403-432. 埼玉県教育委員会, 埼玉.
  • 埼玉県環境部みどり自然課(編), 2008. 埼玉県レッドデータブック2008動物編. 286 pp. 埼玉県庁, 埼玉.
  • 白石浩次郎, 1958. 江古田付近の蜻蛉, TOMBO, (1): 6-7.
  • 白石浩次郎, 1974. 埼玉県の蜻蛉. 32pp. 自刊, 東京.
  • 白石浩次郎, 1995. 埼玉のトンボ初記録の思い出. 東京トンボ研究会第1回勉強会講演録. シブチャン, (2): 3-13.
  • 白石浩次郎, 2008. まさかの河跡湖,連載蜻蛉今昔その1. Pterobosca, 14A: 14.
  • 白石浩次郎, 2009. 恐怖の一夜~そして楽園へ. 連載蜻蛉今昔その3. Pterobosca, 15A: 10-11.
  • Wikipedia, 2012a. 日高市. (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AB%98%E5%B8%82) (2012.11.27参照).
  • Wikipedia, 2012b. 江古田. (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A4%E7%94%B0) (2012.11.27参照).
  • 行政区画変遷一覧表(2012年サイト版), 2012. (http://divisions.jp/)