「マケドニア」の墓群

古代ギリシアにおける埋葬建造物の特殊カテゴリー

マリア・ツィビドゥ・アブロニティ


 マケドニアにおいてここ40年間に行われた体系的な発掘調査、あるいは盗掘や土木工事が予期せずもたらした発見によって、その地にかつて繁栄していたいくつかの中心的都市(ヴェルギナ、レフカディア、ディオン、テッサロニキ等)近郊の個人・集団用を合わせて80基以上の埋葬建造物が注目されつつある。これらの墓は大半のものがマケドニアとギリシア北部で発見され、また主としてマケドニア王朝が絶頂期にあった前4世紀半ばから前2世紀前半ごろに作られたために、「マケドニア様式」という特殊なカテゴリーを構成している。しかしながら、ほとんどの墓が王や地方諸侯・領主と近い距離にあった者たちのものであると見られることから、同様の政治・社会的条件を持っていた古典期の他の地域(小アジアやエジプトのアレクサンドリア)においてもこれらの墓を見ることができる。Fig.147

 構造や装飾、副葬品の豪華さから判断するに、それらの墓は古代ギリシアにおける最も印象深い葬祭建造物である。そしてほとんど全てのものが主に古典期に略奪されているのにも関わらず、それらはマケドニア建築・絵画の重要な証拠資料であり、かつまた、当時の社会機構や埋葬習慣をも示唆するものである。


13 マケドニア
Karte von Makedonien(nach M.Andronikos,Vergina-The Royal Tombs,Athens 1989)



14 ギリシア:マケドニア墓型の分布
Verbreitungskarte des makedonischen Grabtyps in Griechenland(nach S.Miller,The Tomb of Lyson and Kallikles,Mainz 1993)


 1977年と1978年の秋に、ヴェルギナにおいて盗掘を免れた2基の王家の墓が発見されたが、これは大変意義のあるものであった。というのも、この場所はマケドニア王朝のかつての首府であり、代々の王の聖なる埋葬地であったアイガイであると同定されているからである。「ファサードを持ち2室から成るこの大きな墓は、アレクサンダー大王の父であり、かつ最も偉大なマケドニア王のひとりであったフィリップⅡ世のものである」というアンドロニコス教授の仮説は、これらの特徴的な建造物の研究を活気づけた。

 1987年の、素晴らしい大理石製玉座のある2室から成る通称「エウリュディケの墓」の発見も同じく非常に価値のあるものであった。玉座の背部分に描かれた独特な絵、また部屋の後壁の印象的なイオニア様式の偽ファサードも素晴らしいが、建築構造ならびにその建造推定年代が早期であることも注目に値する。発掘者は、これが前340年ごろのものであると確信をもって推定したが、そうするとこれはマケドニア様式の墓としては知られるかぎり最も古いものであることになる。さらに直方体構造のようにみせかけつつ半円ヴォールト天井を備えた初期の墓の構造が、この種の構造の原型がアレクサンダー大王の遠征後のものであるとしていたそれまでの定説を覆すことにもなった。また別角度から見れば、すでに前4世紀から社会的要因により地中墓が過度に拡大し続けてきたマケドニアにおいては、ヴォールトの発明は土の荷重を支えるために不可欠であったから生じたにすぎないのだということを我々に確信させてくれるものでもある。

 マケドニア様式の墓は、ひとつかふたつの墓室から成る地中建造物と言える。それは完成されて葬儀が済んだ後に、土によって覆われて錐状のトゥムルス(墳丘)の形にされた。Pl.57主室には通例、死者を安置するためのひとつあるいは複数のベッドがあった。ときには火葬がまず行われ、遺骨は特別賛沢な骨壷(あるいは箱)に入れられた。そしてそれには常に貴重な副葬品−女性用宝石類、男性用武具、銀や粘土製の容器、ランプやさまざまな小像、またときには金製の優雅なディアデーマ(冠帯)やリースなど一が共に収められた。いくつかの墓では何度も埋葬がくり返されていることから、これらの墓は主に、一族のメンバーを代々葬った家族墓であることが示される。

 これらの建造物は常にヴォールト天井を持ち、それが入念に作られたファサードとともに墓を特徴付けている。簡素な墓の場合は家の形をしたファサード(無装飾のペディメントあるいはアーキトレーブに加え、中央には出入口を備える)を有していた。しかしながら、それ以外のたいていの墓はドーリス式あるいはイオニア式神殿の形を模して作られ、付柱あるいは片蓋柱とそれに対応するエンタブラチャーも付けられていた。Pl.58-59

 建造においてはたいてい粗く多孔質の石が使用され、それは大理石にみせかけるように白漆喰の層によって覆われていた。マケドニアにおいて大理石は比較的稀少であり、そのため扉やその枠、敷居部や墓の内部構造−例えばベッドや玉座など−のような特定部分を装飾するためにだけ使われた。またファサードと墓内部の建築的特徴は多くの場合、さまざまな色彩によっても強調された。赤、紺、ピンク、緑、紫、黄土色、黒などが白の下地漆喰の上に彩色され、稀ではあるが壁面の大部分が印象的な絵画で装飾されることもあった。それは、いまや失われた古典期・ヘレニズム期における美術の貴重な証拠資料となっている。

 壁画はたいていの場合フレスコ画法によって仕上げられた。もっとも部分的にはフレスコ画法とテンペラ画法の両方が使われているときもある。石灰漆喰の2層から成る基質(上層の方がより薄い)の上にデザインが描かれた。石灰漆喰はゆっくりと乾燥するため画家はこの間に絵を完成させることができ、顔料もこの間に漆喰層に浸透し色彩を安定させていった。ともあれ、マケドニア貴族社会における、大きな墳丘の中に死者を埋葬するという他のギリシア都市には見られない習慣こそが、墓をあらゆる気候変化から守り、内部における一定気温を保ち、壁画が今まで保存される条件を生みだしたのである。


15 ヴェルギナ:フィリップの墓の復元図
Rekonstruktionszeichnung des Philippsgrabs in Vergina
(nach M.Andronikos,Vergina-The Royal Tombs Athens 1989)


 前5世紀末から前4世紀ごろに確立された手法で描かれた絵画装飾のある大きな壁面が、今でも保存されているような古典期とヘレニズム期の建造物は、ギリシアにおいては他には見当たらない。したがってマケドニアの墓は、古典後期・ヘレニズム期の建築および古代の大型絵画に関するきわめて貴重な情報源なのであり、この点で我々の古代ギリシア美術の知見に大いに貢献し得るのである。    (訳:松田 陽)

(テッサロニキ考古文化財監督局)
Maria Tsibidou


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