東京日々新聞 第三号
掛詞や縁語を駆使した文章は、のちに三世柳亭種彦を襲名し、一派を率いた戯作者転々堂主人こと高畠藍泉の筆になるもの。お絹と情人嵐璃鶴を前景に、後景屋外に石見銀山請け合い(ねずみ取り)の旗を持った男を配するこの構図は、後続するお絹の物語の挿絵にしばしば取りいれられた。
図269 東京日々新聞 第三号
鶸雉ハ己が/羽色の美なるに/愛て遂に溺るる水/鏡。曇なき身も恋ゆへ/に狂ふ意の駒形町。舟板塀に竹格/子好風な住居の外妾ハ。原田/於絹と呼れたる弦妓あがりの淫婦手折れ易き/路傍の花に嵐の璃鶴とて。美少年なる俳優と/兼て姦通なしたりしが。女夫とならん情慾に迫て發る/悪念ハ頓て報ひて己が身の罪状を掲示紙幟に形も/似たる紺木綿。石見銀山請合と白く染たる鼠取地獄おとしの/謀計に東家を毒殺なしたりしが。天網いかでか/免るべき。男ハ懲役婦ハ梟首。野末のつゆとはかなくも消て朽せぬ臭名を彼山鳥のながながしく世伝るぞ/浅ましかりけり転々堂誌
東京日日新聞 第三号「捨札ノ写」
明治五年(一八七二)二月二十三日
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
小塚原の刑場でお絹が処刑された明治五年は、いまだ梟首刑の廃止以前であったために、彼女の首は三日にわたってさらされた。さらし首をかけた梟木の傍らには人名や罪状を記した木札(捨札)が立てられることが通例で、この記事はその内容を報じたもの。
図270 夜嵐阿衣花廼仇夢
吉川俊雄閲、岡本起泉綴、孟斎芳虎画 初編
明治十一年六月〜第五編同年十一月、金松堂
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
『東京さきがけ』のつづき物「夜嵐於絹の話」を合巻化したもの。ここでのお絹は手品を使う女芸人から大名の側室を経て、のち金貸し金平の妾となるまでにいくつもの殺人を犯す典型的な「毒婦」として描かれている。吉川俊雄は『さきがけ』の主幹で、起泉の合巻の多くに閲者として名を連ねる人物。
図271