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[ニュースという物語]


新吉原大なまずゆらい

東京大学地震研究所蔵
大鯰と小鯰の親子を殴りつける花魁達。鯰親子を左上から助けにきたのは、地震で儲かった大工・鳶・左官たちである。吉原遊郭も地震によって大被害をうけたが、いち早く仮営業を開始、江戸の復興景気が盛り上がると、儲けた人々は吉原に戻ってきた。そのため、花魁や遊女が地震鯰を歓迎する鯰絵も出版されている。

新吉原大なまずゆらい
図215

新吉原大なまずゆらい

「此なまずめうぬがおかげで
百ぜにお六まいなくして
しまったそのかハりに
ぶちころしてくつて
やるぞ
「こいついかしておくものか
かなぼうでぶちころせ
ぶちころせぶちころせ
「いめいめしい大なまずめ
せツかくいい人がくるばんに
あばれやがつた
にくらしいなまづめ
たんとぶてぶてぶて
「此なまづめすかねへやつだ
おいらのきやくをとこへ
やらまいなくした
だせだせだせ
たいこ
「此なまづめうぬ
がおかげで
ことしいツへいくいこみだ
はやくぶちころして
くつてしまへくつてしまへ
なまづ「をいらんたちに
のられてうれ
しいよううれしいようれしいよ
そんなにのると
またもちあげるよ
いすぶるよ
いいかへ
いいかへいいかへ
「此なまづめ
みやあがれ
みやあがれみやあがれ
「あれじれ
たいなまつに
はねられた
にくいにくいにくい
「こいつめこいつめ
こいつめこいつめ
「あれ此ひけを
はやくぬいて
やつてをくれ
にくらしいよ
「こてふどん
こてふどんは
やくめの玉を
きせるでおぶちよあげはどん
はやくおりてひげを
つかミなんしや
こてふ「此なまづめわちきが
をいらんにもらた
あるへいをどこかへ
やツてしまいやかツた
ぶちころして長助
どんにくツてもら
うや
「まちねへまちねへまちねへ
おれがとめた
とめたとめた
「まツて
くれまツてくれまツてくれ
「おいおいおい
そんなにぶち
なさんなぶちなさんなぶちなさんな

 

為麻疹

文久二年(一八六一)江戸ではしかが流行を題材とする錦絵が多数出版された。それらは現在『麻疹絵』と呼ばれている。本図内の麻疹絵を売る男のセリフ「上下そろいまして十文で六せんでござい」は、麻疹絵の値段を示すものとして貴重である。

為麻疹
図216

為麻疹

あたり方
大関 うさいかく やくしゆや
関脇 まじなひ うまやのべつとう
小結 いそがしい ゐしやさま
前頭 あちらこちら やとひ人
前頭 ではらひ かごや
前頭 くすりニなる かるやきや
前頭 はらがきく みびやうのゐ候
前頭 三年ごし ふるたくあん
前頭 くろにかぎる にまめ
前頭 うといがまし なし
前頭 ふだんによし くずの粉
前頭 うす■らゆ■かんぴやう
為蓐麻疹 勧進元まじなひ房事
はづれ方
大関 うらひまだ 女郎や
関脇 あげてがない げいしや
小結 あくバきへすきしてんや
前頭 のりてがない ふなやど
前頭 こいつァおなど ひやつこい
前頭 かんげへもんだ てんぷらや
前頭 しこミおすこし そばや
前頭 まぐろハよしな すしや
前頭 ひるからだよ ゆや
前頭 たばねるばかり かみゆいどこ
前頭 うれねへのう さかや
前頭 人がでないよ さかりば
さてもないないつまらない
こんどのはしかハのがれない
しかしいのちにべつぜうない
どこのおゐしやもひまがない
どくだておおくてたべものない
やおやさかなやからうれない
ふなやどさつぱりのりてがない
かごやハよるひるやすミがない
すしやてんぷらあきなひない
にまめやはんじやうすきがない
さかやきする人さらにない
きうなつかひハまにあわない
なしやかるやきやどくがない
なすやきうりハたべてがない
むびやうな人ハせハしない
さかりばさつぱり人がない
げいしやハさツぱりはやらない
女郎やどこでもきやくがない
「きたまだエエさてもないない
つまらないヘイヘイ上下そろいまして
十文で六せんでござい
「ヤレヤレきさまハよいものをうらつしやる上下うつてくだされや
「いまいましい
あんなものを
うりやりがる
チヨごうはらナ


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