鯰の掛け軸(仮)
東京大学地震研究所蔵
復興景気で多くの人々が潤うと、鯰絵の中の地震鯰は、「悪者」から「善き者」へと一八〇度変わり、鹿島大明神になり代わって絵の主役となった。多くの被災者が、劇的に変化する鯰絵を見て、地震は「世直しである」と確認した。だが鯰絵には、復興景気を謳歌する人々への痛烈な風刺が見られることも無視できない。損をした人々は、それを見ることで溜飲を下げ、儲けた人々は、俄景気は生命や財産を失った犠牲者のおかげであるという事実を感じとったのである。
図203 鯰の掛け軸(仮)
そもそも是ニ奉掛一軸ハ
鹿島要之助地震ニ筆を取て
画せ給ふ一ぢく也天動七度地しん
古代より度々といへ共頃ハ元禄
十六年十月二十一日のらりくらりとゆり始め
もうかんにん要之助大石ニて取ておさへしの
近頃信州京都大坂の地しんひようたんなはなしの
やうに聞伝ひ此度之地しんニ大驚き
鯰てすべつて火事上る是等のうなき
すくわんか為要之助地しん筆尊像也
一度拝する輩家けう出情酒を鯰
なら家を鹿島と守る尊形也
霊宝ハくらりくらり
大津ぶれぶし
鯰のたいこもちが、三味線に合わせうかれ踊っている。絵の上部に書かれた戯文は、地震によって多くの人々が潤い、金持ちの財貨が貧しき者に分配された社会状況全体を戯画的・冷笑的に描いている。この様な諧謔的要素も、鯰絵の特徴である。
図204 大津ぶれぶし
「たいそふ
おしつぶれ
火事出来
たいがいゆりくずし
仮たくおやまハ無事(ぶじ)の花
わらんじハ高(たか)くなり
土蔵の鉢(はち)まき皆(ミな)ふるひ
ぎやうてんし
土をばたかくつみあげて
あら木の板(いた)も直売して金もうけ
職人手間をバおさへ取り
役者(やくしや)のこんきう旅(たび)を売(う)り
かね持ほどこし跡(あと)よからふ
大鯰江戸の賑ひ
東京大学地震研究所蔵
鯨に見立てた地震鯰が小判の潮を吹きあげ、人々が歓喜する。地震よけのまじないや鹿島大明神は、画面から完全に姿を消している。護符的な鯰絵は、余震が終息して復興景気が盛り上がると、その役目を終え、変わって復興景気と世直しを謳歌する鯰絵が好まれた。
図205 大鯰江戸の賑ひ
大鯰江戸の賑ひ
鯤鯨(くじら)は七里(ななさと)を潤(うるほ)ハし
鯰(なまづ)は四里四方を
動(うご)かし諸職(しよしよく)の腕(うで)を
振廻(ふりまハ)させ自在(じざい)に儲(まうけ)さする
うへ銭車(せにくるま)のめくりよくして
富貴草(ふうきくさ)の花をちらし生芝(おひしバ)の
芽出しを茂らせ貧福(ひんふく)を
交(まじ)へて正斧(しやうきん)を下(くだ)すとかや
大国のつち
うこかして
市中へ
宝の山を
つむそ
めでたき「くじらだくじらだ
此まへ品川へ
きたより
よつぽど
ゑらいゑらいゑらい
「ヤアつなミかと
おもつたら
ゑらいなまづだ
ヨウくるくる
まつびらだ
しかしゆり
かへし
よりハ
よからう「うまく
一ばん
ついて
くれ
「はやくこいこい
見せものにだす
つもりだここへ
つけつけ
きてくれろ
「人にミせるにハ
なりたけ大きいのが
いいが此あいたのときハ
大きすぎた