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[ニュースという物語]


戊辰の役(仮)

明治元年(一八六八)一一月一日
五稜郭の闘いともいう。函館にある旧函館奉行庁舎であった五稜郭に、旧幕臣榎本武揚らがたてこもり、新政府軍に抗戦した戦い。榎本らは新しい政府をこの地に樹立する志であったが、翌年五月政府軍の攻撃を受けて投降。これによって戊辰戦争が終結した。この段階になると、歴史的な合戦になぞらえて話の筋道をつけるといった江戸時代的な表現をとる必要がなくなり、戦闘がストレートに記述される。

戊辰の役(仮)

爰に明治元辰年十一月朔日徳川脱走ノ
人艦一艘松前ノ大洋福山より
東南白神洋へ相見へ候ニ付こふ台より
ごふはつ発し候処津軽藩ノ旗章押立
候故しばらく見合る折から次第ニ右ノ艦
ちかづき見れば旭ノはた印故炮はついたして
よきやあしきやはかりがたく其内脱走ノものと
見切て三熕台一時に打出し賊勢よりも打
火焔漲り■夜ノ如く福山勢より四十八斤ノ
大炮賊艦くるまニ当りたちまち
傾覆ノ様子にて逃さり白神ノ岬を
すぐる時わづかに一ぱつ打て其まま
とふくしりぞき■[虫喰]る夫より右艦同日未ノ刻
福山より五り福嶋村海岸へ又々相迫り
兼て出張ノ陳代蛎崎民部惣隊長鈴木鐵太郎
両人尽力防戦いたし申ノ下刻ニ賊艦傾
ついに敗走ニ及ひ同夜脱走勢陸軍ノ
先鋒百五十人あまり知内村出立ハキチヤリ
といふ所迄侵入候ニ付福山勢隊長渡辺氏副隊長
目谷小平太一小隊ヲ引率して小舟に棹さし
小田西村より上陸間道進げきあんやに
しやうじて知内村に宿陣之賊脱ノ様子を
見るに十分けたい酊飲之体ニ付臨時ノ
計を以高声に大隊すすめといふをききつけ
あハてふためく其内にたんぺいきうに打入て
ざんじに六十人あまり切たほす内ニ金の
ゑぼしに紫の衣を着したものあり是ハ
大将と見うけ候又ふらんす人の死がい二人有
其外手負銃卒分の様子福山勢十分ノ勝利にて
引上ケ此戦争其敵三千余味方
三百人ニて目ざましき戦なり
其時
手負 副隊長 目谷小平太
戦死 銃卒荒井幾三郎
手負 同三浦清八郎
浅手 銃士浅利岑八郎
深手 同三浦此浩
同 同加藤健次郎
浅手 同穩高長蔵
同 同海野兼三郎
同二重橋より二里東一ノ渡り十五丁ほど隔て
野戦之時安田張一郎手
農兵治介一人討死
同夜山崎筋戦之時
手負銃隊長鈴木織太郎
同徒士吉村弥一郎
戦死 戦士
宮嶋承之丞
四日五日ノ戦自大落城之節
隊長田村量吉城中において切腹 戦死大砲係り
塚崎龍衛
戦死戦士蛎崎吉右衛門砲台係り池田修也
深手戦士牧田津盛浅手戦士園藤拝次郎
手負付■恩田耕造同蛎崎勘之丞
浅手戦士
駒木根平次郎戦死医師藤竒自然
銃卒
切腹自割難波藤二郎手負同佐藤繁二郎
手負同熊谷延太郎同同鈴木和作 

戊辰の役(仮)
図202
同十二日戦手負一人
戦死足軽二人
同十四日戦手負一人
戦士隊長氏家丹宮
同徒士田中作右衛門
 
深手徒士
岡羊平手負石川新吉
戦死水牧西村光二郎
松前勢討取
脱走ノ大将
小笠原壱岐守
 
戦死銃卒
小林をとへ
同従者寅吉
戦死三浦撰
 
脱走隊長
榎本釜次郎
同和泉
松平太郎
菅沼三一郎
成瀬藤十郎
大川弥惣次郎
中原昇
人見勝太郎
大原金五郎
富士見喜之介
本山小太郎
中目造酒之介


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