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[新聞錦絵の情報社会]


東京日々新聞 第九百十七号

(吉備大臣を演じる市川団十郎)
河竹黙阿弥の傑作『吉備大臣』は、吉備真備が遣唐使として中国に渡った時の話である。芝居の宣伝ポスターともとれる新聞錦絵である。

東京日々新聞 第九百十七号

芝新ぼりの戯場河原嵜座に/おいて吉備大臣支那物語と題し/たる新狂言を取仕組めり吾朝の/吉備大臣日唐の間に於て/云々の儀に付唐の玄宗皇帝に/迫つて貢金を出さしむるの場を演するの大臣に/扮するハ雷名の市川団十郎なりと聞けバれいの/能弁を以て安禄山等との議論妙なるべし/作者ハ有名の河竹翁なれバ定て興ある事ならんと評せり

東京日々新聞 第九百十七号
図149

大阪錦画新聞 第十号

(板東彦三郎の大岡芝居を華族の大岡某が観劇)
新聞錦絵には珍しい上半身のみの肖像である。大首絵を思わせる絵柄である。

大阪錦画新聞 第十号

東京築地新富町の/芝居新富座ハ評判/よく天一坊が大当りにて/ことに彦三郎の大岡越/前守の役が大当りだとて/先日も華族の大岡さんが見物に/いかれた時に大岡さんより彦三郎に贈られた歌ハ
  此度遠つ親の在務の時刑律を整しことを今の開化の/御代にあたり其事柄をありしままに守田何がしの/座にて業おぎになしけるを見て
 其功すぎし昔の花なれどのこるかほりをしたふ嬉しさ

大阪錦画新聞 第十号
図150

新聞図会 第十七号

(実川延若が盗人に泰然と応対)
普段着の役者を描いた一種のゴシップであるが、芝居の一場面を思わせる構図である。

新聞図会 第十七号

大阪俳優実川延若道頓堀筑後芝居ニて鏡山/岩藤の役をなさんとせしに豈はからんや病に/罹り桃谷なる別荘ニ出養生中五月二十三日午前/三時強盗来つて枕辺ニ立ち金子渡すべしやと/白刃をさし付るニ流石ハ立者の/座頭株少も騒がず宝悖つて入ル/ものわ又悖て出づと有合小遣/六十余円と金銀をちりばめし/時計莨入の類一つも残さず之を/興へて聊憂る色なしと是常ニ/侠気を事とし強勇大胆を/真似し徳ならんか全快の上/其事を作り入レ新狂言を/発明せば一しほの大入ならん/と其全愈を祈るものわ/ほりへ川の辺りニすむ/都鳥遊人

新聞図会 第十七号
図151

歌舞伎新報 第二号

(外国人から贈られた引幕)
東京にいる外国人が守田氏が持つ芝居小屋・新富座へ、以前に招待された礼として華麗な引幕を贈ったという話。
『歌舞伎新報』は明治十二年(一八七九)二月に創刊された歌舞伎専門雑誌で、この新聞錦絵はその宣伝版だと思われる。

歌舞伎新報 第二号

諸新聞でも噂の有外国人から新富座へ送つ/た幕ハ地が紫の絹で松竹梅の丸の中へ差渡/六尺有かたばみの紋が三所色糸の縫でいつ/もの宛名の所へ守田氏と白糸で縫た書ハ市/川万庵先生が書れたので巾が四布程あり升/下に在東京外国人中と有て實に目覚しい立/派な物其外に横濱の蘭人中から送つた天幕/ハ地が萌黄色の輪こに天鳥で真中ハ座元の紋/左右ハ古代模様の内から竺仙さんが見だし/たと云かたばみ草の様な風流な紋を金糸と/いろ糸で縫出て真富座長守田氏へ在横濱蘭/国人中よりの文字を横に双べて左右へ割て/白糸縫にした眼を驚かす程の物で有升扨引/幕へ添て来た手紙の訳大略ハ去明治十一年/六月該座再造開業の節在東京外国人を御招/待且御厚遇下され其寸報迄に引幕一張を呈/上するよし右任人のエー、ゼー、エス、ボールス。ヘンリー、/ホン、シーボルト。トマス、マツクラチ。の三人より書き送り/たり誠に該座の光栄面目ともいふべし
 新富座場割ハ本読の日遽に変り一番目ハ四幕に詰め二番目/を加ることに定り中幕の勧進帳も半四郎の役(義経)が家橘になる

歌舞伎新報 第二号

図152

 


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