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図140
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勧善懲悪錦画新聞 第十六号
(困窮した女に外国人が銀を恵む)
神戸の居留地にいた英国人であろう。帽子にステッキ、白いズボンに上着というのが当時の西洋人男性の一般的ないでたちとして受けとめられていたらしい。
勧善懲悪錦画新聞 第十六号
去る五月十九日の夜或る英人/神戸四の宮辺を通りかかりしに/木かげに婦人の涕泣悲歎/有様英人見かねて立より/何事にやと尋ぬれども言語不通/なれバ始末わからずされども困苦に/せまりて身をも捨んとする形勢おのづから通/ぜしにやそぞろに気のとくに思体にて洋銀一枚を/とりだし是を恵ミ明朝わが館へ来るべし舎内にハ日本人もあまた有バ/なを委しく様子を聞とりて助成のしかたもあらんと懇にいひて立別れけり/翌朝カノ婦人をしへのままに英人が館舎に尋ね来りて日本人につきて/前夜の/恵ミを謝し/なを委細の様子を/問ハれていふ様ハわらハもと/横濱にて豆腐屋の娘お梅といふ者なるが夫に随ひて當港へ/来たりしに不仕合うちつづき終に夫におき去りにされ夫の行へを/尋ぬれどもめぐりあハず横浜に帰らんと思へども今ハ一銭のたくハへなけれバいかんとも詮かた/なく死ぬより外なしと覚悟きハめし折から異人様のお恵ミにて地獄で佛とうれしさのお礼に/まいりましたといふに英人そのよしを聞なをさらあハれミさらバ故郷へ送り帰しとらせんとミつから/舩切手を買来り金一円を添へて婦人にあたへ横濱へ送り帰せしとぞ縁もゆかりもなき/ものをかく迄に深切に世話する英人のこころざし実にかんずるにあまりあり希ハくバかかる困/窮のものハ英人の助けによらず区戸長の注意にて送り帰したきもの也と或人いへり |