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[新聞錦絵の情報社会]


東京各社撰抜新聞

(ドイツ皇孫が新富座御遊覧)
引用紙や号数が不明な新聞錦絵のシリーズ。版元は永久堂山本平吉。この号の絵師は梅堂国政。他の新聞錦絵とちがって囲み枠がない。

東京各社撰抜新聞

独逸皇孫新富座御遊覧之図
明治十二年六月四日夜独逸孫殿下新富座演劇御遊覧/向正面中央ハ皇孫の御着坐午後七時臨出あり實齢十七年/位。当夜待遇の縉紳ハ有栖川の宮同御息所白川宮同/伏見宮同。三條公岩倉公伊藤公井上公寺島公榎本/公野津公楠本公玉乃公各国公使不残華族方ハ鍋島/伊達蜂須賀の三君東西上下の桟敷にハ華族方外国人/其外高土間平土間とも一面の見物なり程なく/第八時頃より開場第一回伏見新関の場常盤(半四郎)/宗清(左團治)今若(菊之助)乙若(源平)番卒(梅五郎門蔵)/一谷陣屋之段熊谷(團十郎)相模(高助)/藤の方(小紫)軍治(鶴助)弥陀六(伴蔵)/義經(宗十郎)市原野の場保昌(左團治)/袴垂(菊五郎)次ハ惣座中両花道より/練出し長唄にて元禄風の所作事終て/菊五郎の伊達奴後に紅絹繻絆の取巻/出て花傘の所作立見事に午後十時に/閉場になりました

東京各社撰抜新聞
図112

大阪新聞錦絵

東京で新聞錦絵が流行するとまもなく大阪でもこれをまねて新聞錦絵が次々と発行された。ただし、大阪の新聞錦絵はいくつかの点で東京と異なっている。まず版型が大判の半分の大きさである。また特定の新聞に依拠したシリーズは少なく、新聞錦絵独自の題名と号数が各シリーズに付けられた。

明治八年 大阪錦画新聞 第十二号

(婚礼に異議を唱える男が乱入)
右上の紅白を基本としたデザインの四角い旗がこのシリーズの目印。明治八年前半に発行されたらしい。この号は版元が阿波文、絵師は笹木芳瀧である。右手前で腕をまくり上げている男、左手に白無垢で突っ伏している花嫁、ふすまの向こうで悄然としている花婿、人間模様の縮図である。文を書いた正情堂九化は、大阪四つ橋付近の扇屋の主人・安田吉右衛門であった。

明治八年 大阪錦画新聞 第十二号

教ゆべし婦女子の親。慎べし情欲の道/東京深川御船町のことにやありけん/十五の年をむかへたる。娘に婿と/定めたるハ。勝田作治郎とて。けふ吉日の婚礼に。表ぐハらりと/一人リの男。誰に遠慮も媒酌迄。けちらすばかりニ上座へなをり/皆さん聞れよ当家の娘。おとくと夫婦の約束を。したのハ/おれが一番地。清水といへる苗字なら。泥をぬられた此つらを/洗ッてくれろと威張けれバ。四海浪さへ津波のごとく/大わくらんに盃の。九度にハあらて三々こツぱい。罵る者ハ/誰ならんと。つくづく顔を宮本と。いへる男に覚えある/娘も今ハ面目も。なくにもなけぬしたらなりけり

右正情堂九化誌

    綿帽子き娘ならで媒約や
     親の天狗の曲るはな嫁  芳瀧

大阪錦画新聞 第十二号

図113

 

 

大阪錦絵新聞 第四十号(五歳の天才児)

天使がかかえる縦長の題号がこのシリーズの目印。表題が前の『大阪錦画新聞』と類似しているため、一緒に扱われている場合もある。この号は版元が石和で、笹木芳瀧が描いている。娼妓と子供の対比によって画面を華やかにしている。大人顔負けの子供というのも新聞錦絵によく描かれているテーマである。

大阪錦絵新聞 第四十号

文明のとくたるや四歳や五歳の幼童が書を読文字かき和歌を詠ミ/説教なして老人によく理をさとすも有ノ又生れながらにして怪力の奇童など/諸新聞紙上に見へたりここに又第三大区十二小区新町南通り一丁目の/客舎大林長治郎の男徳太郎ハ五年四ヶ月なりしが諸経一切を/となふる事妙なり法華経大般若其外諸宗の経文も老人にも/勝となへぶり又鳴ものも上手にて日毎題目をこたりなくとなへるとは/南無妙なるかな又奇なるかな/芳瀧筆

大阪錦絵新聞 第四十号
図114


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