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特別展

建築が伝えうるもの
特別展『メディアとしての建築 - ピラネージからEXPO'70まで』開催に寄せて

菊池 誠


ロンドン万博会場『水晶宮』の内観
図1 1851年のロンドン万博会場『水晶宮』の内観
 東京大学総合研究博物館では、2005年 2月5日から5月8日まで特別展『メディアとしての建築   ピラネージからEXPO'70まで』を開催する。

 展示されるのは、18世紀の建築家・版画家であるG・B・ピラネージの版画コレクション(東京大学付属図書館亀井文庫)や、1851年ロンドンで開催された史上最初の万国博覧会から1970年大阪開催の日本万国博覧会にいたるまでの、歴史上のいくつかの万国博覧会の建築に関する印刷物資料、模型、映像などである。

 展覧会タイトルを「メディアとしての建築」としたものの、建築を含むあらゆる人工物がメディア、つまり情報媒体としての役割を担っていることは実は当たり前のことである。とはいえ、たとえば紙上に印刷されヨーロッパ各国にローマ土産として持ち帰られたピラネージの建築版画は、当時地面の上に実際に建てられたどの建物よりも、同時代および後代のヨーロッパの建築思潮に大きな影響を与えた。また、万国博覧会の建築は国家や企業の産業技術力を広く人々に向けてPRすることをもっぱら主要な目的としてデザインされた。前者は、なかば考古学研究の成果なかば芸術家の想像力の産物として紙の上だけに存する描像である。後者は、博覧会というお祭りのために作られた期間限定の一時的な構造物である。それにもかかわらず(それだからこそ、か)それらはそれぞれ何らかのメッセージを伝えるべく、メディアとしての性格が際立つように作られたのだ。極端に言えばメディアたることだけが、それらの存在理由である。そのために、エッフェル塔のようにもともと一時的な博覧会建築として建てられたものが、たまたま取り壊しの運命を免れると、それ自体で19世紀のパリ  ということはほとんど世界の文化の中心である  を代表するようなモニュメントになってしまう。

 こうした事例を通して、本展覧会用の図録に翻訳掲載した20世紀の巨匠建築家ル・コルビュジエの遺稿である「思考のほかに伝えうる何ものもない」というテクストの中でも使われている、トランスミッシブルつまり伝達可能であること、についても考えてみたいと思っていた。まだ深く考え抜いたわけでもなく詳述は避けるが、トランスポータブルつまり物理的に持ち運び可能、抽象的には移植・転用可能であるものだけがトランスミッシブルであるのではないかという、いささか地口のような仮説を私は持っている。

 ところで、本展覧会の準備をする上で二点ほど気づいたことがある。

 1970年の大阪万博は、ピラネージで始まる本展覧会を締めくくるハイライトとしたいと考えていた。だが、日本が高度成長期の真只中にあって、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返していた時期のイベントであるから、ひょっとしてあまり資料が残っていないのではないかとも恐れた。ある意味、この悪い予感は的中した。各方面の方たちから話を伺って、興味深く貴重な情報はいろいろと得られた。大量に産み出されたドキュメントを残そうと苦労されている方々は公的機関にも私企業にもおられる。だが、あれだけのビッグイベントにしては、広くアクセス可能な形で残され整理されている資料の質・量は少ないのではないか、と私は感じた。いずれは必要になるはずだから、20世紀の後半という時代の日本や世界の(建築に限らないが)文化資源を「発掘」し、「20世紀の考古学」を今から始める必要があるのではないか。おおげさに聞こえるだろうが、本稿を書きながら、私は結構真面目にそう考えている。

エッフェル塔 建設過程
図2 パリ万博(1889年)のために建てられたエッフェル塔 建設過程

 感じたことの第2点。当初、展覧会の展示物として写真は弱いと思っていた。立体物の方が、訴える力がある。そのこと自体は、今でもそう考える。が、実は資料としては写真が一番残っていて、しかも写真にはきわめて多くの情報量が含まれているのだという当たり前のことに、だいぶ後になって気付いた。オリジナルだけが持つオーラはないものの、複製技術時代の芸術形式の代表である写真というものを、遅まきながら見直さざるを得なくなったのである。実は、この事実は、仮設的・一時的な性格しか持たない建物や紙と印刷インクの重さしか持たない描像が、大地の上にしっかりと踏ん張り永続する記念碑になりかわって、メディアとして思考を伝達する役割を大きく果たすことがありうるのではないか、という仮説にもとづいて組み立てられた展覧会には相応しいことだと、今では思う。

 ところで、これは図録にも書かなかったことだが、その複数形がmediaならぬmediumsになる場合のmediumの意味は、「霊媒、巫女」である。「メディアとしての建築」という展覧会企画をあたためている間、私の頭の片隅には常に、この此岸と彼岸をつなぐもの   それもまた確かに媒体である  のイメージがあった。同時開催されている『Systema Naturae—標本は語る』展が、自然の多産性、生命の豊穣を展示するのと対比的に、本展覧会においてはある種のネクロポリスのような雰囲気を展示室に醸し出すことはできないかと、私は密かに望んだ。ピラネージ描くところの栄華を極めた古代ローマ帝国が廃墟と化した姿も、また過去の数々の万国博覧会も、どこかしら「兵どもが夢の跡」ということを思わせてならないからだ。

 本特別展開催にあわせ、公開セミナー『建築・メディア・博物館』を2月7日(月)から10日(木)の4日間、午後5時半から午後7時半まで総合研究博物館講義室で開催する(聴講無料、事前申込等不要。詳細はハローダイヤル03−5777−8600まで)。

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(本館客員教授/建築学)

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Ouroboros 第26号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成17年1月30日
編集人:高槻成紀・佐々木猛智/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館