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新規収蔵品展示

江上波夫先生旧蔵ユーラシアコレクション

西秋 良宏


湖塩を運ぶ無数の牛車
図1 湖塩を運ぶ無数の牛車
(モドン・ホドックにて、1931年7月30日撮影)
パオ脇にたつコチト族の王女、王子
図2 パオ脇にたつコチト族の王女、王子
ユーラシア人文研究の泰斗、江上波夫本学名誉教授(1906-2002)が集められた考古民族コレクションが関係する蔵書とともに総合研究博物館に寄贈された。
 江上先生の功績は著しく多岐にわたっている。日本古代史に波紋をなげかけた騎馬民族征服王朝説の提唱以外にも、考古学、東洋史、美術史、民族学など多くの分野で長く語り継がれるべき業績をあげておられる。遅く生まれすぎた筆者には、その全てを語ることなどとても無理である。ご経歴など詳しく知りたい方には、1991年の文化勲章受章を祝って関係者が開催した『人間江上波夫展』(NHKプロモーション)の展示図録、あるいは 1994年に献呈された米寿記念論集(『文明学原論』山川出版社)、1995年出版の自叙伝(『学問と夢と騎馬民族』日本経済新聞社)などが格好の参照資料になるであろう。ただし、それらとて生涯現役でおられた江上先生の大きさを知るには十分でない。

 先生の活動の広さや学問の多彩さは、今回の寄贈資料にもよくあらわれている。先に考古民族コレクションと述べたが、実のところ、この資料はそれが正しい言い方かどうかは疑わしいほど様々な品物で構成されている。朝鮮半島からヨーロッパにいたるユーラシア諸国で集めた考古美術文物、大陸の風俗や遺物を写したガラス乾板・大判ネガなどの写真類、モンゴル・チベット古文書断片、絵画や掛け軸、各国の絵はがき、民族音楽レコード、旅の先々で面会した各国首脳からの贈物をふくむ民芸品、さらには各地で拾った岩石、押し葉にした草花等々が総計約1060件(4000点)、そして漢籍、ハングル、モンゴル語など東アジア諸国語で書かれた考古美術、歴史民族関係図書がダンボールに500箱ほどもある。半世紀以上にわたってユーラシア大陸を歩き続けた江上先生でなくては集められなかったコレクションであることはあきらかである。

 中東考古学を専攻する筆者にとって、コレクションに含まれていたイランの先史土器やシリアの土偶などにまず目がむいたのは当然である。だが、それ以上に深い感銘を受けた標本群があった。江上先生が戦前に内蒙古(現中国領、内モンゴル自治区)で実施された野外調査時の収集品である。

 「漢代匈奴の文化」と題した卒業論文を東京帝国大学東洋史学科に提出後、江上先生は東亜考古学会留学生として北京に渡られた。1930年(昭和5)、24歳の時のことである。同学の学生らとすぐさま三次にわたる内蒙古の考古民族踏査を敢行し、その本格的な学術探検の必要性を悟るや学会の幹部を説き伏せて人類学の横尾安夫を団長とした調査団を編成。そして1931年6月28日には地質学の松澤勲、言語学の竹内幾之介らとともに団員として踏査に加わり8月27日までの二ヶ月間、総行程1150キロの蒙古高原横断の旅に出られた。その後、1935年にも踏査は繰り返された。その際の走行距離は2500キロにおよんだ。また行路で見つけた元代オングト族の王府址であるオロンスム遺跡では1939年、1941年の二次にわたる調査隊をひきい発掘も手がけられた。そんな内蒙古の先々で採集したり購入したりした考古民族標本、古文書類、撮影した写真類が寄贈品の中にたくさんあった。この内蒙古旅行が騎馬民族説発案のきっかけになり、さらには歴史を常に大陸的視野で見つめ続けた江上先生の学問を形作った調査でもあったろうことは言うまでもない。

ラマ教の仏具 蒙古語文書
図3 内蒙古で得たラマ教の仏具
図4 オロンスム出土の蒙古語文書

 

ゴビ砂漠
図5 ゴビ砂漠
(三徳廟近郊、1935年9月19日撮影)

 二度の旅の仔細は『蒙古高原横断記』(朝日新聞社、1937年)という瀟洒な大型本にまとめられている。この探検記には、調査隊をどうやって組織したかという実務の記録から旅先で見た風俗、自然、遺跡に関する所見が、調査日誌、写真、実測図などを添えて細部にいたるまで記載されている。今回の寄贈品の入手地や入手法、写真の撮影場所を調べるためにこの本を読み返すうち、わきあがる既視感を抑えられなくなってきた。日本の中東考古学関係者なら誰でも知っている『オリエント-遺跡調査の記録』(朝日新聞社、1958年)が思い浮かんだのである。江上先生を代表として1956年から57 年にかけておこなわれたイラク・イラン遺跡調査の最初の報告書である。グラビア写真、日誌、論文などで構成された本のスタイルはもとより、そこに書かれている調査団の編成法や現地での交渉、調査方法など随所に内蒙古旅行の経験がみてとれる。第一次イラク・イラン調査団は17名で構成され、期間11ヶ月、その踏査距離は延べ10万キロにも達する壮大なものであった。戦後初の海外人文調査として組織された本邦未曾有の大調査が見事に成功をおさめた秘密の一つが、蒙古高原の旅で得た江上先生20代の経験にあったことをしみじみ感じ入っている次第である。

 今回寄贈されたコレクションは江上先生が集められた標本のごく一部である。本学退官後に館長を務められた古代オリエント博物館や、晩年、横浜市に寄贈なさった標本・蔵書をもとにして2003年春に開館したばかりの横浜ユーラシア文化館などでも江上コレクションをみることができる。また本学東洋文化研究所在職中に残していかれた海外調査資料は、既に10万点以上、総合研究博物館に保管されている。今般、若かりし頃の内蒙古コレクションが加わり、総合研究博物館は江上先生退官前の海外調査資料の大半をそろえることになった。伊東忠太や鳥居龍蔵など人文科学海外調査の傑物は早くからいたものの、多分野の専門家を組織した総合型調査の開始はおそらく江上先生を嚆矢とする。今に続く江上流フィールドワークの原点ともなった内蒙古踏査に関わる学術標本や記録が得られたことは、本学海外調査の基地の一つである総合研究博物館にとってたいへんよろこばしいことと思う。

新規収蔵品展示
「蒙古高原の旅— 江上波夫コレクション」展
開催期間:2005年2月5日(土)〜5月8日(日)
開館時間:10:00〜17:00 (入館は16:30まで)
       月曜日休館
会  場 :総合研究博物館 2F展示ホール
*入場無料

江上先生から直接お教えを受ける機会は失してしまった私たちだけれども、残されたコレクションから学べることはたくさんある。学問の形見分けともいうべき旧蔵コレクションは、今後、大量の学術論文を生みだしていくに違いない。貴重な資料を御寄贈下さったご遺族の方々、なかでも江上綏氏に篤く御礼申し上げたい。





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(本館助教授/先史考古学)

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Ouroboros 第26号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成17年1月30日
編集人:高槻成紀・佐々木猛智/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館