目次 東京大学コレクション 新規収蔵品展 研究部から ニュース

 

研究部から

貝殻の美しさを破壊する悪者たちの歴史

大路 樹生


図1 キリガイダマシの殻表面に見られる捕食痕(修復痕)。バージニア州南部の新生代鮮新世の地層産。全長33.6mm
自然の作り出す美しさにはさまざまなものがあるが、貝殻の美しさも際立った物の一つである。巻貝の殻が持つらせんの形や表面彫刻に見られる形態の妙、巻貝や二枚貝の表面を彩る色と模様には目を見張るものがある。

今開かれている「貝の博物誌」をご覧になれば、多様な貝の美しさに皆納得されるであろう。貝を収集するアマチュアの数も多く、また、貝類商も存在する。全国各地の自然史系の博物館の販売コーナーなどには、関連する書籍や化石などと共に現生の貝の標本が売られているのを良く目にする。

 このように美しいと我々が感じる標本の基準は、当然のことながら貝殻に傷や破損がなく、完全に近いものがもっとも価値がある、ということになる。つまり、「傷もの」は価値が下がる、ということである。

ところが実際に貝殻の表面を見てみると、結構多くの傷が見いだされる。傷のない方が少ないのである。ではなぜ貝にはこのような傷が生じるのであろうか。この話は貝殻の商品価値を下げてしまう、貝マニアの大敵、傷の話である。私は貝マニアではないので、むしろ傷や破片に価値を見いだしながら研究を進めている。

 砂浜を歩いていて貝殻を見つけると、多くの貝殻がすでに割れて破片になっていることに気づく。また、かつて海底に散らばっていて、その後地層に埋もれて化石層となっている貝殻を見ても、破片となっている二枚貝、巻貝が多く見いだされる。

これらの破損した貝殻は、多くの人が波や水流によって割れたのであろうと想像している。古生物学者でさえ、そのように考えている人が多い。しかし実際のところ、本当にそうであろうか。

 私は大学院生と共同で、二枚貝や巻貝の殻がどうやって割れるのか、そしてそれは地質時代のいつ頃からの現象なのかについて研究を行っている。実は二枚貝や巻貝の殻が割れるのは、水流や波浪などの物理的な営力によるものではなく、二枚貝や巻貝の殻を割って捕食する動物たちが作った殻破壊の痕跡であることがほとんどである、という結論に達した。

そして巻貝に多く見られる傷は、殻を破壊して中身を食べる捕食者の攻撃に遭遇したものの、運良くその攻撃から逃げ出し、壊れた部分を修復した貝の経歴を示しているのである。巻貝の場合、特に搭状の高いらせんを持つ貝(キリガイダマシなど、図1)は、殻の口近くに攻撃を受けても身をずっと奥へ引き込むことができるので、かなりの確率で攻撃をかわすことができる。

すなわち、攻撃を受けても生き残り、それが傷(捕食痕)となって殻に残される可能性が高いのである。二枚貝の場合は殻が傷つくと、多くの場合それが致命傷となることが多く、破片のみが残り、捕食痕が残ることは多くない。つまりこの捕食痕は貝が生きていたときにどのくらい攻撃を受けていたかを示すバロメータともなりうるのである。

 次に、化石記録を見てみた。地層の中には浅い海に堆積し、嵐など、波浪の激しいときに海底まで波浪の波長が達して海底の堆積物が底生生物とともにかき混ぜられ、ストーム堆積物と呼ばれる構造が作られることがある。このストーム堆積物の中には頻繁に二枚貝や巻貝の化石層が挟まれることが多い。

図2 静岡県掛川市の掛川層群大日層(新生代鮮新統)に見られる破片化した二枚貝化石。
地質時代にこのようなストーム堆積物を伴うような浅海性の地層から二枚貝、巻貝の化石層を選び出し、その中に破片化した殻が含まれていたかどうかを調べてみた。対象とした地層は日本各地の中生代(2.5億年前〜6,500万年前)の地層9例と新生代(6,500万年前以降)の地層12例である。

すると面白いことに、中生代の地層のうち破片化した殻の見つかったのは1例のみで、福島県のいわき市から広野町に分布する白亜紀後期の双葉層群足沢層に含まれる二枚貝の破片のケースのみであった。この地層には二枚貝の薄い殻が角張った破片で割れているものが観察される。

これに対し、新生代の地層からの12例は、多かれ少なかれいずれも破片化した殻を含んでいた。もし殻の破片化が波浪や水流などの物理的営力によるものならば、時代によらずこのような破片が見つかってよいはずである。

 では、中生代の後半から新生代にかけてこのような殻の破片を作った犯人は何であろうか。前にも触れたが、殻を割って捕食する動物たちには甲殻類のカニ類や魚類(真骨魚類やサメ・エイなど)、鳥類、ほ乳類(ラッコやトドなど)など、多種多様なものが存在する。

しかし、これらの殻を割って捕食する動物たちが急増したのは中生代の後半以降である。これはアメリカのVermeij博士が巻貝の殻形態の変化(対捕食者的なものに変化する)に特に注目して提唱した、「中生代の海洋変革」と呼ばれる現象に相当する。つまり殻の破片はこれらの捕食動物が残した食べかすが地層に見られるようになった、と言うことなのである。

 さらに私たちは本当に二枚貝や巻貝の殻が物理的な営力で地層に見られるような破片化を生じないかどうか、アサリやキサゴ類で約1ヶ月間の撹拌実験を行ってみた。結果はアサリの殻で少数の殻に破片化が生じたが、どれも角がとれて摩滅した結果であり、地層に見られる破片のような角張った破片は生じなかった。

 以上まとめると、今まであまり注目されてこなかった地層の中の破片化した貝類や、巻貝の傷はかつての捕食者の攻撃を示す重要なデータとなりうる、しかもそれらが増加したのは中生代の後半から新生代にかけてである、ということが明らかになってきたのである。きれいな完全無欠の貝ばかりを探していたのではわからない、貝と捕食者の間の関係が、「傷もの」から浮かび上がってくるのである。

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(本館研究担当・理学系研究科地球惑星科学専攻/古生物学)

研究部から

痕跡の考古学

丑野 毅


写真1に写されているのは何であろうか?その答は後程にして。

 人々が生活を営なむということは、程度の差こそあれ周囲の環境を暮らしに都合の良い形に変革し、自分たちの目的に合った生活環境を作り出してゆくことであろう。結果、その場には人々の生活によって変化した様々な痕跡が残されることになる。

 考古学は、その場に残された様々なものを分析対象にして人々の生活を明らかにすることから始まり、それらを総合した分析・解析によって人類の歴史を解明して行くことを目的としている。その資料を得るために、発掘調査がいかに重要な位置を占めているのかは多言を要しない。研究者は調査に関わる情報を詳細に記録して、わずかな痕跡であっても可能な限り研究資料として扱うことから、出土資料には最大限の注意を払っている。

しかしながら、その資料は断片的である場合が多く、長年埋蔵されていた結果、失われてしまった情報の量もまた計り知れない。資料の表面的な観察・分析するだけでは入手できるデータにも限界がある。従って、残された資料に対してさらに詳細な観察・分析を行い、包含されている情報を十分に使い切るための方法が必要となる。

 痕跡の考古学では、遺構・遺物などに残されている削り痕や圧痕など様々な痕跡を、その痕跡を残した原体のレプリカとして復元し、考古資料に残された新たな情報として詳細な観察・計測・分析を行い、当時の生活環境や道具の製作技術を明確にする根拠を提示する。詳しくは『Ouroboros』5-3(2001.2.5)の「遺物に残された痕跡」を参照していただきたい。

 土器に付着した籾の圧痕は、縄紋時代晩期以降の資料から多くの例を観察している。痩せた籾や太った籾、殻の割れている籾や発芽しかかっている籾などもある。このような籾が土器の胎土中に入り込んでいたことによって、土器が製作されたのは、刈り取った稲穂を干して脱穀した所と同じ場所で、季節は稲の収穫が終わった後の間もない頃であったと推察できる。

写真1

写真2
 写真1に示したのは、土器を作る時に胎土に混ざり込んだ芋虫である。鉢形土器の胴部破片で無紋ではあるが、出土した層位から縄紋後期〜晩期に作られたことが解っている。

 芋虫は死後何日も経た状態ではなく、丸々と太っていて胎土に混ざるまで元気に生活していた形状をしている。芋虫と言っても、幼虫時にこの形態となる昆虫の種類は多い。従って、昆虫名が解らなければ、生活している季節や環境を確かめる事ができない。

形しか残っていないレプリカでの同定であるが、国立科学博物館の野村周平主任研究官にお願いした結果、この芋虫の名は、頭部の形状や足がないことからゾウムシ科の幼虫であるとの鑑定を得た。クリやドングリの実に付く仲間である可能性が高いようである。この状態で活動するのは晩秋から冬の終わりまでということから、土器製作はその間のことと推定できる。

 これだけの情報で決めてしまうことは難しいが、稲や木の実の収穫が終わり、燃料となる枯れた木や草が手に入りやすい秋口から、土器の製作が行われていた可能性を示唆する一つの根拠となる。

 人の手によって製作された土器には、そこら中にいっぱいに指紋が付いている、と思われているが、実はなかなか見付けるのが難しい。指紋が土器に満遍なく付いていれば、その指紋を比較分析することによって個人単位で製作者を特定することが可能となり、土器製作に関わる分析に役に立つのだが…。しかし、現実には指紋の付着例は極めて少ない。

これは土を捏ねて土器を成形している内に、指紋が目詰まりしたり、一時的に表皮が磨減したりして指紋そのものが判然としなくなったせいかもしれない。当時の生活では現代に住む我々の想像する以上に、道具として手指が使われていた事にも関係があろう。写真2の例は、弥生時代後期に作られた甕形土器の口縁部内側に付けられた指紋である。

 縄紋時代から弥生時代にかけて作られた土器の中には、底部に網代の跡や木の葉の跡が付いている例がある。網代は繊維のしなやかなヨシや篠竹のような植物を裂いて作った編み物で、木葉と共に土器を作製する際、回転をスムーズに行うために底部に当てて用いたと考えられている。

土器底部に残された網代痕を観察すると、裂かれた面が胎土に食い込んでいることがわかる。ヨシや篠竹などを裂いて作った網代なら反対の面は滑面となり、土器は製作台の上をスムーズに回転させることができる。

 同じく木葉痕を観察すると、葉脈の明瞭な裏面の痕跡が土器に残されている。従って土器の製作台と接するのは葉の表になる滑面側であり、網代の場合と同様の効果があったと推定できる。葉の種同定ができれば、製作した季節や環境を推定するための材料にもなる。

 このように、土器に残されている痕跡からレプリカを起こし、それを観察・分析することによって、具体的な情報として根拠を提示することができる。分析資料を保存することにより後からの検証もできることから、様々な視点による検討も可能となろう。

 ここでは割愛したが、施紋に使われた道具の復元にも有効であり、土器以外の遺物・遺構に対しても十分に応用の利く方法であることも検証している。

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(本館研究担当/総合文化研究科助手)

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Ouroboros 第19号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成14年9月20日
編集人:佐々木猛智/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館