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年代を測って40年 東京大学放射性炭素年代測定室の歩み

吉田 邦夫


四代目の新品より初代の方が今でもきれい!

図1 気体比例計数管
図1 気体比例計数管;初代のもの。今でもぴかぴかしています。

初代測定装置 TYPE PNR054
Manufacture Belge de Lampes et de Mat riel
Electronique Soc. An., Bergium
システム構成
比例計数管:PNE051
容積2.2l(実効容積1.0l)
直径109mm×515mm
前置増幅器:PNB016
増幅器:PNB701A
波高分析器:PNG013B
計数表示器:PNC202
高圧電源:PNA201
電源:PNA001A
年代測定室には、40年前に導入された初代の放射性炭素(炭素14)年代測定装置が保存されています。ベルギーのM.B.L.E社が製作したものです。本体の気体比例計数管とそのカバーは、クロムメッキされ今でもぴかぴかしています。昨年度末に納入された四代目が、ステンレス鋼の荒肌をむき出しにしているのに比べると、美術工芸品のようにも見えます(図1)。

回路はすべて真空管。デジタル表示も、当時は発光ダイオードはおろか、数字が光る表示管もなかったので、こんな真空管が使われていました(図2)。

東京大学の炭素14年代測定

東京大学における炭素14年代測定は、1960年度から3年間続いた科学研究費機関研究交付金で始まります。交付金は総額850万円ほどで、当時主流だった気体試料のβ線計数法による年代測定装置を購入したのです(図3)。装置は、理学部アイソトープセンターに設置されますが、1967年総合研究資料館(現総合研究博物館)が新築されると、地下に年代測定室が設けれ、そこに移設されました。

機関研究が終わった後も、研究班が運営に当たることにして、1962年に「東京大学C14運営委員会」が発足しました(C14;今では14Cと書きますが当時はこのように表記していました)。研究班、委員会は7部局4研究所から構成されていました。

その後、1966年に「東京大学C14編年委員会」と名称を変え、翌1967年2月に評議会の議を経て正式に「東京大学放射性炭素年代測定装置委員会」が発足することになります。今も、この委員会のもと当館地下年代測定室で測定が行われています。

世界の炭素14年代測定、そして日本へ

炭素14年代測定は、1946年シカゴ大学のLibby博士が、自然界に炭素14が存在することを予測したことが発端となります。翌年実際にそれを検出し、その後エジプトの資料など年代がわかっているものを測定して、炭素14年代測定が信頼できることを示します(1949)。そして、様々な分野の資料を精力的に測定し、1951年から次々と年代値を報告するのです。博士は1960年ノーベル化学賞を受賞しました。

日本では、早くも1951年に、東京大学、理化学研究所、学習院大学の合同チームが科学研究員による研究を始めます。実際の測定は理化学研究所、次いで学習院大学が先鞭をつけます。学習院大学では、1955年アメリカから、Libby博士が使っていたもののそっくりさんを輸入します。これらの測定装置は、炭素の固体を計数管に塗りつけて測定するものでした。

こんなところに核実験の影響が!!!

図2 数字標示管
図2 数字標示管;数字のうしろが光ります。
折しも、大気圏内核実験が続けざまに行われていました。放射能を持つ雨や塵が降っていました。これが年代測定を何年も遅らせることになります。測定する炭素粉末にくっついてしまい、炭素14の放射能は弱いので何を測っているかわからなくなってしまうのです。もちろん、核爆発でも炭素14は出来るのですが、これは敵の内に入りませんでした。二酸化炭素の形で漂っていれば、大きな影響はありません。もっとも、大気中の炭素14濃度は1964年には通常の約2倍となり、現在でもまだ、1.1倍前後という水準にあります。つまり、後の世で年代測定しようとしても、1954年から2000何年かまでの遺物の年代を決めることは出来ないのです。

ともあれ、核実験降下物の影響を逃れるために、測定試料を気体にする方法が採られました。学習院大学では、1959年から年代測定値を産出することになります。東京大学での始動は翌年からでした。

気体による炭素14年代測定装置

当館年代測定室の装置は四代目になりますが、試料を気体にして測定する原理はほとんど変わっていません。

初代  1960年度購入
二代目 1971年度更新
三代目 1980年度更新
四代目 1999年度更新

炭素14は、放射性炭素と呼ばれているように、5730年で半分の数になるように規則正しく壊れていきます(これを半減期といいます)。この時、β線を出しますが、その正体は電子です。飛び出してくる電子を検出すればよいのです。これらの装置では、資料の中の炭素からアセチレンガスを合成して、測定器に詰めます。円筒の中心に細い金属線が張ってあり、数千ボルトのプラスの電圧をかけておきます(センターカウンター)。炭素14原子が壊れてマイナスの電気を持つ電子が飛び出すと、金属線に引きつけられます。この時、途中のアセチレン分子に次々と衝突して、これまた電子を叩き出すことになります。この電子達もプラスの電気に引きつけられ、他の分子に衝突します。このようにして1つの電子がねずみ算式に増えて、中心電線に到着します(電子なだれ)。これを検出すればよいのです。

それでも、炭素14は、はかれない!

炭素14は炭素原子の中に、わずか1兆分の1しか含まれていません。1gの炭素を使っても、1分間に14個しか壊れないのです。3万年前の資料では、わずか0.4個になってしまいます。わたし達の身の回りには、沢山の放射線が飛び交っています。ウラン/トリウムなどから出る放射線や宇宙線です。これらを防がないと、炭素14のβ線は見えません。そのために、二つの工夫をしています。

1)測定器を厚い鉄や鉛の壁で囲って、放射線を吸収してしまうのです。四代目は、厚さ25cmの鉄を着ています。約6トンの質量です。

2)これだけでは、透過力の強い宇宙線の一部を吸収することが出来ません。そこで、測定器の外周部分に20本以上の金属線を張ります(ガードカウンター)。外から来た宇宙線は、両方のカウンターに信号を与えます。これは偽物です。本物の炭素14の電子はエネルギーがそれほど大きくないので、センターカウンターだけが数えます。つまり、両方同時に数えたものは、偽物として除くわけです。これを反同時計数法と呼んでいます。この方法で、バックグラウンドは、1分間に1個以下になり、3〜4万年前までの資料を測定することが出来ます。

こんなものを測ってきました

図3 初代年代測定装置
図3 初代年代測定装置;ベルギー、M.B.L.E社製
記念すべき第1号試料(TK-1)は考古学資料でした(年代測定機関では、それぞれ世界的に認められた機関コードをもっています。東京大学ではTK、AMS法による値はTKaを使用しています)。年BPは、Libbyの半減期5568年を用いて、1950年より何年前かを示します。

TK-1 4,970±80年BP(1966年9月10日)
横浜市南堀貝塚
(1955年発掘、代表和島誠一氏)
竪穴住居の炭化材 諸磯A式土器を伴う

この年代値を含めて、1966年9月から1967年7月までに測定した16資料についての年代値が、1968年に出版されています。 1968, “University of Tokyo Radiocarbon Measurement I”, Jun Sato, Tomoko Sato, and Hisashi Suzuki, Radiocarbon, 10, pp.144-148。

その後約30年の間に、1000件の年代値を決定してきました。その中で、最も引用回数が多い年代値は、おそらくこの2件でしょう。

TK-99 18,250±650年BP(1970年12月18日)
TK-142 16,600±300年BP(1974年12月11日)
沖縄県港川石灰岩採石場のフィッシャー、人骨が出土した粘土層に散在した木炭片

当博物館が所蔵する港川人骨については、後年筆者らがAMS法によって人骨を直接に年代測定しようと試みましたが、骨中にコラーゲンがほとんど残っていなかったために、まだ測定できていません。歯を使えば測定できる可能性があります。是非チャレンジしたいと思っています。

どんな分野のものを測ったのでしょう?

部局、研究所ごとの測定数は次のとおりです。文化史系に☆をつけました。

文学部68
理学部化学4.
人類26
地質77.
地理311.
教養学部宇宙地球科学67.
文化人類186
地震研究所48.
東洋文化研究所45
生産技術研究所11.
宇宙線研究所6.
海洋研究所151.
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合計1000.
 自然史系675.
☆文化史系325.

3分の2が自然史系の資料ということになります。この傾向は、どうも一般的なもので、コマーシャルベースの測定ではもっと極端に差が広がるようです。

両方の測定が出来るのは東大だけ!

最近、極微量で測定できるAMS(加速器質量分析)法が脚光を浴びています。東京大学でも筆者らが、1985年からAMS法による炭素14年代測定を続けてきました。数年前に更新した新AMS装置による測定が、幾多の試練を乗り越えて、昨年10月頃から、やっと満足できる状態になってきました。すでに、1998年後半から、委員会でもAMS法による資料を受付ける準備をしてきました。国内で、両方の測定法を使うことが出来るのは、この年代測定室だけです。

図4 計数管の原理 図5 四代目
図4 計数管の原理;炭素14が壊れるときに放出するβ線(電子)をガス増幅して電気信号に変えます。 図5 四代目;小型化、コンピューター化していますが、原理は変わりません。図3に相当するのは、中央後方の部分。6トンの鉄しゃ閉の上に乗っています(中に計数管が鎮座しています)。左はアセチレンガスを計数管に出し入れする真空ライン。

AMS法では、微量の資料で測定できますが、そのために、注意しないと試料の局所的な影響を受けて、誤った情報を取り出してしまう恐れがあります。極論すれば、ちょっとでも炭素が含まれていれば、何らかの「年代値」が得られてしまうのです。

β線計数法は、AMS法の1000倍もの試料が必要になりますが、逆にそのため試料全体の平均的な値を得ることが出来ます。炭素14年代値から暦年代へ較正するためのデータが、すべてこの方法によって得られていることからわかるように、その信頼性は極めて高いものがあります。

四代目では、必要な試料の量を10分の1以下に減らす、新しい測定器の導入を試みています。今後とも、二つの方法の、それぞれの特色を生かした測定がすすめられ、共存していくものと考えています。

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(本館助手/考古理化学・年代学)

  

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Ouroboros 第10号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成12年2月29日
編者:西秋良宏/発行者:川口昭彦/編集:東京大学総合研究博物館