記録媒体としての新聞

写真記事に見る世相

 

183.日刊紙『朝鮮新聞』号外

号外、昭和八年五月一七日発行
京城、朝鮮新聞社
The Joeon-Sinmun(The Chosen-Shimbun) Special Number, 17 May 1933 Keijo(Seoul), Joseon Sinmun-sa 2pp., 550 x 405

ソウルに伝えられた「五・一五事件の全貌」である。朝鮮半島では事件直後から報道規制がなされ、丸一年して記事が解禁となった。

 

184.日刊紙『東京朝日新聞』第二号外

第二号外、昭和八年一一月九日発行
東京、東京朝日新聞社

The Tokyo-Asahi-Shimbun 2nd Special Number, 9 November 1933 Tokyo, Tokyo-Asahi-Shimbun-sha 2pp., 550 x 405

「五・一五事件」に判決が下る。第二面は多くが空欄のまま残されている。

 

185.日刊紙『読売新聞』

第二〇二一八号、昭和八年五月三〇日発行
東京、読売新聞社

The Yomiuri-Shimbun No.20218, 30 May 1933 Tokyo, Yomiuri-Shimbun-sha P.1, 560 x 405

三原山火口底を究めるという記者による「世界的大探検」の成功を報じる。特別編集となり、一面に広告が満載されることとなった。

 

186.日刊紙『大阪毎日新聞』号外

号外、昭和八年六月一日発行
大阪、大阪毎日新聞社

The Osaka-Mainichi-Shimbun Special Number, 1 June 1933 Osaka, Osaka-Mainichi-Shimbun-sha 2pp., 540 x 410

五月三一日国民政府と日本の間で塘沽停戦協定が結ばれた。これにより中国は満州国の存在を事実上認めたことになる。この写真は大連と大阪のあいだを空輸された。

 

187.日刊紙『国民新聞』号外

号外、昭和九年三月一日発行
東京、国民新聞社

The Kokumin-Shimbun Special Number, 1st. March 1934 Tokyo, Kokumin-Shimbun-sha 2pp., 550 x 410

満州帝国大典の見出し。三月一日満州国が帝国になり、溥儀が皇帝に即位した。 関東軍自作自演の昭和六年九月柳条湖鉄道爆破事件を言いがかりに満洲事変が勃発。満州国を成立させ、ラストエンペラー溥儀を執政とした。この大典で、満州国は帝政へ移行。しかし、実際は日本の植民地であった。この写真は当日朝新京を飛行機で出発し、福岡から東京に電送されたもの。

 

188.日刊紙『東京日日新聞』夕刊

第二〇七六八号、昭和九年五月三一日発行
東京、大阪毎日新聞社東京支店、東京日日新聞発行所

The Tokyo-Nichinichi-Shimbun No.20768, 31 May 1934 Tokyo, Tokyo-Nichinichi-Shimbun-hakkosho P.1, 550 x 405

日露海戦の英雄であり、昭和天皇の教育掛でもあった東郷平八郎元帥の訃報を伝える。国葬の次第もある。この記事によると、国葬は皇族以外では岩倉具視、島津久光、三条実実、毛利元徳、島津忠義、伊藤博文、大山巌、山県有朋、松方正義に次いで、十人目にあたる。

 

189.日刊紙『大阪朝日新聞』

第一九一九〇号、昭和一〇年四月二日発行
大阪、朝日新聞社大阪朝日新聞社

The Osaka-Asahi-Shimbun No.19190, 2 April 1935 Osaka, Osaka-Asahi-Shimbun-sha P.1, 550 x 405

四月六日満州国皇帝溥儀が来日する。この記事はその新京出立を報じている。

 

190.日刊紙『大阪朝日新聞』

第一九三八六号、昭和一〇年一〇月一一日発行
大阪、朝日新聞社大阪朝日新聞社

The Osaka-Asahi-Shimbun No.19386, 11 October 1935 Osaka, Osaka-Asahi-Shimbun-sha P.1, 550 x 405

一〇月三日イタリア進攻によって第二次エチオピア戦争が始まった。 一〇月七日国際連盟理事会はイタリアのエチオピア侵入を侵略と断定し、一〇日にイタリアへの経済制裁を決議した。

 

191.日刊紙『福岡日日新聞』特別号外

特別号外、昭和一一年二月二七日発行
福岡、福岡日日新聞合資会社

The Fukuoka-Nichinichi-Shimbun Special Number, 27 February 1936 Fukuoka, Fukuoka-Nichinichi-Shimbun-Goshi-kaisha 2pp., 570 x 410

陸軍皇道派将校が約千四百名の兵を率いて首相・陸相官邸、内大臣私邸、警視庁、朝日新聞などを襲撃し、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相らを殺害した二・二六事件である。記事は翌日に解禁となった。福岡発行の本紙には、悲しみにくれる高橋是清邸他の各邸の写真が、雪景色とともに掲載されている。

 

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