記録媒体としての新聞
写真記事に見る世相
175.日刊紙『大阪朝日新聞』
第一七一五六号、昭和四年八月二〇日発行
大阪、朝日新聞社大阪朝日新聞発行所 |
The Osaka-Asahi-Shimbun No.17156, 20 August 1929 Osaka, Osaka-Asahi-Shimbun-hakkosho
P.1, 550 x 410 |
飛行船ツェッペリン伯号の霞ヶ浦への着陸を、釜石沖海上で自社機から撮影した電送写真とともに報じる。霞ヶ浦には四日間滞在し、その間に多くの見学者を集めた。甲子園大会の決勝戦の告示も。
176.日刊紙『国民新聞』夕刊
第一三七四七号、昭和五年三月二五日
東京、国民新聞社 |
The Kokumin-Shimbun No.13747, 25 March 1930 Tokyo, Kokumin-Shimbun-sha
P.1, 550 x 410
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震災からの復興なった帝都を巡幸する昭和天皇の姿を報じる。
177.日刊紙『東京朝日新聞』
第一五七六七号、昭和五年三月二七日発行
東京、東京朝日新聞社 |
The Tokyo-Asahi-Shimbun No.15767, 27 March 1930 Tokyo, Tokyo-Asahi-Shimbun-sha
P.1, 550 x 405
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帝都の人出、市民公徳運動と見出しにある。写真から銀座通りの美しい景観が伝わってくる。
178.日刊紙『東京朝日新聞』第二号外
第二号外、昭和七年二月五日発行
東京、東京朝日新聞社 |
The Tokyo-Asahi-Shimbun 2nd Special Number, 5 February 1932
Tokyo, Tokyo-Asahi-Shimbun-sha 2pp., 550 x 405
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「多聞師団ハルビンへ」という大見出しとともに、特大写真が掲載されている。その上に写真の輸送経路が示されている。
179.日刊紙『東京朝日新聞』号外
号外、昭和七年二月七日発行
東京、東京朝日新聞社 |
The Tokyo-Asahi-Shimbun Special Number, 7 February 1932
Tokyo, Tokyo-Asahi-Shimbun-sha 2pp., 550 x 405
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上海総攻撃とある。第一次上海事変である。ここにも写真の輸送経路があるが、数葉の写真の中央部に報告の中尉が同乗したという自社機の写真も載せている。
180.日刊紙『東京日日新聞』夕刊
第二〇〇八九号、昭和七年七月一五日発行
東京、大阪毎日新聞社東京支店、東京日日新聞発行所 |
The Tokyo-Nichinichi-Shimbun No.20089, 15 July 1932 Tokyo,
Tokyo-Nichinichi-Shimbun-hakkosho P.1, 550 x 410
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第一〇回オリンピック大会のためロサンゼルスへ向かう日本選手団のニュース。船上とホノルルの写真を掲載。この大会では陸上の三段跳びの南部忠平、馬術の西竹一、競泳の五種目の日本選手が金メダルに輝いた。
181.日刊紙『東京日日新聞』号外
号外、昭和七年八月一三日発行
東京、大阪毎日新聞社東京支店、東京日日新聞発行所 |
The Tokyo-Nichinichi-Shimbun Special Number, 13 August 1932
Tokyo, Tokyo-Nichinichi-Shimbun-hakkosho 2pp., 550 x 410
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第一〇回ロスアンゼルス・オリンピックが七月三〇日に開会したとの号外。この写真は「開会式直後ロサンゼルス出帆のモントレー号でホノルルまで急送、八月四日朝ホノルル著と共に同日午前出帆のエムプレス・オブ・ジャパン号に積換へ房総沖で海中投下、吊り上げ本社十九号機で空輸、超特急の方法によって本社に急送したもの」とある。
182.日刊紙『東京日日新聞』号外
号外、昭和七年八月二三日発行
東京、大阪毎日新聞社東京支店、東京日日新聞発行所 |
The Tokyo-Nichinichi-Shimbun Special Number, 23 August 1932
Tokyo, Tokyo-Nichinichi-Shimbun-hakkosho 2pp., 550 x 410
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ロスアンゼルス・オリンピックの結果を伝える号外。太平洋を越えて写真が送られてきた。シアトル発の郵船に乗せられた写真の横浜到着を待たず、犬吠崎沖で自社機につりあげ空輸との説明がある。水泳百メートルで宮崎康二の優勝、河名が二位と「ワン・ツー・フィニッシュ」。八百メートル・リレーでも優勝。女子では前畑が平泳ぎ二百メートル世界新記録で二位となる。
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