第2部 展示解説 動物界
20世紀に入る前の日本産魚類の近代科学的研究とし てはテミンクとシュレーゲル (Temmineck and Schlegel) 、 シュタインダハナーとデーデルライン (Steindachner and Doderlein) などのほかは数人の外国人による断片的な情報があるにすぎなかった ( 富永 ,1988) 。これらの中で、最もまとまった形で日本の魚類をヨーロッパに紹介したのはテミンクとシュレーゲル (1843-1850) の『Fauna Japonica ( ファウナ・ヤボニカ [ 日本動物誌 ])』 が最初であった ( 松浦・瀬能 ,2004) 。その書で彼らは日本から約 360種の魚類を報告している (Boeseman, 1947) 。 明治になって日本人による日本の魚類の研究が始まった。 1884年、内村は 640種の魚類を載せた『日本魚類目録』 (未発表 ) を作製した [ 後年、時田・小林 (1967) が 579種に整理] 。 1897年には、石川と松浦が『帝国博物館天産部魚類標本目録』 に日本産魚類として 1075種を記録した。 20世紀に入るとジヨルダン (Jordan) とその弟子達に よって日本産魚類の分類学的研究が精力的に行われ、 1900年から 1910年代にかけておよそ 700種もの新種が日本から報告された (松浦・瀬能 ,2004) 。 この頃ようやく日本にも魚類分類学を専門とする研究者が現れた。東京帝国大学理科大学動物学科を1904年に卒業した田中茂穂 (1878- 1974) である。彼は日本の魚類学の基礎を築き、日本魚類学の父といわれる。田中はスタンフォード大学のジヨルダンとスニーダー (Jordan and Snyder) とともに 1913年に、『日本産魚類目録 (A catalogue of the fishes of :Japan)』を出版し、 1236種の魚類を日本産として報告した Jordan et al.,1913) 。田中自身も生涯に 170種あまりの日本産魚類を新種として発表している。 その後、 1938年に岡田・松原は『日本産魚類検索』で 1946種、さらに松原は 1955年に出版した不朽の名著と、いわれる『魚類の形態と検索 』で 2714種、 1984年に益田他は『日本産魚類大図鑑』で 3275種、そして 2000年には、中坊が『日本産魚類検索』 で 3863種をそれぞれ日本産魚類として報告している ( 表1)。しかし日本および その周辺水域には、いまだ多く未記載種 (新種)や未記録種といった未知種が数多く分布することが確認されており (400種以上が日本の魚類分類研究者によって研究中) 、最終的には日本の魚類数は 4400 種を超えると考えられている (松浦・瀬能, 2004) 。
Copyright 2004 The University Museum, The University
of Tokyo
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