第1部 第1章

自然の体系

 

変貌を遂げる自然の体系

 その後の研究は生物の体系をも大きく変えた。そうした変遷はリンネ以降の研究によって発見されたばく大な新知見を反映している。時代の節目ごとに生物界全体を網羅した分類体系を構築する試みが なされてきたといってよい。生物ばかりか自然物を体系化することは、その時代に科学が到達した水 準を示しているともいえる。

無機から有機へ

 生物が誕生したのは太古のことである。地球上なのかそれとも宇宙のどこかでなのか、それはいつなのか等々、謎は多い。多くの場合、歴史を再現することは不可能である。生物の誕生についてもこのことは当てはまる。多くの仮説や推論が提出されている。地球上の生物は地球で、そして海で誕生したという考えが一般には支持されている。

 ではその最初の生物はどのような姿・かたちをし、海の中でどのように暮らしていたのだろう。 この命あるものの誕生は生物学者ならずとも誰しもが興味を抱くことであろう。『種の起源』を書いたダーウインは1871年に友人に当てた手紙の中で、池のようなところで生命が化学進化の結果生まれた という考えを述べているが、あまりにも謎だらけの、生命起源を研究の俎上にあげようとする学者はいなかった。1924年のことであるが、ロシアの植物学者オパーリンは、『生命の起源』という小さな 本で、生命の化学進化説を提唱した。

 オパーリンの時代は、始原の生物は単純なかたちをした藻類で、それが今日と同じような環境下で誕生したと考えられていた。これに対してオパーリンは、原始地球の環境を想定し、大気を構成していた 単純な分子であるアンモニアやメタンに放射線が作用して、アミノ酸や糖など生命に必須の物質が合成 されたと考えた。そしてこれらの物質が原始の海に溶け込み、コアセルベートと彼が呼んだ液滴に入り、複雑な生命の基盤ができあがった、という説を発表したのである。

 オパーリン説から30年後にアメリカ合衆国のミラーは、生命誕生以前に地球を覆っていたと想定されるアンモニア、メタン、水素、水蒸気などの混合ガスをガラス球に入れ、稲妻に似せた放電実験を行った。夜の10時に実験装置のスイッチを入れ、翌朝にガラス球の底に黄色い溶液が溜まっていた。分析の結果はそれが最も単純なアミノ酸である、グリシンが含まれていることを明らかにした。この後、おなじような実験を繰り返す。そして20種あるアミノ酸のうち、グリシンのほか、アラニン、アスパラギン酸など7種のアミノ酸が合成されることを発見したのである。この発見は原始大気と水があれば生命の基本物質であるアミノ酸が合成できることを証明する画期的なものであった。その後、ぽう大な実験が行われ、ガラス球に入れる成分をわずかに変えるだけでアミノ酸以外の有機物であるアルデヒドも生成されることが判った。

 リンネが自然を3界に区分した時代、人類には鉱物はむろん、動物と植物の境界も明瞭であった。誰もが非生物的な物質から動物や植物の起源につながる生命が誕生したとは思いもしなかっただろう。 ミラーの実験は「自然の体系」を考えるうえでもすばらしい発見をもたらしたといえるが、ここでマーチソン村に登場してもらおう。

 1969年であったがオーストラリア南部のマーチソン村に損石が落下した。隕石はたくさんのかけらとなって飛散したが、これを集めて分析が行われた。何と17種類のアミノ酸が発見されたばかりか、その割合がミラーの実験で生成されたアミノ酸の割合とほぼ一致したのである。この分析結果は、地球以外の小惑星でも非生物的にアミノ酸が合成されることを示唆している。

 もちろんアミノ酸などの有機物ができただけで、自己増殖する生物の誕生になるわけではない。有機物から自己増殖する生物が誕生するまでにはさまざまな装置とそれが機能するために必要な物質がつくられねばならない。なかでも生命を維持する基本物質であるタンパク質、 自己増殖に必要な遺伝子の担い手であるRNAやDNAの核酸系、そして生命体のエネルギーであるATPの生成、こうした装置や物質を収納し、膜で固まれた細胞などの構造などの確立が欠かせなかった。

 オーストラリアでは東部を除くいくつかの地域にストコマトライトと呼ばれる岩が産出する。 この岩を10年以上も丹念に顕微鏡で観察分析したカルフォルニア大学力ショップ教授らは、そこに微小生物の化石を発見したのである。それは小さなビーズのように連なる小さな細胞でユレモのような現存の藍藻類にも似ていた。その発見によって、約35億年前に遡る堆積岩であるオース トラリア西部のノース・ポールのストロマトライトは、地球の生物誕生の年代を34億6500万年より前であるという推定を可能にした。しかもそのストロマトライトから発見された生物が原始的な単細胞生物ではなく、それよりは進化した多細胞生物であることから、始原となる原始的な生物の誕生は34億6500万年から38億6000万年の間に誕生したとショップ教授は推定したのだった。

自然分類から系統分類

 かくのごとく地球上の生物は、地球の誕生後に地球上で登場したものだと考えられている。およそ35 億年前に誕生した最初の生物から今日地球上に生存する生物すべてが一度も途切れることなく、細胞を介して連続して生き続けているのである。私たち人類も、その登場以前に35億年におよぶ前史があるのである。海の中で暮らしていた時代、上陸してからも今日の人類とはほど遠い姿かたちで、生きてきた時代があったのである。人類はその長い存在の中でからだは多細胞となり、脊椎を発達させ、2足歩行で、暮らすようになったが、海面を浮遊する藍藻類のように35億年前に登場したときからあまり大きな変化もなく今日にいたっている生物もある。

 ダーウインの進化論から帰納的にいえることは、すべての生物は血統的に連続していることである。 1個の生き物が受精による生命の息吹から成長を重ねやがて死にいたる一生をもつように、地球の生命、あるいはひとつひとつの「種」もその誕生から今日あるいは死にいたる成長の歴史をもつととらえる ことができる。個体の一生、個体発生にたいして、系統発生と呼ぶことができる。進化論の定着ととも に生物の分類は系統発生に則した系統分類体系へと変転した。

5界説そして3ドメイン説

 生物については、リンネがしたように動物と植物に分類する2界説が長い間支持されてきた。今日でも、生物学に携わる人を別とすれば、生き物といえば動物か植物かのいずれに属するかをまず問う。未だリンネの『自然の体系』が常識として通用しているといってよい。

 1894年になって反復説を唱えたヘッケル (Haeckel)によって生物を動物、植物、菌類に分ける3界説が提唱された。リンネが植物に分類した菌類は多くの点で植物とは異なっており、古くはギリシア時代の テオフラストスでさえ、菌類があるがゆえに植物の多くの属性には例外があると書いたのであった。菌類を植物から分離することで、植物は一層まとまりのあるグループとして再定義できるようになった。 だが、3界説は一般には普及しなかった。単細胞生物を中心に植物と菌類の境界は必ずしも明快ではなかったのである。しかしそれ以上に大きな理由は長い歴史をもちあまねく浸透した2界説をわざわざ変えることに対する躊躇である。

 こうした扶況を大きく変えたのは1950年代以降に急速に進んだ単細胞生物についての研究である。 このような状況を反映した分類体系として提唱されたのが1959年のホイタッカー (R H.Whittaker) による5界説で、1969年にはそれを多少修正した論文を発表している(Whittaker,1969) 。

 ホイタッカーの5界説はその後、1988年にマーグリスとシュワルツ(Margulis and Schwartz,1988年) によって整理された。マーグリスとシュワルツは生物をまず原核生物 (Prokaryota)と真核生物 (Eukaryota)に分ける。これを彼らは界よりさらに上位の上界(Superkingdom)という階級を当てた。原核生物上界にはモネラ界 (Kingdom Monera)だけが属し、他の4界は真核生物上界に含まれる。すなわち、プロキスタ界 (Kingdom Proctisa) 、菌界 (Kingdom Fungi) 、動物界 (Kingdom Animalia) 、植物界 (Kingdom Plantae)である。この分類体系の紹介とともに、生物が直面する環境変化の中でどのように進化してきたか、現段階での理解をマーグリスとオルンゼンスキー (Marguib and Olendzenski, 1992)は詳しく示している。

 最新の分類学説として、ウーズ (C.Woese) が提唱した3ドメイン説のことを紹介しておこう。 この説は1970年代以降盛んになるDNAの塩基配列の解析を武器とする分子進化学の立場にもとづいた 学説といってよい。1977年にウーズは細胞内のリボゾームを構成する16SリボゾームRNA遺伝子の断片をさまざまな生物間で比較すると、メタン細菌のような過酷な環境に生息する細菌の塩基配列 が、真核生物と同じ程度、大腸菌や枯草菌から異なる塩基配列をしていることを発見し、これに古細菌の名を与えた。その後この古細菌は他の生物とはまったく異なる進化を遂げた生物であることが明らかとなり、ウーズは古細菌、真正細菌、真核生物の3つのグループ(ドメインあるいはスーパー キングダム〔上界〕)に分類されるという学説(これを3ドメイン説という)を提唱した。またウーズは 1977年に3ドメイン説の立場によった6界説をフォックスとともに提唱している。

 生物学の現状を反映した分類体系はウーズの3ドメ イン説である。かたちのうえではよく似た大腸菌とメタン細菌が遺伝情報源となるDNAの塩基配列でみると全く異なるのは、他人の空似であり、並行的な進化の結果といる。こうした系統によらない類似を分子の分析を通じて明らかにしたことは自然の多様性を明らかにするという点からも画期的なことであった。

 リンネが分析した動物と植物は、この3ドメイン説では真核生物というひとつのグループに過ぎず、生物には他に2つものグループ(そのひとつは植物にリンネは分類した)が識別され体系のー画に位置づけられることになった。しかし、一方でリンネが生物と鉱物をともに自然界の一員とみた先見性 ことは改めて評価されるべきであろう。いわゆる生物と無生物の聞は一般に考えられているよりも 小さいことをその後の研究は示しているからである。

宇宙と地球の誕生

 リンネが3界のひとつに分類した鉱物界はその起源が宇宙誕生に遡ることが解ってきた。 いつ宇宙が誕生したのか、筆者の理解を超えることであり、詳細は別章に譲ることにしたい。 現在の知識では約150億年前とされるその誕生から、35億年前の生命誕生までの無生物時代、そして生命誕生後の地球の自然を統一的にとらえる方法としての自然の体系化は今日においてもその学術的意味を失ってはいない。知の体系化はどの時代においても必要であるのだ。それは次世代の学術が目指す目的を提示しているからでもあるが、それこそは共有されるべき知識であるべきだからである。 帝政期ローマの巨人、大プリニウス、そして啓蒙時代のフランス百科全書派が目指した試みの真髄もそこにあるということができよう。そして今、21世紀は新たに故きを知る時代ではあるまいか。

 

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