カミオカンデからスーパーカミオカンデへ

高エネルギー加速器研究機構  戸塚 洋二



カミオカンデの出発

 小柴先生を研究代表者とするカミオカンデ装置は1983年に観測を開始した。研究目的は陽子崩壊の探索である。理論家によると、陽子は主に陽電子と中性パイ中間子に崩壊するという(p → e+ + π0)。また、特殊な予言としてニュートリノとK中間子にも崩壊する可能性がある(p → ν + K+1 。陽子崩壊の信号数は装置内にある陽子数に比例するから、装置をできる限り大型化する必要がある。反面、陽子崩壊はまれな現象なので、じゃまな信号、特に宇宙線ミューオン2、を極力落とさなければならない。このため装置は深い地下に置く必要があるが、設置場所として選ばれたのが、1970年当時研究を行ったことのある神岡鉱山の地下だった。岩盤の安定な場所を選んで、約4000立方メートルの円筒形空洞が三井金属鉱業によって掘削された。
1 陽子崩壊は大統一理論が予言する。大統一理論に超対称性という仕組みをさらに導入すると、陽子崩壊の主要崩壊モードはν+K+になる。

2 ミューオンは電子の仲間で電子と比べると約200倍重い。

 小柴は、陽子源として安価な水を考えた。水は円筒形のスチールタンクに蓄え、スチールタンクは掘削された空洞の中に設置される。(図1)水中の陽子は崩壊時にチェレンコフ光3を発するが、その光を精度よく捕らえるため、円筒水槽の壁面に1平方メートルあたり1個の割合で光電子増倍管を取り付ける。特に、ν + K+モードは非常に微弱なチェレンコフ光しか出さないため、できる限り口径の大きな光電子増倍管を使用する。小柴は浜松テレビ(現浜松ホトニクス)に大口径光電子増倍管の開発を依頼し、50cm径光電子増倍管R3600が開発された。(図2)その製造は順調に進み、1000本が壁面に一様に設置された。(図3) 3 荷電粒子が水中での光速(c, nを真空中での光速、水の屈折率とすると、水中での光速はc/nと遅くなる)より速く走ると光を発する。光は半角約42度の円錐状に出る。光量は粒子の速度から正確に計算できる。


図1 カミオカンデのオリジナル図


図2 カミオカンデ内部

図3 カミオカンデ用光電子増倍管と小柴先生

 カミオカンデ構想は小柴によって立案され、高エネルギー研究所(現高エネルギー加速器研究機構)の支援、科学研究費補助金特定研究による資金手当等により完成することになったが、大規模空洞掘削等の工事は理学部よりはむしろ研究所の仕事ということになり、宇宙線研究所が空洞掘削、施設管理に責任を持つこととなった。

 幾多の困難を乗り越えて装置は完成し、1983年7月に実験を開始した。半年後、陽子崩壊らしきイベントが1例(p → μ+ + ηの可能性)観測され世界中が注目したが、装置の特性が精密にわかってくるにつれ、このイベントが陽子崩壊である可能性は薄れていった。2年後には、陽子は理論の予言通りに崩壊しないことが明らかとなった。すなわち、陽子の寿命は予想よりずっと長く、理論の改訂を迫るという結論になったのである。実験は一応研究目的を達成したので、ここで終了してもよかった。しかし、装置の性能は大変よく、20MeVという低エネルギー電子が精度よく捕らえていた4。最低検出エネルギーを10MeV以下に落とせば、当時問題になっていた太陽ニュートリノが観測できるかもしれない。そこで、小柴とその共同研究者は、装置を太陽ニュートリノの観測に転用することを決断したのである。1985年のことだった。 4 大気ニュートリノは水と反応してミューオンという粒子を作る。ミューオンは約100万分の2秒で崩壊し、電子を放出する。この電子は50MeVを最大値とする連続スペクトルをもつ。時々、低エネルギーミューオンと崩壊電子が同時に記録されることがあり、このとき20MeVの電子がきれいなチェレンコフパターンを作ったのが観測されたのである。


図4 改造後のカミオカンデ図


ニュートリノ観測用カミオカンデ装置

 太陽ニュートリノ観測には、いくつかの装置改良が必須だった。それらを説明しよう。

1.低ノイズ化
 太陽ニュートリノを捕らえるためには装置の最低検出エネルギーを10MeV以下に下げなければならない。それでも、太陽ニュートリノの信号レートは1週間に1イベント5と大変まれである。観測エネルギーを下げていくと、水中およびタンク外にある放射性物質がガンマ線やベータ線を放出し、それらが発するチェレンコフ光が圧倒的に多くなる。これらのじゃまものを除くため、以下のような改造作業が行われた。
5 標準太陽模型による計算値の約半分の値としたとき。

純水製造装置を増強して水中に溶解しているウランやラジウムを取り除く。
カミオカンデのタンクと空洞壁面との間(約1.5mの隙間)を水で満たし、岩盤から来る中性子やガンマ線を遮蔽する。このため、空洞内面を防水構造にする。(図4)
タンク水が空気中のラドンガスを吸収しないようにタンク上面をスチール板で覆って気密化する。また、純水装置内にあるバッファータンクも気密化して、上部にラドンガスを取り除いた空気を送り込む。

2.ソフトウエア
 低エネルギー電子を解析するためのソフトウエアを開発して、電子の位置、方向等の情報を求め、かつ環境放射線由来のイベントを排除する。

3.電子回路
 太陽ニュートリノは水中の電子と非常にまれに反応し、散乱された電子はエネルギーを得てチェレンコフ光6を発する。太陽ニュートリノの情報を得るため、散乱電子のエネルギーや、その発生場所と進行方向を測定する必要がある。このため、個々の光電子増倍管に付属している電子回路を新型に置き換えて、信号の大きさ(受光量)や光の到達時間をデジタル化して取り込む。電子の発生場所と方向はこの時間情報から求めることができる。小柴は新たにペンシルバニア大学のグループ7をカミオカンデグループに入れ、新型電子回路の責任を持たせた。ペン大電子回路は大変安定に働きニュートリノ観測に本質的な役割を果たした。
6 光電子増倍管の全光電子数で表すと、10MeVの電子は約30個の光電子を出力する。

7 Al Mann, Eugene Beier 教授他。
 以上のような装置改造作業と性能向上は大変困難で、1985年はじめに開始され1986年暮れにようやくめどが立った。そこで、同年12月25日に太陽ニュートリノのための観測を開始した。


超新星SN1987Aからの信号

 2ヶ月後の2月下旬、約400年ぶりに肉眼で見える超新星が大マゼラン星雲で生まれ、SN1987Aと名付けられた。(図5)この情報は2月25日、ペン大の理論家から興奮した文面のファックスが届いて初めて知った。(図6)理論家によれば、超新星爆発時の膨大な核反応で大量のニュートリノが発生する。ニュートリノの平均エネルギーは太陽ニュートリノよりも2倍ほど高く8、かつ数秒のバーストで来るという。環境ノイズは観測時間に比例して多くなるから、短時間に多くのニュートリノが来ればノイズを大幅に軽減できる。つまり、観測はそれほど難しくない。


図5 超新星1987Aの光学写真


図6 Biudman教授からのFAX

8 超新星は、あらゆる型のニュートリノを発生する。すなわち、電子型、ミュー型、タウ型、およびそれらの反粒子である反電子型、反ミュー型、反タウ型である。カミオカンデはこのうち反電子型をもっとも効率よく検出することができる。太陽ニュートリノは生成時電子型である。超新星からの反電子ニュートリノの平均エネルギーは15MeVで、砒素8型太陽ニュートリノの平均エネルギー8MeVの約2倍。

 そこで直ちに神岡からデータの入った磁気テープを宅配便で東大に送りデータを解析した。テープが届く前に解析手順を確立するため、大学院生によってノイズ信号を落とす簡単なソフトウエアが急遽作成された。またうまいことに、超新星ニュートリノのチェレンコフ光パターンは太陽ニュートリノのそれとよく似ているため、太陽ニュートリノ用に開発してきたソフトウエアがそのまま使用できる。2月27日(金)の夜から始まった徹夜の解析は翌日の朝に終了した。数100ページに及ぶコンピュータプリントアウトに1カ所ノイズ信号よりもずっとエネルギーの高い11例のイベントが20秒の時間幅内に来ているのが直ちに同定された。イベントは明らかに電子によるチェレンコフ光であり、(図7)超新星ニュートリノ以外このようなチェレンコフ光を作る可能性がないので、これら11イベントはSN1987Aから16万年かけて飛来してきたニュートリノの反応である、と結論づけた。その後、各イベントは詳細な解析にかけられ、超新星爆発に関した重要な情報を得ることができた。特に、超新星爆発時に中性子星が生まれたことが明らかとなったのである。

 史上初の超新星ニュートリノ観測は論文にまとめられ、3月7日(土)にアメリカ物理学会誌に投稿された。しかし、投稿直後にニュートリノの方向を天空座標に変換する式に間違いが見つかり、大あわてでまだ神田郵便局に止まっていた論文を取り返して訂正する騒ぎがあった。また、超新星ニュートリノの観測時間に1分ほどの不定性があることがわかった。コンピューターのクロックを正確に合わせていなかったのである。陽子崩壊は、10の30乗年のオーダーの時間を問題にしていたので、まさか秒単位の時間精度が問題になるとは夢想だにせず、研究者はコンピュータークロックを腕時計によって合わせていたのである。


図7 超新星ニュートリノによる信号パターンの一例



太陽ニュートリノの観測

 超新星ニュートリノの論文は超スピードで採択され、4月6日にはアメリカ物理学会誌に掲載された。これで超新星騒ぎも一段落となり、再び太陽ニュートリノ観測に向けた地道な作業に戻った。解析では、ノイズ信号に埋もれた太陽ニュートリノ信号を取り出すため、ニュートリノ・電子反応で電子が前方にはねとばされる特徴を利用する。すなわち、電子の方向を見ると、昼間は下向きで、夜は上向きになるはずである。ノイズは太陽方向に関係しないので、太陽ニュートリノと違って一様な分布を示す。そこで太陽から装置を見た方向を基準として電子の散乱角を計算する。この散乱角を横軸に取り縦軸に観測数を取れば、太陽ニュートリノ信号は角度0度に集中し、一様なノイズ信号の上にピークとなって見えるはずである。1年後の1987年暮れ、太陽ニュートリノ信号はまだ有意に見えていないけれど、太陽ニュートリノの量は理論計算よりずっと少ないことが明らかとなった。(図8)すなわち、デービスの主張する太陽ニュートリノ問題9が確かに存在することを確認したのである。1988年、ついに太陽ニュートリノの信号が見えてきた。観測数は理論予想のちょうど半分程度。デービスの結果と微妙に違うが、いずれにせよ太陽ニュートリノ問題が存在することがはっきりしたのである。(図9)
9 デービス(小柴とともに2002年ノーベル物理学賞受賞)は1960年代後半から放射化学的方法で太陽ニュートリノを観測していた。太陽ニュートリノの信号数は、理論予想の3分の1しかなく、この欠損を「太陽のニュートリノ問題」と呼ぶ。多くの研究者はデービスの実験に問題があるのではないかと疑っていた。


図8 1987年末における太陽ニュートリノの観測のデータ


図9 1990年時における太陽ニュートリノ観測のデータ。散乱の前方方向(横軸の値1付近)に太陽ニュートリノ信号によるデータの増加(ピーク)がみられる。しかし、ピーク値は、予想値の約半分しかない。

大気ニュートリノ問題

 大気ニュートリノとは、エネルギーの高い宇宙線が大気中の原子と反応して作り出すニュートリノのことで、電子型とミュー型が混じっている。大気ニュートリノはカミオカンデ装置内の水と反応して4日に1回程度の頻度でチェレンコフ光を発する。まれではあるが、陽子崩壊のチェレンコフパターンと紛らわしい信号を出すことがあるので、大気ニュートリノを詳しく調べる必要があった。

 超新星ニュートリノ騒ぎが起きる約1年前の1986年、大気ニュートリノにも異常があることがわかった。低エネルギー大気ニュートリノは、電子型とミュー型の比が1:2になるはずである10。これら2種類のニュートリノは、装置内で反応すると電子とミューオンを発生するので、電子とミューオンを識別すれば電子型とミュー型の比を求めることができる。また、装置内で止まるミューオンは崩壊して電子を出すので、崩壊電子の信号数を数えることによっても、電子型とミュー型の比を推定することができる。

 すでに1986年、データ中にあるミューオン崩壊電子数が予想の4分の3程度しか見つからないという、全く予想外の結果が見つかった。さらに、陽子崩壊探索のため電子とミューオンを識別するコンピューターアルゴリズムが開発されたので、これを元にミューオン:電子の比を取ってみると、2:1でなく、ほとんど1:1だった。
10 宇宙線と大気中原子との核反応は、パイ中間子やK中間子を作り出す。それらは直ちに崩壊してミューオンとミューニュートリノになる。エネルギーが低いとミューオンはさらに崩壊して電子、電子ニュートリノ、ミューニュートリノになる。従って、低エネルギーでは、電子型:ミュー型=1:2となる。

 大気ニュートリノは宇宙線の核反応生成物なので、その数量の計算には大きな不定性が入り込む。特に地球に入ってくる宇宙線の強度が正確に測定されていないのが第一の原因で、そのためミューニュートリノや電子ニュートリノの反応数の計算には約30%近い不定性があった。しかし、ミュー型:電子型の比をとれば、これらの不定性を打ち消すことができるので、その比は5%の精度で予想できた。ところが、観測結果は予想値の半分しかなく、全く計算と合わない。これが「大気ニュートリノ異常」である。

 もう一つの重要な観測量として、ニュートリノの方向依存性がある。地球は丸いため、上向きと下向きのニュートリノの観測数の比を取ると、地磁気の効果を無視すれば1になるはずである。この上下対称性も宇宙線の強度に依らないから数%の精度で正しいはずである。そこで、特にエネルギーの高いイベント11を取り出して、その上下対称性を調べた。上向きミューニュートリノの観測数、すなわち地球の反対側の大気で作られ、約10000km地中を通過してきたミューニュートリノが予想の半分しかなかった。このため、ミューオン:電子の比が小さくなっていたのである。しかし、高エネルギー大気ニュートリノの観測数は少なくて、万人を納得させるには至らなかった。

 このように、大気ニュートリノに関しても、精度はまだ悪いが、ミューニュートリノがその飛行距離に応じて観測数が少なくなるという、大気ニュートリノ異常を見つけることができた。ミューオンの天頂角分布12を論文として発表したのは、カミオカンデ実験も終わりに近づいた1994年のことである。
11 エネルギーが高くなると、生成された電子やミューオンの方向が親のニュートリノの方向に近くなる。またエネルギーが高くなると地磁気の効果を無視することができるので、上下対象性を調べるのに都合がよい。

12 垂直下向きを0度とし、垂直上向きを180度と取る角度を天頂角という。大気ニュートリノ異常は天頂角90度以上で観測数が半分近くになる観測結果をいう。

スーパーカミオカンデに向けて

 カミオカンデは1983年の観測開始以来、超新星ニュートリノの史上初の観測を最大の業績として、太陽ニュートリノ問題の確認、大気ニュートリノ異常のヒントなど興味深い成果を上げてきた。しかし、最初の研究目的だった陽子崩壊は発見されず、当時の大統一理論を葬っただけに終わった。超対称性を加味した大統一理論では、陽子の崩壊確率がずっと低く、予言する崩壊確率の範囲を調べきるにはさらに大きな装置が必要だった。すでに1985年、陽子崩壊をさらに調べるべく、カミオカンデの10倍のサイズを持った装置の検討が始まった。当時まだ太陽ニュートリノ観測のために装置の改造が行われている最中で、国内のいろいろなミーティングで計画を紹介しても研究者の反応は冷たかった。

 しかし、1987年の超新星ニュートリノの観測等、水チェレンコフ装置が低エネルギーニュートリノを観測する技術として大変優れていることが明らかになるにつれ、国内研究者の認識も改まってきた。また、国外の著名な研究者の支援も大きく、カミオカンデの後継機種を建設するというスーパーカミオカンデ計画は、1987年当時すでによく知られるようになった。各界の支援、特に高エネルギー研究所の大きな支援を受け、スーパーカミオカンデ計画の立案に弾みがついていった。しかし、スーパーカミオカンデの建設予算は約100億円と見積もられていたので、宇宙線研究所が装置建設、共同利用研究のための維持管理等を行うという方針が決定され、1988年理学部から3人、高エネルギー研究所から1人の研究者が宇宙線研究所に異動した。彼らのミッションは、カミオカンデを引き続き共同利用に供するとともに、スーパーカミオカンデ実現に専念することだった。余談だが、小柴が始めたニュートリノ研究は、この時点で理学部から全く姿を消し現在に至っている。

 スーパーカミオカンデの研究目的は、第一に太陽ニュートリノの精密観測、第二に大気ニュートリノ異常の解明、第三に陽子崩壊の探索である。装置の大きさは、水の透過率が許す最大の大きさに近づけることとし、50000トンの純水を使うことにした。カミオカンデの経験を元に、装置は最初から32000トンの内水槽を18000トンの外水槽が覆う二重構造とした。無論外水槽は岩盤からの放射線を遮蔽するためのもので、かつ1000mの岩盤を突き抜けてくる宇宙線ミューオンの検知、内水槽から抜け出てくる粒子の検知も行うこととした。さらに、環境放射線を最大限に落とすため、カミオカンデの経験を元に装置の高度な気密化と高性能の純水製造装置を開発した。約60000立方メートルの空洞を地下1000mに掘削することは自明でなく、事前に調査委員会を設置し、工学部教官の協力も得ながら慎重に検討を行い、大規模空洞掘削の手順も決まった。チェレンコフ光測定用光電子増倍管は、カミオカンデに使用したR3600を元に振幅、時間特性ともに大幅に改良した。

 1991年度スーパーカミオカンデ建設の予算がついに認められ、同年12月から三井金属鉱業による空洞掘削が開始された。アクセストンネルまで入れると約70000立方メートル、20万トンの岩石を掘り出す作業である。1992年には、浜松ホトニクスによる改良型光電子増倍管の量産開始、東芝による電子回路の詳細設計・製作が始まった。1995年度には、装置建設と将来の共同利用研究に対処するため、現地に神岡宇宙素粒子研究施設が発足、10人の研究者と1人の事務官が赴任した。光電子増倍管11146本の取り付けも順調に進み、1995年11月に完成式典、同12月には純水注入開始までこぎつけた。解析用コンピューターシステムは富士通に決まり、日米の若手研究者によるデータ収集および解析用ソフトウエアの開発が急ピッチで進んだ。

 1992年、アメリカの研究者がスーパーカミオカンデに参加することを許可し、スーパーカミオカンデ共同研究者は日本側70名、アメリカ側50名の約120名となった。アメリカ側はエネルギー省の資金援助を受けて、外水槽に1880本の浜松ホトニクス製8インチ光電子増倍管を取り付けて、宇宙線ミューオンや内水槽からの突き抜けミューオンを検知する部分を請け負った。

 1996年3月31日夜、アメリカ側のデータ収集用ソフトがまだ完成せず、数日間地下に泊まり込んで仕事をしていたアメリカ人に疲労の色が濃い。待望のソフトウエアがついに完成。深夜の4月1日午前0時、コンピューターのマウスをクリックしてスーパーカミオカンデは動き始めた。40人以上集まった研究者は越乃寒梅をコップに入れて乾杯、出発を祝った。

太陽ニュートリノの精密観測

 装置内純水の純度も急速に向上し、2ヶ月後の1996年5月末には太陽ニュートリノが顔を出してきた。カミオカンデの時の苦労に比べると、何かあっけないような観測成功である。

 2001年までの観測で、既に22000以上の太陽ニュートリノ信号が得られた。(図10)太陽ニュートリノ信号数は、確かに計算値の半分しかなく、カミオカンデの結果を確認できた。スーパーカミオカンデでは、エネルギースペクトルや昼夜変化等の詳しい情報を得ることもできる。しかし、詳しいデータをもってしても、太陽ニュートリノ問題の解がニュートリノ振動であるという疑問の余地のない結果を得ることはできなかった。しかし、2000年に観測を開始したカナダ・アメリカのSNO実験13のデータを結合すると、太陽ニュートリノ問題の解は、電子ニュートリノがミューニュートリノに変身するニュートリノ振動であることが確実となった。


図10 スーパーカミオカンデにおける太陽ニュートリノ観測の最新データ
13 カナダクイーンズ大学を主体とする実験で、軽水の代わりに重水1000トンを使った水チェレンコフ型装置である。重水は、太陽ニュートリノに対して軽水よりも10倍以上の性能を持つ。

 神岡に設置されたKamLANDと呼ばれる観測装置は14、遠方の原子力発電所から飛来する反電子ニュートリノの測定を2002年1月から開始した。もし、太陽ニュートリノ問題の解がニュートリノ振動なら、反電子ニュートリノが大きく減少するはずである。2002年12月、KamLANDの最初の結果は、まさに期待通りの減少を示していた。ついに、デービス、小柴の始めた太陽ニュートリノ研究は、予想もしなかった素粒子物理学の大発見に到達したのである!(図11)


図11 KamLAND装置
14 東北大学が主体となり、カミオカンデ装置を撤去した後の空洞を利用して作られた装置である。水の代わりに液体の蛍光物質を使用して、低エネルギーニュートリノの検出に水チェレンコフ装置よりも優れた性能を発揮する。

大気ニュートリノの振動の証拠

 大気ニュートリノのデータもたちまちのうちに集まった。データ取得率はカミオカンデの20倍なので、スーパーカミオカンデ1年分のデータがカミオカンデの20年分に相当する。1997年夏、ミューニュートリノの天頂角分布に大きな上下非対称性が存在することがはっきりした。また、天頂角分布のデータは、ミューニュートリノがタウニュートリノに変身するという、太陽ニュートリノとは別種のニュートリノ振動を仮定することにより、定量的に説明することができた。1998年、高山市で開催されたニュートリノ国際会議で、データの詳細な解析結果が発表された。ニュートリノ振動の証拠がついにとらえられた。

K2K実験

 大気ニュートリノの天頂角分布をみると、上下対称性からのずれが、水平方向あたりから顕著になる。(図12 atmnu-sk-zenith.ps) 水平方向はニュートリノの飛行距離にして数100kmに相当する。もし、加速器でミューニュートリノを作り数100km飛ばして検出すれば、ニュートリノ振動のため、ミューオンの観測数が30〜40%減少して見えるはずである。ミューニュートリノは、神岡の東250kmのところにある高エネルギー加速器研究機構(KEK)の陽子シンクロトロンで発生することができる。KEKの大変な努力により、ミューニュートリノ発生装置が完成し、1999年K2Kと呼ばれる「長基線ニュートリノ振動実験」が開始された。(図13 k2k-experiment)2001年までのデータを解析すると、たしかにミューニュートリノは予想値より減っていて、エネルギースペクトルもニュートリノ振動の存在を強く示している。現在、99%以上の確率でニュートリノ振動が起きていることが結論される。K2K実験は2004年まで続く。



図12 大気ニュートリノ信号の天頂角分布。緑線と赤線は、それぞれニュートリノ信号があり、なしの時の予想値。データは、ニュートリノ信号の存在をはっきりと示している。


図13 K2K実験

発展するニュートリノ実験

 ニュートリノ科学はさらに進む。2種類のニュートリノ振動、電子型aミュー型、ミュー型aタウ型、はスーパーカミオカンデの努力により確立した。ニュートリノには3種類あるから、もう一つの振動、タウ型a電子型、も存在するはずである。この3番目のニュートリノ振動を発見する実験計画が、既にわが国で始まっている。東海村に建設中の大強度陽子加速器JHFでK2K実験の100倍のミューニュートリノを作り、295km離れたスーパーカミオカンデに発射する計画である。ミューニュートリノは飛行途中でタウニュートリノに変身し、さらにタウ型a電子型振動で電子ニュートリノに変身することを観測する。このニュートリノ振動は、JHFニュートリノ実験により2010年頃には発見されるだろう。

 さらに夢はふくらむ。宇宙には、物質でできた銀河は存在するが、反物質でできた銀河は存在しない。理論家によれば、この「物質—反物質非対称性」は、ニュートリノが持つ一つの基本パラメータ「CP角」が有限の値を持つことによって説明づけられるという。さらに、このCP角は、ミュー型a電子型と反ミュー型a反電子型の2種類の振動の違いを精密に測定すれば求めることができる。実験グループの検討によれば、JHF加速器を増強し、神岡のスーパーカミオカンデをその数10倍の規模を持つ新しい装置「ハイパーカミオカンデ」に置き換えれば、CP角が実際に測定可能である。(図14)



図14 ハイパーカミオカンデ装置

陽子崩壊は正夢になるか

 理論家によれば、ニュートリノ振動を引き起こすニュートリノの微少な質量は、超対称性を加味した大統一理論にその起源があるらしい。最近の大気ニュートリノや太陽ニュートリノの観測結果を詳細に検討して、大統一理論の詳しい骨組みが解明されつつある。その新理論の直接的予言は、再び陽子崩壊である。ただし、陽子の寿命は、カミオカンデ時代と比べると10万倍程度長いはずである。実験グループによる詳しい検討によれば、ニュートリノのCP角を測定するのに不可欠なハイパーカミオカンデ装置は、新しい陽子崩壊を検知できるだけの性能を持つ!

 小柴の夢想した陽子崩壊は、近い将来ついに正夢となるであろう。




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