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江戸時代の鉱物認識とシーボルト

Mineralogy in the Edo period and Philipp Franz von Siebold

田 賀 井 篤 平
Tokuhei Tagai

明治維新以前の日本にあっては,鉱物学は本草学の一部であったにすぎない.本草学とは,主として動物・植物・鉱物を対象として,その有用性,特に薬用効果について研究する学問であった.日本の本草学の源は明の時代に李時珍によって著された『本草綱目』である.『本草綱目』を基にした小野蘭山による『本草綱目啓蒙』によって日本における本草学は完成したと言ってもいいであろう.その一方で,オランダとの交易の中から西洋の学問が輸入され,蘭学として広まったが,蘭学は本草学のような実用本位の学問体系でなく,自然史という学問体系に基づくものであった.

もとより,日本のみならず世界中で実用資源として,金・銀・銅などの金属を始めとする各種無機材料,装飾素材などは実用物として重要視され,それらを用いた産業に於ては経験的とはいえ科学的な手法が追求されてはいたに違いないが,そこに学問的な考察が行われていた形跡は認められない.

 

鉱物学は本草学とは異なり物質を取り扱う科学であり,明治維新以前の日本においては科学的知識が乏しかった結果,鉱物に関して学問的な研究はなかったといってよい.明治維新以前においては,鉱物は単に好事家や玩石家と称する人々に愛玩されたものであり,その関心の中心は外観の奇にあって,今日の学問的な研究に相当するものではなかった.動物学や植物学は,既に本草家による記載的研究が行われ,その結果,現在でも有益な参考書が少なくない.それに対して,当時の鉱物に関する代表的な書物である雲根志や本草綱目啓蒙に記載されている鉱物は極めて少なく,また学問的に参考にする物は極めて少ない.雲根志は,明和年間に近江の奇石大尽と称せられた木内重暁(石亭と号した)によって著されたが,その木内石亭によって採集され,石亭が特に愛蔵したものが和田維四郎鉱物コレクションの中に残されている.その中に鉱物学的に見るべきものは金剛石(柘榴石),貯水紫水精(紫水晶),錫リン脂(輝安鉱),各種玉髄など数個である.当時の第1級の鉱物愛好家が所有していた第1級の鉱物標本といってもこの程度であった.

江戸期の鉱物認識について,長崎の出島に滞在した2人のドイツ人による貢献を考えてみたい.一人はケンプァーであり,もう一人は日本の自然史研究に大きな影響を与えたシーボルトである.

標本収蔵庫
オランダ国立自然史博物館ナチュラリス後方の建物が標本収蔵庫になっている.
 

ケンプァー(Engelbert Kämpfer, 1651-1716)はドイツLemgo生まれの医師で,オランダ東インド会社から日本に派遣され,元禄3年(1690)9月25日に長崎出島のオランダ商館に医員として来日した.元禄5年(1692)10月31日に離日するまでに二度江戸に参府し,帰国後Geschichte und Beschreibung von Japan 2巻を執筆した(第1巻は1777年に,第2巻は1779年に出版されている).そのうち第1巻第8章に「日本の気候と鉱物」が記述されている.

「気候」の部分には,気候の概観,雨,海,渦巻き,土壌,河川,地震,火山,温泉について書かれており,特に地震,火山,温泉についての記述が詳しい.しかし,その記述は科学的と言うよりもガイドブック的であり,例えば温泉については,地名の他にその温泉の効能などが述べられているに過ぎない.後述するシーボルトによる温泉の調査が科学的であることとは際立った違いがある.「鉱物」についての記述を,記載されている鉱物種ごとにまとめてみる.

1.硫黄(Sulphur)
大量の硫黄が薩摩からもたらされる.隣接する硫黄島で採掘されているが,この島に探索が行われてから100年たっていない.この硫黄は薩摩に年間銀20チェストもたらしている.島原にも硫黄を産出するが採掘されていない.
2.金
最も良質の金を産出するのは佐渡である.高品位の鉱脈では1Cattiの鉱石から1〜2 thailの金を得る.最近では,脈も少なくなり品位も下がってきていると言われている.当地では良質の砂金も産するという.佐渡に次ぐのは駿河の金山である.ここの金鉱石は高品位で大量に産し,同時に掘り出される銅にも含まれる.薩摩にも何カ所か金山があるが,最高品位では1Cattiの鉱石に4〜6 thailの金が含まれる.また大村地区の「おおくす」湾では良質の砂金が産出したが嵐による大波で泥に埋まってしまった.その他筑後の「としの村」,天草島で金が産した.
3.銀
備後にいくつかの銀山があり,また北方の「かたみ」と呼ばれる所に良質の銀が産出する.また東方に「金島,銀島」と呼ばれる島があるとされるが詳細はわからない.
4.銅
日本で採掘される最も普通の鉱石は銅鉱石である.主として,駿河,越後,紀伊で産するが,紀伊の鉱石は世界で最も良質で仕事に適している.また薩摩にもいくつかの銅山がある.全ての銅は堺に集められ製錬される.(製錬の方法が述べられているが省略)
5.錫
錫は豊後に少量産する.錫は日本では殆ど使用されない.
6.鉄
鉄は,美作,備中,備前の境界でのみ採掘されている.大量に存在する.
7.石炭
日本では石炭の需要はない.筑前(Kujanisse)や北方に大量に存在する.
8.塩
多くの海岸地域で海水から塩を生産する.地面に囲いを作りそこの細粒の砂を充たす.その上に海水を注ぎ乾燥させる.砂が十分に塩で飽和されたと思われるまで,繰り返す.その後,砂を大型の底に穴の開いた容器に入れ新鮮な海水を注ぐ.濾過された液を煮詰め,得られた塩は陶製の容器中で焼かれる.白色になったものが使用または販売に供される.
9.瑪瑙
美麗な青色の瑪瑙やジャスパー,カーネリアンが奥州の津軽で産する.
10.真珠
日本では「貝の玉」と呼ばれる.住民は真珠に価値を見出していなかったが,中国人が真珠の首飾りやその他の装飾に真珠を用いることを好み大金を払ってから,その価値が上がった.最も大きく良質な真珠はアコヤガイから得られる.産地は薩摩や大村湾である.その他,タカラガイやアワビからも真珠が得られる.名前を失念したが,ある種の貝から大変大きな真珠が得られるが汚い黄色である.住民がタイラギと呼んでいる貝からも大変良質な真珠が得られ,有馬湾の柳川から諫早にかけて見出される.
11.石油
越後に産し,住民は脂の代わりに用いている.
12.竜涎香(Ambergreese / Ambergris)
(鯨から採集する香料であり,省略する)
13.海産物
(省略)
14.日本に産出しない鉱物で輸入されているもの
アンチモン,塩化アンモン石,水銀,硼砂(2種類の硼砂を発見したが混合物であった),昇汞,辰砂

以上のように,ケンプァーによる日本における鉱物の産出の記載は,日本鉱物誌と銘打つにはほど遠いものではあるが,当時の日本における鉱物への関心はこの程度ではなかっただろうか.金銀銅と硫黄が当時の有用鉱物として採掘されていたに過ぎないことが偲ばれる.18世紀初頭のヨーロッパにおける鉱物学の水準は,もう少し高かったことから判断すると,ケンプァー自身の鉱物への関心はもっぱら資源にあったことは間違いない.

金石學
和田維四郎訳
ヨパネース・ロイニース著『金石學』の表紙.
 

シーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796-1866)は文政6年(1823)に来日し,文政12年12月(1829)に離日後,Nippon. Archiv zur Beschreibung von Japan und dessen Neben-und Schutzländern(通称『日本』)を著わし,1832年から刊行を始めた.しかし,発行は分冊形式で1851年ころに完成されたらしい.その全容は,発行部数が少ないこともあって,あまり明らかでない.また1897年に息子のアレクサンダー(Alexander)とハインリッヒ・シーボルト(Heinrich Siebold)が第2版を出版したと伝えられている.1930年から1931年に,ベルリンの日本学会が本文2巻,索引1巻を出版した.日本学会発行のNippon. Archiv zur Beschreibung von Japan und dessen Neben-und Schutzländern は,昭和51年講談社から原文覆刻が行われ,昭和52年に雄松書店から翻訳全9巻が出版されている.

ここに出版されている『日本』の中には,日本産の鉱物に関する記載は極めて少ない.その中の「1826年江戸参府紀行」に,いくつかの鉱物標本の収集に関する記述がある.鉱物といっても,化石や岩石,温泉成分なども広く対象にしている.しかし,その記載は簡単で,単なる観察記録に止まっている.その他,旅行の途中で,何カ所か地質・鉱物に関する記述があるが,内容の程度は,鉱物誌の水準に達していない.物産として記述された鉱物も極めて少ない.肥前藩領中の産物として陶土,石炭,辰砂,硫黄,大理石が挙げられ,また豊前藩領中の産物として,銅,アンチモン,水晶及び硫黄が挙げられているのが,具体的な鉱物・資源に言及した唯一つの記述である.

シーボルト自身の関心は主として動植物,特に植物にあったようで,残念ながら,『日本』の中で,鉱物の具体的な収集品について,触れられている部分は少ない.

しかし,当時の一流の博物学者がそうであったように,シーボルトも自然史全般に深い理解と興味があったことは間違いない.シーボルトが『日本』の中で述べているように,鉱物類の収集は同行者であるビュルガーに任せて,自らの限られた滞在期間と行動上の制約などから,研究の中心を植物学においたのであろう.

 

シーボルト,というよりもビュルガーの日本に於ける鉱物研究の成果を示す資料が残されている.昭和9年にベルリンの日本学会が,所蔵するシーボルト関連の文献約300点を日独文化協会に1年間貸し出した.この際に土井正民が鉱物学に関連の深い資料をタイプして写本を作成した.この写本が,日本鉱業史料刊行委員会から日本鉱業史料集第十三期近世篇上,P. F. シーボルト(土井正民印書)『日本鉱物誌』として刊行された.この文献は『日本』には掲載されていない日本の鉱物に関するまとまった記述であり,江戸末期の日本の鉱物学の実状を知ることができる重要な資料である.土井が写本として残した「シーボルト鉱物誌」は,当時貸し出された鉱物関係書類の全文ではない.日本に貸し出された鉱物関係の資料は,東洋文庫にコピーが残されている.そのコピーを見ると,数種類の資料がまとまっており,原文はドイツ語,オランダ語で書かれている.土井の残した資料は,この中のビュルガーによって記述された,いわばビュルガーの『日本鉱物誌』とも言うべきものである.その外には,現在解読中であるがオランダ語の資料とドイツ語で書かれた鉱物標本の記載がある.

また,大沢眞澄によって記述されたシーボルト関連の鉱物(岩石・化石などを含む)標本が約800個,ライデンにあるオランダ国立自然史博物館(ナチュラリス)に残されている.これらの標本と上に述べたシーボルト文書の中の鉱物標本の記載との関係は未調査である.

東京大学総合研究博物館にはこのシーボルト鉱物誌を撮影した写真乾板が残されており,その写真乾板と東洋文庫のコピーにもとづいて土井正民の印書を参考に,シーボルト鉱物誌を概観してみる.

内容は,先ず,日本の地理学的概観を述べているが,その中に,日本に広く見られる花崗岩,片麻岩,石灰岩についての記載がある.次ぎに,鉱物の記載が続き,

石種[珪酸属,粘土属,滑石属]
鹵種
燃種[硫黄属,樹脂属]
金種[金属,水銀属,銀属,銅属,鉄属,鉛属,錫属,亜鉛属,アンチモン属,マンガン属,コバルト属,砒属]

に分類され,それぞれの種に属する鉱物名(ドイツ語とフランス語を併記)と日本の産出状況,及び主要な産地を挙げている.

中でも,最も詳しい記載は銅についてであり,別子(伊豫),南部(奥州),秋田(出羽),いこぬ(但馬),村山(出羽),銀山・篠谷(岩見),吉岡(備後),かいぶき(紀伊),金山(佐渡),おの(越前),たど(摂津)などが銅山名として挙げられている.具体的な鉱山名が記されているには銅山であって,シーボルト(あるいはオランダ)の銅に対する関心の深さを示している.ここに挙げられている鉱物は62種であるが,溶岩,石灰岩などの岩石や混合物,同一鉱物の別名などを省くと42種類である.

上記の分類法は,当時のヨーロッパのスタンダードな分類法に拠っている.明治初期に開成学校に学んだ和田維四郎がドイツの博物学者J. Reunisの著した教科書Naturgeschichte をもとに『金石学(鉱物学の旧名)』を出版した.その中に紹介されている鉱物分類法は,

第一種 燃砿類:第一炭砿属,第二石油砿属,第三硫砿属
第二種 金砿類:第四硫化砿属,第五砒化砿属,第六純金属,第七酸化砿属
第三種 石砿類:第八角閃石属,第九堅石属,第十長石属,第十一泡沸石属,第十二粘土属,第十三雲母属,第十四軽塩金属,第十五重塩金属,第十六鹽石属
第四種 鹵石類:第十七属鹵石属

となっており,大略で一致している.ビュルガーの鉱物学に対する理解が推測される.

鉱物の記載の次には,九州の温泉の分析について述べられており,島原,阿蘇,金峰山,霧島,嬉野の温泉水の色,透明度,臭い,味,比重,化学分析の結果がまとめられている.

次には,銅の鉱床についての追記,銅鉱山の現状,銅の精錬法が詳しく記されている.上記の江戸参府紀行の6月11日の記述を参照して欲しい.雄松書店刊行の『日本』の注釈によると,「男」は別子銅山を手中にしていた大阪住友家の九代友聞であるという.別子銅山や銅の精錬法については,住友友聞からの情報に基づいているのであろう.興味深いのは,最後の章に,銅から鉛を用いて銀を分離する方法が詳述されていることである.

当時の日本における銀・銅分離法の水準はヨーロッパのそれに比して劣っており,オランダが日本から輸入した銅から銀を得ることを意図していたとも推測される.次ぎに,鉱物学の水準について述べられており,参考書類として木内石亭の『雲根志』の名が挙がっている.最後の章は,鉱山の採掘について記されている.

日本産鉱物として名が挙げられているものをシーボルト文書の順番に列挙する.後の項目に記されているのは,現在の名称である.また産地としてあげられている場所を付記した.いずれも,詳細な地名は与えられていない.

I: 石類
1.Granatgarnet
2.Topastopaz
 秋田,天草
3.Scholschoerl(tourmaline)
 奥州
4.Quarzquartz
 (Amethyst)amethyst
 奥州,出羽,長崎,佐渡,蝦夷
 Eisenkiesel鉄石英
 薩摩,長崎
 Hornsteinmixtuer of chalcedony and opal
 カムチャッカ,美濃
 Feuersteinmixtuer of chalcedony and opal
 Kalzedoncalcedony玉髄
 東北地方,阿波,土佐,駿河
 Opalopal蛋白石
 讃岐,阿波,美濃
 Jaspisjasper碧玉
 薩摩
 Obsidianobsidian黒曜石
 姫路,樺太,蝦夷
 Bimstein浮石
 九州など
5.Feldspathfeldspar長石
 平戸,天草
6.Porzellanerdekaolineカオリン
 尾張,平戸
7.Schieferthon
 肥前,筑前
8.Thonschiefer
 長門(下関)
9.Glimmermica雲母
10.Hornblendehornblende角閃石
11.Basaltbasalt玄武岩
12.Klingstein
13.Lavalava溶岩
14.Specksteindichter Talk (Steatit)
 長門, Insu
15.BildsteinPtrophyllit
16.Serpentinserpentine蛇紋岩
 尾張,長門,肥後,薩摩
17.Talktalc滑石
 肥後
18.Asbestasbest石綿
 Kizui,奥州,阿波,肥前,肥後,高浜,野茂岬
19.Strahlsteinactinolite陽起石
 土佐,阿波
20.Kalksteinlimestone石灰岩
21.Kalkspathcalcite方解石
22.Kalksintercalcite
23.Erbsensteinaragonit/calcit
24.Kalktuf
25.Nautespath
26.Flussspathfluorite蛍石
27.Gipsgypsum石膏
28.FraueneisGips
29.Schwerspathbarite重晶石
II:  鹵類
III: 燃類
30.Schwefelsulfur硫黄
31.Erdolpetroil石油
 越前
31.Braunkohle褐炭
 本州北部
32.Schwarzkohle石炭
 肥前
33.Mineralien Holzkohle九州各地無煙炭
(明治初期の石炭の分類は,泥炭,褐炭,石炭,無煙炭であった)
34.BernsteinSuccinit琥珀
 奥州
IV: 金類
35.Gediegen Goldnative gold自然金
 佐渡,薩摩,備前,但馬,奥州,出羽
36.Zinnobarcinnabar辰砂
 奥州
37.Natürlich Amalganamalgamアマルガム
38.Gediegen Silbernative silber自然銀
 薩摩
39.Spiesglanz u. Arseniksilber
 佐渡(金山)
39.GlaserzArgentit
 備中
40.Gediegen Kpfernative copper自然銅
 秋田
41.RothkupfererzCuprit
 南部
42.KupferglasChalcosinCuprit
 秋田
43.BuntkupfererzChalcopyritBornit
 南部,秋田
44.KupferkiesChalcopyritBornit
 南部,佐渡
45.Fahlerz四面銅鉱
(Tennantite, Tetrahedriteの区別はされていない)
 別子
46.Kupferlasurlazurite藍銅鉱
 出羽,南部
47.Malachitmalachite孔雀石
 樺太
48.SchwefelkiesPyritpyrite
49.Magneteisensteimagnetite磁鉄鉱
 出羽
50.Magnetischer Eisensandmagnetic sand砂鉄
 肥後,薩摩
51.EisenglanzHaematit赤鉄鉱
 阿波
52.Roth und BrauneisenoferLimonit (?) eisenocher褐鉄鉱
53.EisenniereHaematiteLimonit赤鉄鉱・褐鉄鉱の混合物
 九州
54.Bleischwe Plombgalena方鉛鉱
 奥州,佐渡,薩摩
55.Zinnsteincassiterite
56.Gediegen Wismuthnative bismuth自然蒼鉛
57.Blendesphalerite閃亜鉛鉱
 近江
58.Grauspiesglanzstibnite輝安鉱
 佐渡,四国
59.Manganspath, Braun und RotherBraunstein
 長崎
 (Rhodochrosite, Rhodoniteの区別はされていない)
60.Weisser Speiskobaltskutterudite
 薩摩
61.Arsenikkiesarsenopyrite硫砒鉄鉱
 佐渡
62.Rauschgelb鶏冠石・石黄
 佐渡,九州
(Realgar, Orpimentの区別はされていない)

シーボルト鉱物標本には,多くの場合鉱物名として,例えば自然銅に対して,

Gediegenen Kupfer, W.
Cuivre natif, H.
その後に産地名

という記載がある.WはA. G. Wernerであり,HはR. J. Hauyである.Werner, Hauyともにドイツとフランスの当時の代表的な鉱物学者であり,鉱物名がWerner及びHauyに拠っていることを示している.このような,鉱物名の後に鉱物学者名を記することは,当時のヨーロッパのスタンダードであったと思われる.

東京大学総合研究博物館には1833年にドイツFreibergに設立されたクランツ(Krantz)商会(鉱物標本商)が取り扱った標本群が収蔵されている.東京大学に残されている明治初期にドイツから輸入されたこれら鉱物標本群は,東京大学がまだ開成学校と呼ばれていた明治初期に,研究・教育用に購入された鉱物標本であり,その標本ラベルには,例えば,

Gediegen Silver (Werner)
Native Silver
Hexahedral Silver.
Natif Silver.
Argent natif (Hauy)

のような記述があり,ドイツ語,英語,フランス語の鉱物名,拠って立つ鉱物学者名,産地などが書き込まれている.英語表記には多くの場合Jamesonの名がある.

ナチュラリスに収蔵されている所謂シーボルト鉱物標本には数種類のラベルが添付されているが,その由来が確定しているものは少ない(図1,2).大沢によると一部のラベルに記された日本語は郭成章によって後年ライデンで書かれたとしている.標本及びラベルを見た限りではシーボルト自身の手によると思われるラベルも相当数あるようであり,ビュルガーによるラベルは約65残されている.現在,鉱物標本とラベルを含む画像データベースを作成中であり,日本人が書いたと思われるラベルやメモ書きの筆跡から,その標本に係わった日本人を明らかにしたいと考えているが,その作業は緒に付いたばかりである.中には伊藤圭介,水谷助六,桂川甫賢と思われる筆跡のラベルが存在する.

カルセドニィー
図1.シーボルト鉱物標本
出羽産のカルセドニィー(Chalcedony).右下のラベルの筆跡はビュルガーのもの.
図2.シーボルトと鉱物標本
阿波産の輝安鉱(Stibnite). 右下のラベルはビュルガーによる.

シーボルト鉱物標本は,大沢によると石英(72),珪化木(72),黄銅鉱(31),玉髄(30),石灰岩(28),片岩(27)などで,鉱物で言うと約30種,鉱石20種,堆積岩30種,火成岩20種,変成岩10種,それに少しの化石類である.

当然のことであるが,この分類法は現在の分類法であり,当時の日本人の鉱物認識を代表するものではない.想像するに,シーボルトに協力した日本人が,各地で独特な名前で呼ばれていた(例えば 松葉石,楠石)標本,あるいは産地自身に特長ある標本(蝦夷)などを採集,場合によっては購入してシーボルトに提供したのではないであろうか.その結果として,上に記したような限られた種類の標本のコレクションが形成された.もし,ビュルガー自身が,彼の持っている鉱物学の知識にもとづいて自身の手で採集をすれば,更に多彩なコレクションが形成されたと思われる.

当時の日本人,シーボルトの教えを受けた優秀な日本人の鉱物認識は,この程度であった.植物学や動物学に比べると,遙かに遅れた学問領域であった.

最後に,ビュルガーが感じた当時の日本における鉱物学の水準が記述された部分(東洋文庫蔵)を採録して示したい.

Zustand der Mineralogie

Der Zustand der Kenntnisse der Mineralien ist hier noch weiter als der der übrigen Zweige der Naturgeschichte zurück

Ausgenommen einige wenige Individuen, welche sich nach Anleitung europäischer Literatur auf einiges Studiren dieses Faches zulegen, dass sich jedoch blos auf oberflächiger Nomenklatur und Nachweisung der bekanntesten Elementarstoffen in der Chemie begränzt gehet der eigentliche Zweck des Nachforschens im Steinreiche nur dahin, Fossilien zu sammlen und zu beschauen, denen ihre im Lande allgemeine Benutzung, als die bekantesten Metalle einige Kiesarten u. dgl. m. ein heeres Fundort, ungewöhnliches Vorkommen, wunderbares Ansehen u. dgl. die Theilnahme und Neugierde ausspricht, daher besonders Naturspiele als Mineralien die zufällig einige Aehnlichkeit mit organischen Körpern haben oder auch zuweilen Petrefakten, in Sammlungen die man hier vorzüglich allgemein antrifft eine bedeutende Rolle spielen während Lythophyten gerade weil sie eben als Steine sonderbarer Form betrachtet sind, mit untergeordnet die rohe Unwissenheit verrathen.

Die Beschaffenheit der Erde, und die dadurch bedingte grössere oder geringere Fruchtbarkeit, ziehet natürlicherweise die Aufmerksamkeit der Volksklasse, die mit der Erde selbst in ein näheres Verhältniss stehet, den Landbebauer auf sich und das Streben vom Gleichen auf Gleichen zu schliessen, macht besonders hier zu Lande, wo man von allen Reisenden die Cultur des Landes als auffallend hoch getrieben bestätigt findet, oberflächige Kenntnisse der Erd und Steinarten eben so gemein als in Europa; aber obgleich die Japaner Geschicklichkeit zu einer vortheilhaften Gewinnung und Zubereitung der Mineralien hinlanglich genug besitzen, und diese durch eine fassliche Mittheilung nöthiger mechanischer und chemischer Kenntnisse leicht zu einem brauchbaren Bergmann gebildet werden können, so mögen doch das Studium einiger Jahrhunderte kaum hinreichend seyn, um den anders so lehrbegierigen Japaner auf eine Stuffe zu bringen, von wo aus die Untersuchungen und die Kenntnisse der Fossilien zum Vortheile der Wissenschaft hier zu Lande dienen können während jetzt schon lobenswerthe Proben der System und Zergliedrungskunde der Pflanzen erschienen sind.


Das Studium der Oryktognosie der Japaner ist blos auf empirisches Wissen, oder auf Erkennung einzelner ausserer Merkmalen begränzt, wobey ihnen die vielfältigen fleissigen Mineraliensammlungen in oben bemerkten Geschmacke geordnet als Hü lfsmittel dienen.

Von Geognosie oder Eintheilung der Gebirge als den wichtigsten Theil der Mineralien, ist ihnen bekannt nichts, und ihre Literatur über Mineralogie ist wiederum nur auf eine Beschreibung grösserer und kleinerer Mineraliensammlungen, oder wunderbarer hier und da aufgefundener Steine und Versteinerungen beschränkt.


Folgende Werke sind uns bekannt geworden als :
s., Wun-Kon-Si d.i. Beschreibung aller japanischer Fossilien von Syoohan 3 Th in 15 Bucher


[和訳]
鉱物学の水準

ここ(日本)における鉱物の知識の水準は,他の自然史の分野よりも遙かに遅れている.

ヨーロッパの文献を手かがりにして鉱物を勉強している少数の人を除けば,表面的な命名や化学における主要な元素の立証に限定され,鉱物研究の本来の目的が鉱物を収集したり観察したりするのみとなっている.この国では,鉱物はいくつかの金属の硫化鉱における多数の産地・特異な産状・美麗な外観よりも一般的利用が関心や興味の対象となっている.自然の戯れで鉱物が偶然に有機物や化石に似ている場合がコレクションに至極当たり前のように出会うが,それは重要な役割を果たしているものの,石質鉱物は特殊な形の鉱物として見なされて重要視されておらず,何も知られていない.

土壌の性質とそこからもたらされる収穫の多少は,当然土壌と密接な関係にある人々つまり農民自身の関心を引いている.全ての旅人からこの国では開墾事業が熱心に行われていると伝え聞くが,開墾する人の開墾しようとする努力が,とくにヨーロッパよりも土壌と鉱物種の表面的な知識の共有を可能にしている.しかしながら,日本人が鉱物の効率的な採集と処理に器用であるとしても,さらに機械や化学に関する知識をわかりやすく伝えることによって有益な鉱山労働者を育成できたとしても,数世紀にわたる研究と鉱物の調査と知識がこの国の科学の発展に役立つようなレベルにもっていくにはまだ十分ではない.その一方で,すでに植物に関してはすばらしい解析学とシステムができている.

日本人の岩石学研究は経験的知識または個々の外見的特徴の識別に限られており,その際上記のような好みで分類整理された鉱物コレクションを役立てている.鉱物の重要な部分である地質学や山の分類については全く知られていない.鉱物学の文献といえば,大なり小なり鉱物のコレクションや,あちこちで発見されたすばらしい石や化石の解説書しかない.

以下の文献が知られている:
雲根志 これは日本の化石の総合解説書,3篇15冊

終わりに,ラベルの筆跡鑑定には加藤僖重教授(獨協大学)のご協力を戴いたことを明記して謝意を表します.また,シーボルト関連文書の解読と和訳については斉藤美沙子さん,山崎秋子にご協力いただきました.シーボルト鉱物標本の調査およびデータベース作成にはライデン自然史博物館のWinkler Prins博士のご協力を得ています.

 

参考文献

P. F. フォン・シーボルト:『日本』9巻 雄松堂書店(1977).
P. F. フォン・シーボルト:(土井正民印書)日本鉱物誌.日本鉱業史料集 第13期近世篇上.日本鉱業史料集刊行委員会.
大沢眞澄:シーボルト収集の日本産鉱物・岩石および薬物類標本ならびに考古資料.新シーボルト研究I 自然科学・医学篇.八坂書房(2003).
たがい・とくへい 東京大学総合研究博物館
(Professor, University Museum, University of Tokyo)
 
ヘラルド・テュイセ ライデン大学国立植物学博物館標本館管理主任
(Chief Collection Manager, Leiden University Branch of the National Herbarium of the Netherlands)

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