往復書簡
2002年10月8日 西野先生 「MICROCOSMOGRAPHlAJ という展覧会名を熱烈に支持していただいてわたしとしてはどれだけうれしかったか、まずそのことをお伝えしたいと思います。すでにお気づきのよ
うに、タイトルは 1615 年に出版された物理学者で解剖学者のジェイムズ・ I ・へルキア・クルックの解剖学に関する一般向けの著書から借りてきたものです。クルックは、神学者、哲学者、詩人、
画家、そして「すべての発明家と手職人」に役立つ解剖学概論としてその本を書きました。東京大学総合博物館プロジェクトもまたそのようなヴァラエティに富んだ人びとに訴えるものになることを切に希望します。解剖学は今回のプロジェクトの範曙に含ま
れますが、クルックの領域をはるかに超えたところまで広がっていくことはまちがいないでしょう。それこそがわたしたちの目的に 照らしてこの展覧会名が真に示唆しているところではな
いかと思います。 2002年10月11日、東京 マークへ、 飯田さん宛のファックスによると、旅行中、ずっと絵葉書を描き続けるとのこと。この絵葉書シリーズ、案外いけるかもしれませんね。塗葉書は日記代わりです。どこを歩いたのかが分かるし、自然をどんな眼で見ているのかも解ります。アルプレヒト・デューラーはアルプス越えの旅の途次に自分の眺める自然を水彩で描き留めているし、イタリア未来派は手描き絵葉書を自分たちのイデオロギーのプロパガンダに利用しています。 とはいっても、国際郵便制度に拠る自然誌 (ナチュラル ・ヒストリー ) とい うのは、お目にかかったことがありません。 デイーニュのホテルに滞在しているそうですね。フランス南部のデュランス河の水源の近くですよね。あのあたり、ぼくにとって格別の思い入れがあります。まだ若かったころのことですが、プ口ヴアンスで三年近く過ごしました。 1970 年代の初めのことです。あの地域の、あの荒々しい自然。日陰や山のかたち、ハーブの香り、ミツバチの羽音など、いまでも懐かしく思い出されます。 モンペリエからそう遠くないところにある、ジャン = アンリ・ファーブル記念館にも行かれたはずです。無数の昆虫標本が並べられ、あの狭い仕事場。びっくりするような茸の絵もあり、ぼくの好きな場所のひとつでした。たしか語彙集のなかでファーブルのことを「昆虫狂の巨人 」 と呼んでいたと記憶しますが、記念館の陳列ケースの前に立つたびに思ったものです。ファーブルの情熱たるや並ではなかった、なぜに、これほどまで自然界に生きるありとあらゆるものを集め、 分類しなければならなかったのか、と。あの、小さいけれど濃密な空間は、その内部にあるものがすべてリンネの分類学に則って並べられていて、あれこそ、ある種の「ミクロコスモグラフィア」なのではないか。もちろん、彼が生きた時代のそれ、という意味ですが。 10月15日にミーティングを予定しており、そこでみんなの撮った写真の分類を行います。遠からずペンシルヴェニアのお宅に届くはずです。 それではまた。西野嘉章 |