はじめに


 東京大学に近代的な学問体系をもたらしたのは、明治初期に招来されたお雇い外国人教師たちであった。彼ら外国人教師の指導の元に多くの若き日本人の俊秀達がエリート教育を受け、以後の教育研究を自らの手で遂行していった。今回の展示は、その俊秀の一人である和田維四郎に光を当てるものである。

 和田維四郎は安政3年(1856)3月17日に小浜に生まれ、明治3年(1870)に小浜藩の貢進生として上京している。明治6年に設立された開成学校のドイツ部においてドイツの鉱山技師シェンクの指導の元に維四郎は近代的な鉱物学を学び、明治7年退学したが、シェンクに才能を認められ、明治8年、19歳で開成学校助教となった。それ以降、彼は東京大学助教授・教授、地質調査所長、鉱山局長、官営製鉄所長官と要職を歴任する。

 和田維四郎の収集した鉱物標本は、彼が開成学校助教から終生続けた鉱物収集の成果であり、現在三菱マテリアル株式会社の所蔵になるものの、東大コレクションの名に相応しい標本群である。開成学校開校当時、何一つ備え付けられていなかった日本産鉱物標本を、和田維四郎は超人的な努力で東京大学に整備し、それを用いて研究と教育を行ったのであった。本学には、和田維四郎の残した標本の他に、彼の共同研究者・弟子・孫弟子が残した鉱物標本が二万点を超えて収蔵されている。それらの標本群は、明治から大正にかけての学問の勃興期に標本が如何に学問を支え、そして展開させていったかを示している物的証拠である。

 また、和田維四郎は鉱物学者と異なった一面を見せている。和田は、晩年、膨大な和漢の古書籍の募集を行い、書誌学の大家として知られる。その収集した古書籍は、現在、東洋文庫と静嘉堂文庫に収められており、総数四万五千点を超え両文庫の中心的コレクションであるという。

 総合研究博物館は、これまでに「東京大学コレクション展」として10回の展示会を開催し、学内に残されている学術標本の新たな博物資源としての側面を鮮やかに見せてきた。

 今回の展示は、和田鉱物標本を中心に、明治期に東京大学に収蔵された鉱物標本を一堂に会さしめ、標本ひとつひとつが学問の中で息づき、これらの学術標本が博物資源として新しい学問の始まりを予感し期待させるものである。

 本展開催にあたり、多大なご協力・ご援助を賜った関係者ならびに学内関係部局に、この場を借りてあらためて感謝を申し上げる。

2001年7月14日

東京大学総合研究博物館長
館長 高橋 進
 



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