銅版による複製には刷り部数に限界がある。表面がすぐに磨耗しやすいためで、通常なら百部止まり、メッキを施してもそう多くは刷ることができない。明治初期の翻訳文学を代表する『花心蝶思録』と『スミス・マリー之傳』は表題こそ違うものの、ロシア作家プーシキン(1799−1837)原作の『大尉の娘』の翻訳本で、挿絵には同じ銅版が使われている。初刷りの前者の挿絵に較べると、後刷りの後者のそれは描線が鈍く、陰翳の階調も硬化している。原画は浮世絵師大蘇芳年の手になり、初期翻訳小説の挿絵としては第一級の部類に属する。 14-1 露國プシキン原著・服部誠一校閲・高須治助譯述『露國奇聞花心蝶思録』 四六判ボール紙装本、東京書肆法木蔵板、1883年(明治16年) 14-2 露國プシキン原著・日本服部誠一校閲・日本高須治助譯述『露國情史スミス・マリー之傳全』 四六判ボール紙装本、高崎書房、1886年(明治19年) |
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