加速する欲望、メディアの遺伝子


岡持充彦 大学院新領域創世科学研究科・メディア環境学



 人間は、自分が知覚している世界や、取り巻く社会との関係において、自己や他者を認識し、論理を組み立て、経験を積む。多相で曖昧な羊水のように人間を包み込むメディア環境の中で、われわれは知覚器官という臍の緒を通して、世界とつながっている。情報技術は電子化することで、ますますわれわれを深く浸食し続けており、ネットワ ークによって覆われた身体と世界は、拡張と収縮の狭間で引き裂かれ、もはや何が自己を形成しているのか、容易には理解しがたくなっている。人間にとってメディアこそが、常に何が実際に存在するのかを決定づけているものなのである。

 ヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術』の中で、映画とはすべてがイリュージョンであるとしたうえで、「装置にわずらわされぬリアルな情景は、ここでは、きわめて人工的なものである。そしてこのなまなましい現実感にみちた光景こそ、技術の世界の青い花なのだ」と述べている。「複製技術時代の芸術」が書かれた1936年、イギリスではテレビ受像器の量産化が始まり、ベルリン・オリンピックがテレビで放送された。19世紀半ば、写真技術の発明から始まった近代のメディア化は、映画、タイプライター、電話、フォノグラフ、ラジオと進化、融合し、テレビの登場によって、メディアはマスの時代へと移行した。マスメディアとは電子化された劇場であり、世界は電子信号に置き換えられた記号の皮膜に包まれることになるのである。同じ1936年、イギリスの数学者アラン・チューリングが論文「計算可能数についての決定問題への応用」の中でひとつの論理ゲーム機械を発表した。これは読み書きするテープと、計算をするヘッドから成り立つ簡単な構造でできており、論理用語で入力された記号が、コードに置き換えられて出力されるというものである。論理記号を0と1に置き換えて出力すれば、今日の電子計算機の構造と基本的には変わらない基礎をもっている。そして翌1937年、アメリカの数学者クロード・シャノンがMITの修士論文として「リレーとスイッチ回路の記号論的解析」を書き、38年に発表した。この論文で、シャノンは初めて計算機に二進法を取り入れ、あらゆる論理演算がコンピュータで可能であることを証明した。スイッチのON・OFFが記号論の真偽に対応し、スイッチの直列接続はANDに、並列接続はORに対応する。このシャノンの理論によって、コンピュータは計算機から演算処理機へと変貌するのである。1938年は、オーソン・ウェルズのラジオドラマ「火星人の来襲」がアメリカで放送され、人々がパニックになる事件が起こった。また、ドイツではレニ・リーフェンシュタールによるベルリン・オリンピック記録映画「オリンピア」が封切りされている。マスメディアが社会に浸透し、戦争の予感とともに政治がメディアを取り込もうとしつつある時代、現在のデジタル化社会の基盤ともいえる理論を相次いで発表されているのは興味深い。

 現在、われわれを取り囲むあらゆるものが、デジタルという方式によって統合されつつある。思考される論理だけではなく、世界そのものが、特定のコーディング方式によってデジタル化され、それらは複合的なネットワーク間を流通し、蓄積されている。すなわち、デジタル化とは、情報を処理(演算、コーディング)し、流通し、蓄積する技術のことである。現代社会において、われわれは、目にするCGIや報道映像などから現実を認識するが、それらが特定の技術を通じて形成されたものであることにはあまり注意が払われない。しかし「いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり、新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する」とマクルーハンが述べているように、技術そのものに内在された意図を理解しようと試みることこそが重要である。情報の視覚強調は、近代メディア、特に写真技術の発明以降、われわれの世界観構築の中心的役割を担ってきた。人間の情報処理機能のサイバネティックスでは、数値的に光学情報の優位性を規定している。それによると、人間の目が認識する画素数は40万。100段階の明暗・色彩を認識できる映像数が、毎秒16で、1秒あたりの情報量が5000万ビットとされている。それに対し、聴覚では毎秒4万ビット、その他の知覚(皮膚、嗅覚、味覚)全体で毎秒1000万ビットで、情報工学的、神経生理学的に視覚情報の優位性が規定されているのである。

 しかし、視覚情報がメディア化され、マスとなって世界に氾濫するのは、写真の発明以降のことではない。グーテンベルクの金属活版印刷技術は1450年頃に確立されたとされるが、それ以前の写本文化の時代、書物を読む、とは主に音読を示すものであった。印刷による書物の普及は黙読というスタイルを生み出した。文字の文化も技術によって、視覚メディアへと取り込まれることになるのである。一般的に視覚強調は、13世紀ルネサンスにおける遠近法の発明によって現代につながる、とも言われているが、神の視点を構成する技術は、コンピュータの基礎理論と同じく、数学理論によって成り立っている。数学的合理性は、構造の標準化に適しており、われわれは仕様統一されたイメージを、コーディングし、伝送し、蓄積しているのである。デジタル社会のキーワードは共時性である。あらゆるものが起こり得て、あらゆるものが共有される。共時性を拡張、拡大する効率論がデジタル化の背景に存在しているが、効率性とは経済性と言い換えることが可能であろう。音の文化から視覚文化への移行は、中世から近世への移行であり、対話型から劇場型へとコミュニケーションのスタイルが変わったが、それは宗教の時代から経済の時代へと社会を形成する価値基盤が変わったということでもある。これは、現在、われわれに降り注がれる、情報の内容について述べているのではない。メディアのシステム、すなわちわれわれが認識している「真実」を支える技術に関して述べているのである。現代のメディアを介してメッセージを社会化するために必要な要素とは、ネットワーク、ハードウエア、コンテンツ(あるいはサービス)、プラットフォームの4つが挙げられる。これらのシステムを運用するためのOSやアプリケーションなどのソフトウエア、 コーディングの仕様、プロトコルなどが取り決められる。デジタル化とは、これらを統合する技術である。ハイデガーは「存在者を顕わにすることの一様式」を技術概念として述べているが、4つのサブシステムを形成しているものこそ、経済性、すなわち現代では市場経済原理なのであろう。より早く、より多く、より効果的にメッセージを交換する欲望は、技術に内在された遺伝子がなせる技なのである。

 人間は、コミュニケーションをする動物である。社会を形成する動物は人間だけではないが、より積極的に関係性を結ぶ「ポリス的動物」であるといえる。社会は明確なメッセージや価値観で結びつけられ、それは、古代人の時代から、何らかの方法で共有化されてきた。ヴィレム・フルッサーは著作『テクノコードの誕生』の中で、人間のコード化の歴史を次のように述べている。

「西洋の歴史」をたどるさいに、どういうコードが支配的だったかによって4つの転機があった。すなわち、ほぼ紀元前1500年(アルファベットが形成された過程・ミノス「クレタ」のテクスト)、紀元前800年頃(アルファベットとアルファベット以前のコードの戦い・ホメロスと予言者のテクスト)、紀元後1500年頃(アルファベットの最終的勝利・印刷本の普及)、そして紀元後1900年頃(革命的に新しいコードの登場とアルファベットに対するその爆発的勝利・テクノ画像の進撃の開始)である。

 これによると、アルファベットの歴史は「セム系の」アラム語に起源をおき、共通のエリート層の間で使用される交易のための言語であったということである。テクノ画像について、フルッサーは意味論的に述べている。コード化の歴史に則し、テクノ画像とは、情景に意味を与えるのではなく、テクストという概念に意味を与える画像であると定義している。ロラン・バルトにとって、亡くなった母の写真をもとに書かれた『明るい部屋』は、テクノ画像から遡って、テクストを再構築する私的な旅であったといえる。テクノ画像における画像のエンコーディングおよびデコーディングは、意味のコーディングなのだ。そしてテクノ画像の最大の特徴は「とくにそのために作られた装置の助けを借りて、情景自身が自分を計面上に写し取ったもの」であるということである。装置を操作する人間は、あらかじめ内在されたプログラムに従って画像を撮る。画像に内在されたプログラムとは、出力されるメディアやフォーマット、見られ方、流通形態、そして、その装置自身の普及など、多重な社会的プログラムとして機能する。カメラを写す人間とは、カメラに実装された社会的プログラムをシュミレートする人間なのである。しかし、カメラで撮影され、出力された画像には、被写体となる画像が存在しており、AとA'の関係は成立している。しかしながら、コンピュータで作成されたテクノ画像にはA'は存在しない。イメージのもととなるテクストがあり、それをプログラミング言語で記述するというメタレベルの工程を経て、テクノ画像が生成される。ここで問題となるのは、バーチュアリティである。

 スタンフォード大学の認知科学者テリー・ウィノグラードはアフォーダンス理論をもとにして、コンピュータの操作性を研究しており、インタラクション・デザインという言葉を早くから使っている。 バーチュアリティとは、単に物質世界を置き換えたものではなく、人がそれをリアルと感じるもの、つまり、生成されたリアリティが、物質世界のメタファーに満ちたデジタルの混合物であっても、人がその画像に含まれるオブジェやアクションによって、自分の行動をとらえることができるものと述べている。映画における、特殊技術の手法では、現実の世界を大画面に再現するというプラットフォームに従って、ますます多くの情報量を処理する方向に進んでいる。映画の創世記には、フィルムというメディア特性を活かしたトリックで、人が消えるという手品の作品が作られた。「風邪と共に去りぬ」では、火災のシーンで背景にマットペインティングの手法がとられ、あたかも大火災の町中を馬車で走るかのような演出が行われた。現在では、CGIの技術が進歩し、単なるデジタル合成だけでなく、若い女性の顔にアニメーションをマッピングして、あたかも老婆のように演技させるという作品も撮られている。しかし、これは大きな世界の窓に映像を映すという、映画のプラットフォーム上で求められるリアリティである。たとえば、ゲームの世界のリアリティは、映画とはまったく異なる成立基盤をもっている。テレビゲームの誕生は、1958年、ウィリー・ヒギンポーサムがオシロスコープを使って制作したゲームから始まる。1984年、ナムコが「ドルアーガの塔」を発表し、業務用ではあったが、初めてテレビゲームにロールプレイングの概念を持ち込んだ。任天堂は83年に発売したファミリーコンピュータを使い、85年に「スーパーマリオブラザーズ」、86年に「ゼルダの伝説」「ドラゴンクエスト」を発売してミリオンセラーとなるのである。わずか8ビットCPUで表現される画像は、情報量としては映画と比べることはできない。しかし、ストーリー、キャラクターなど、ゲームというプラットフォームを活かして展開されるダンジョンに、多くの人が世界観を共有し、ゲームとしてのリアリティに没入した。現在、ゲーム機は64ビット世代に移行し、高機能のグラフィックエンジンを搭載している。コンテンツも高精細で、アニメーションや映画の文脈に近いものが登場しているが、高精細画像そのものが熱狂をもって受け入れられたのは、過去の情景である。これは、マーケットや市場性、あるいは人々の生活スタイルやメディア受容状況の変化も原因であろうが、やはり、ゲームというプラットフォームに最も適したリアリティの形式の問題であると考えるべきである。任天堂がゲームボーイを独自の市場として新しいコンテンツとハードを投入して成功しているのを見ると、高画質、高機能の追求がゲームのリアリティに通じないからである。

 フリードリヒ・キットラーは現代のメディア環境における世界認識のメカニズムを、近現代メディア技術史的に解読している。著作『グラモフォン・フィルム・タイプライター』の中で「ヘーゲルの時代は文字で表される概念は『精神』と呼ばれた。しかし現在は、情報を精神と取り違えることはない。人間も機械も等しくプログラムによって作動するしかないのである。」と述べている。現代人は統合された実世界から引き剥がされ、そしてデジタル技術によって、再び統合を迫られている。われわれが目にしているものは、それがリアルなのか、イメージなのか、あるいはシンボリックなものなのか、判別がつかない。あらゆるメディアがデジタル化され、連結されるということは、あらゆるメディアが、特定のプログラムで標準化されるということであり、背後には特定のビジネス上のイデオロギーも息を潜めている。その一方で、ナップ・スター、グヌー・テラに代表される、ピアー・ツー・ピアー式の新しいコミュニケーションの形態が起こり始めている。メディアは社会化し、技術は社会的に透明となる。このメディア環境を与件として育っている世代にとって、デジタルの海は、あらかじめ定められたリアルな揺りかごとなるのであろう。



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