パプアニューギニアおける人類生態学調査

大塚 柳太郎 本郷 哲郎 中澤 港
阿部 卓 梅崎 昌裕 山内 太郎
安高 雄治 夏原 和美
東京大学大学院医学系研究科




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はじめに

 一九七五年に独立したパプアニューギニアは、ニューギニア島の東半分と周辺の島嶼部からなり、オーストラリアを除くオセアニア最大の国家である。オセアニアは、人類が歴史上はじめて海をわたることに成功し居住圏に組み込まれた。その際、先史人類がアジアからウォーレス線をこえて到達した場所は、現在のニューギニア島の北西部と推定されている[1]。もっとも、先史時代のオセアニアへの移住には少なくとも二回の波があり、第一幕の移住がおこった五万年以上前には地球は現在よりはるかに冷え海面が低下していたので、ニューギニア島はオーストラリア大陸と陸つづきでサフルと呼ばれる大陸を形成していた。この第一幕の移住者の子孫は、オーストラリア大陸と大半のニューギニア島に現在も居住している。一方、第二幕の移住は数千年前にはじまり、人々はニューギニア島の北側を東へと進み、メラネシアの島嶼部でラピタ文化を開花させ、その後ポリネシアの島々へと進出していくことになる。

 ここで興味深いことは、オセアニアに移住した人々と日本をはじめとするアジアの東北部に移住した人々は、その起源地を共有している可能性が高いことで、特に第二幕の移住者の子孫とアイヌとの類似性は遺伝学をはじめとする人類学の研究で実証されつつある。私たちが本学の人類遺伝学教室などと共同して行ったHLAやミトコンドリアDNAのタイピングの研究からも、第一幕の移住者の子孫でパプアニューギニアに住む集団(非オーストロネシアンと呼ばれる)はオーストラリア人(アボリジニ)に近く、第二幕の移住者の子孫でパプアニューギニアの島嶼部やポリネシアなどに住む集団(オーストロネシアンと呼ばれる)とは大きく異なることが実証された[2][挿図1]。


[挿図1]HLA-DRB1に基づくオセアニアの集団の近縁関係

 パプアニューギニアの住民のもう一つの重要な特徴は、彼らがそれぞれの環境で培ってきた生存様式を比較的最近まで色濃く維持してきたことである[3]。私たちの研究は、人類の移住をはじめとする歴史的な事象にも関心をもちながら、現在の彼らの生存を具体的に理解する視点を重視してきた。特に注目してきたのは、パプアニューギニアの環境が低地・島嶼部から高地にいたるまで著しく多様性に富んでいることである。これらの多様な環境のなかで、人々の環境利用、生業活動、食と栄養、生活の質、健康状態、人口動態が近代化とともに変化してきた過程、すなわち発展途上国の住民に共通する今日的な問題に取り組んできた。さらに、地球環境問題との関連で危惧されている人類の将来の生存に対しても、地域研究の立場から考察をつづけてきた。



2


研究小史

 私たちのパプアニューギニア研究は、南部低地に居住する言語族であるギデラを対象とし[挿図2]、大塚により一九六七年にはじめられた。最初の本格的な調査は、一九七一・七二年に行われ、このときには渡辺仁(本学文学部前教授で、当時は本学理学部講師)が短期間の共同調査を行った[4]。一九八〇年以降の調査は多数の研究者の共同研究として繰り返し行われ[5]、本年(一九九七年)の夏期にも調査が予定されている。さらに一九八五年からは、パプアニューギニアの多様な環境に居住する集団間の比較に重点をおいた研究を行ってきた[6]。ギデラ以外の主たる対象集団は、南部山麓部のサモ・クボ、高地辺縁部のオク、中央高地のフリとアサロ、北部山麓部のコンビオ、島嶼部のバロパである[挿図2]。これらの集団は、表1にみられるように自然環境からも近代化に代表される社会環境からも、きわめて多様性が高い。なお最近では、上記のフリ及びバロパ出身で、首都のポートモレスビーに移住した人々の調査も行っている。


[挿図2]パプアニューギニアの七集団の居住地と首都のポートモレスビー

[表1]対象とした7集団の特徴(集団名の前の数字は図2の地図中の数字と対応している)
集団名 標高 近代化 人口密度1) 主食作物 換金作物2)
1 ギデラ 低地 中度 0.5 サゴヤシ、イモ類 (ゴム)
2 バロパ 島嶼 高度 30 タロイモ、ヤムイモ カカオ、落花生
3 サモ・クボ 山麓 低度 1.2 サゴ、バナナ なし
4 コンビオ 山麓 中度 10 サゴヤシ、ヤムイモ (コーヒー)
5 オク 高地辺縁 低度 1.4 タロイモ なし
6 フリ 高地 中度 20-1503) サツマイモ (コーヒー)
7 アサロ 高地 高度 50 サツマイモ コーヒー、野菜
1)人/平方キロメートル、2)( )内は小規模のもの、3)ミクロな環境の違いにより地域差が大きい。

 これらの一連の調査は、当初は国外の財団の援助によって行われたが、一九八〇年代からは文部省の研究助成を主とし、一部民間の財団及び国連大学の研究助成によっている。参加した研究者は、鈴木継美(本学医学部名誉教授)をはじめ、医学部(医学系研究科国際保健学専攻)人類生態学教室に所属する教官・大学院生を中心に二十名をこしている。また、フリとアサロの調査の一部は、国立パプアニューギニア医学研究所との共同研究として行った。研究成果は、人類生態学のもつ学際性を反映し、医学のみならず人類学、栄養学、環境科学など多岐にわたる学術誌に発表しただけでなく、英文及び和文の単行本としても発表してきた。本稿では、その内容を三項目に区分して要約する。



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長期間の適応史に関する研究

 人間集団(ヒト個体群)の地域生態系における長期間の適応を解明することは、人類生態学の基本テーマである。人類が伝統的な生活をおくっていた時代には、日常生活の維持と人口再生産の基盤となる結婚の成立が小集団単位で高い完結性をもっていたと推測されてきたが、私たちのギデラ調査はこの点を強く意識して行われた[挿図3]。すべての住民を対象に四世代ほどさかのぼる家系資料を収集し分析した結果、近代化の影響が無視されるほどであった一九〇〇年代前半まで、九五パーセント以上の結婚は集団内部で行われていた。すなわち、二千人にも満たない人口集団が文化的なまとまりをもつだけでなく、生物学(遺伝学)的にも一つの個体群として機能していたことが明らかとなった[7]。同様の特徴は、ギデラほど世代をさかのぼるデータは収集できなかったものの、オクやサモ・クボの社会でも確かめられている[8]


[挿図3]ギデラの女性が倒されたサゴヤシの髄を手斧で叩き砕いている。この後、髄に含まれるデンプンは水とこねるようにして流しだされ食用とされる。

 近代化の影響がほとんどなかった頃のギデラの年人口増加率を、世代間の純再生産率から推定すると〇・二パーセント程度となり、農耕が開始された直後の先史時代の集団のものと大差ないことが示された[9]。もう一つ興味深いことは、ギデラの居住地のなかでも内陸部の村落の住人だけを対象にすれば年人口増加率は約〇・六パーセントに達していたのに対し、その周辺に位置する川沿いの村落の住人だけを対象にすると人口増加率は負になり、人口が減少していたことである。この違いをもたらした最大の要因は、マラリアをはじめとする感染症などによる死亡率と考えられる。私たちが採血したギデラの人々の血液試料からマラリア抗体価を測定した結果、マラリア陽性率は川沿いの村落では約三割であったのに対し、川沿いの村落では七−一〇割に達していた[10]。これらの証拠に彼ら自身が認識している居住史を加えて考察すると、ギデラの人々が最初に適応したのは内陸部の環境であり、人口が徐々に増加するにしたがい、適応しにくい川沿いの環境までも居住圏に組み入れたことが示唆される[11]

 適応のしやすさという点から評価すると、同一の集団の居住地のなかにもさまざまな環境があることは当然である。適応しやすい環境で人口を増加させた集団が、その成員の一部を周辺の適応しにくい環境に押し出すという現象は、パプアニューギニアの高地と高地辺縁部というマクロにみた二地域間でも観察されている。私たちが行った高地辺縁部に居住するオクの調査結果も、このことを証明することとなった[12]。すなわち、人類の集団は総体としてみれば人口を増加させ居住地を拡大してきたわけであるが、その過程で適応しにくい環境をも居住地に組み入れてきたことになる。私たちの調査結果からみても、オクでは高地辺縁部というマラリアなどの感染症のリスクが高い環境に十分適応したとはいえないし、ギデラでも川沿いの環境への適応に成功したとはいえない。ただし、ギデラの場合は一九〇〇年代後半にはじまった近代化の影響で、町に近い川沿いの村落のほうが適応しやすい環境に変化したことも事実である。



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近代化の影響に関する研究

 パプアニューギニアには、世界の途上国のなかでも近代化が遅くはじまった地域が多いが、その程度は私たちが調査研究をはじめたときに集団間で著しく多様であった。この国の近代化には外部からの影響がとくに強くはたらいてきたとはいえ、人々の生存様式の変化は集団ごとの自然環境と社会・文化環境の特徴をも強く反映している。私たちはこの過程を解明するために、同一集団での繰り返し調査と異なる集団の比較調査を並行して進めてきたことになる。その内容は、(一)食生活・日常行動をはじめとする地域生態系での適応システム、(二)その結果を強く反映する健康状態、(三)死亡と出生に代表される人口動態及び人口増加パターン、(四)人口移動を含む農村部と都市部との関係、という相互に関連する四点にわけることができる。

 日常行動に関しては、生業活動に焦点をあて活動空間の特性を考慮しながら、観察と測定に基づく調査に主眼をおいてきた。生業活動に密接に関連する食物摂取量については、二週間あるいは一週間をとおしてサンプル世帯を対象に行う計量調査を原則としてきた。食物摂取量調査に基づくエネルギー・栄養素摂取量は、成人男性一人一日あたりの値に換算され評価される。また、日常活動の生体負荷については、心拍数をモニタリングしエネルギー消費量を推定する方法を開発してきた[13][挿図4]。


[挿図4]サモ・クボの社会では伝統的な通過儀礼が今も残っている。その宴のために、豚を解体し蒸焼き料理の準備をしている。

 エネルギー摂取量は、ギデラの場合には近代化が進んでいない村落で成人男性一日あたり約三五〇〇キロカロリー、近代化が進んだ村落で三〇〇〇キロカロリー弱であった[14]。このレベルのエネルギー摂取量は先進国の住民よりも多い傾向にあるが、心拍数から推定されたエネルギー消費量とバランスがとれていることが明らかとなった。近代化の進んだ村落の住民のエネルギー消費量が少ないのは活動量の低下に起因しており、近代化がもたらす日常生活行動への影響の特徴の一つと考えられる。なお、蛋白質や多くのミネラル類などの摂取量は、米・小麦粉・魚の缶詰などの購入食品への依存が高まるにつれ増加し、栄養状態の改善をもたらす傾向が強くみられた[15]

 ところで、生業活動に費やされる時間には性差がみられるものの、近代化の程度が低い段階では一日あたり二・四時間くらいであったのに対し、近代化の進行に伴う生業構造の変化によって延長する傾向にあった。ただし、活動時間とエネルギー消費量の関係は、それぞれの居住環境や生業パターンを強く反映し集団間で異なっていた。前述したように、ギデラではエネルギー消費量は近代化とともに減少傾向にあり、体重の増加を引き起こしていたことが明らかになった。一方、フリを対象としたエネルギー消費量に関する調査では、地方の町あるいは首都のポートモレスビーに居住する人々は農村部の人々に比べ、単位時間あたりのエネルギー消費量は少ないものの活動(労働)時間が延長するため、一日あたりの総エネルギー消費量には大差がなかった[16][挿図5]。


[挿図5]フリの男性がサツマイモの植えつけを行っている。彼らはサツマイモの生産性を高めるために直径三メートルもあるマウンドを作る。

 健康状態は栄養状態と重複する部分が多く、これらの状態が人々の適応を示す指標ともいえるし、死亡をはじめとする人口動態の特性に影響する変数ともいえる。私たちの調査では、フィールドでの生体計測・血圧測定・体力及び生理機能測定などとともに、毛髪・尿・血液試料を採取し実験室で分析する方法をとってきた。

 分析されたデータの量は膨大であるが、ギデラを例にとると、一九八〇年頃までは近代化の影響が比較的少ない内陸部の村落の住民では、高血圧傾向の者や肥満傾向の者が皆無に近かったものの、一九九〇年頃になると川沿い(及び海沿い)の村落の住民と同様に、高血圧や肥満傾向など、いわゆる成人病のリスクの高い者が多くみられるようになった。もっとも、このような成人病のリスクは、感染症や貧血などの低栄養に起因すると考えられる症状のリスクと逆相関していた[17]。また、ウイルス性のT細胞白血病やC型肝炎の陽性率は、近代化が進んだ村落で高い傾向がみられた[18]。このような現象は、集団間の比較においてより明瞭にあらわれる。ギデラに加え、オク、サモ・クボ[挿図6]、バロパの集団を比較すると、蛋白栄養の指標である尿中の尿素窒素の濃度、血圧を上昇させる因子と考えられるナトリウムの尿中の濃度に大きな違いがあった。近代化がもっとも遅れたオクともっとも進んでいるバロパを比較すると、後者は前者に対して尿素窒素で約四倍、ナトリウムで六・七倍も高かった[19][挿図7]。


[挿図6]オクの男の子たち。お腹がつきでて栄養状態が悪いことを示している。


[挿図7]四集団における尿中の尿素窒素濃度とナトリウム濃度クレアチニン比として表示

 これらの例を含めて考えると、人々の健康状態はミクロな環境と活動パターンの特性により同一集団内でも変動が大きいものの、近代化との関係は以下のように整理されよう。伝統的な生活を送っている間は、低栄養を中心とする健康リスクが高いのに対し、ギデラの町に近い川沿いの村落の住人、近代化が進んだバロパの人々、さらにはポートモレスビーへの移住者などに典型的にみられるように、近代化の進行は循環器系や糖・脂質代謝系の障害のリスクを急上昇させている[20]

 人口動態の顕著な変化は死亡率にみられた。それは、ギデラやコンビオでの長期にわたるデータから確かめられたと同時に[挿図8]、諸集団間の比較からも類推された。死亡率の低下にもっとも影響したのは、予防接種をはじめとする保健医療サービスの導入であろう。しかし、私たちが調査した多くの集団では、家族計画に基づく出産抑制がほとんど浸透していないため、死亡率の低下とそれによって引き起こされる平均余命の延長により、女性の再生産年齢における生存率が上昇し出生率の上昇をもたらす傾向が強くみられた。ギデラの場合、近代化の影響を受ける以前には人口増加率が〇・二パーセント程度であったが、一九七〇年代頃から急速に上昇し、一九八〇年代には三パーセントをこすにいたっている[21]。すなわち、先進国でみられた「多産多死」↓「多産少死」↓「少産少死」という人口転換のパターンが、パプアニューギニアの農村部では実現していないことになり、後述する地球環境問題との関連からも注意すべき状況にある。


[挿図8]男性が皮をむいているのはヤムイモで、サゴデンプンとならぶコンビオの主食である。焼畑で栽培されるが、季節性があるため収穫後はヤムハウスと呼ばれる小屋に貯蔵される。

 人口移動で注目されるのは、農村部から都市部への若年者を中心とする人口の流出である。ギデラ、オク、サモ・クボの転出者割合を比較すると、それぞれの集団内部で村落間差をもちながらも、三集団のそれぞれの平均値は近代化の程度を反映し、ギデラで一三パーセント、オクで七パーセント、サモ・クボで三パーセントと異なっていた[22]。さらに、農村‐都市移住に焦点をあてたコンビオの調査では、外部との接触がはじまった一九〇〇年代初期からの変化が解明され、パプアニューギニア国全体の都市化の進行に呼応し、都市移住者が増加しただけでなく、都市移住者(あるいは都市居住期間)における出生率が低いことも観察されている[23]

 最後に、首都ポートモレスビーへのフリ及びバロパの移住者の調査結果を要約すると、彼らの適応パターンには都市という環境による影響だけでなく、出身母村での生活パターンを反映している側面も強くみられた。すなわち、バロパ出身者は移住前に受けた教育年数が長いことなどにより、ポートモレスビーでもフォーマルセクターに属する職につき都市的な生活様式をもつのに対し、フリ出身者の多くはセツルメントと呼ばれる密集した区画に住み、インフォーマルセクターの仕事に従事していた[挿図9]。ただし、活動量の低下や摂取する食物がほとんど購入食品である点などでは共通性が高く、高血圧などの循環器系疾患のリスクが高い傾向がみられた[24]


[挿図9]フリのポートモレスビー移住者の多くは定職にめぐまれず、インフォーマルセクターの仕事に従事する。男性が売っているのはビンロウジュと呼ばれる木の実で、パプアニューギニア人に好まれる嗜好品である。



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地球環境問題と関連する研究

 現在の途上国住民の生存を考える場合、近代化の影響の延長上に地球環境問題との関連が重要な位置を占めはじめている。すなわち、森林(熱帯林)の減少、土壌の貧栄養化、生物種の減少、さらには地球温暖化などが、途上国の住民はもとより地球規模での人類の生存を脅かすと予測されているからである。私たちが行ってきた小集団での調査研究は、それぞれの地域が地球環境問題を引き起こす原点であり、その影響を受ける対象あるいは影響を緩和する方策を講じる際の対象もそれぞれの地域であることを意識してきた。地球環境問題を検討する際の枠組みでは、前述のような環境劣化が人間活動により引き起こされる側面だけが注目されてきたが、それぞれの地域に居住する住民の生活の質を保証・改善することも同時に考えなければならない。すなわち、それぞれの集団の生産と消費、さらには再生産が十分に維持されることにも配慮が必要となる。また、人口増加もそれ自体が地球環境問題に密接にかかわることも注目する必要がある。

 地球環境問題の基礎となる自然環境の各要素の把握は、私たちの調査研究でも重視されてきた。たとえばギデラの調査で行った、飲料水、食物、生体試料に含まれる元素の含有量の測定から、生体に取り込まれる必須元素の量は伝統的な食生活で比較的満たされている一方で、近代化の進行により水銀や鉛という汚染元素の濃度が増加していることが示唆された[25]。ただし、パプアニューギニアでも水銀汚染が特に危惧されているサモ・クボの居住地に近いマレー湖地域を対象に、魚類と周辺住民の毛髪・尿を分析した結果によると、人為的な汚染のない状況でも中毒症状を発現させるレベルに達することが明らかとなった[26]。一方、珊瑚礁の魚類を多く摂取しているバロパの人々の尿・血液中の水銀濃度は低く、自然環境がもつ特質も無視できないことが示された[挿図10]。


[挿図10]海にかこまれたバロパの人々は、小さなカヌーをつかって珊瑚礁で魚とりを行う。この写真はカヌーを操る子供たち。

 人類生態学の立場から地球環境問題に直接かかわる点として、農業活動の拡大などにより森林の減少や土壌の貧栄養化が引き起こされる可能性が観察された。このような現象は、人口密度が高いフリ、アサロ、バロパに顕著にみられている。すなわち、人口密度が一平方キロあたり五十人あるいは百人をこえると、開墾できるところは耕作地として利用され、十分な休耕期間をもつ焼畑農耕にかわって常畑化する傾向が顕著になるからである[27]

 人口増加とともに農業の形態及び土地利用のパターンを変化させること、さらには生活の近代化に伴う現金収入の必要性の増大などが、人々の生存に不可欠になりつつある状況を考えると、環境収容力(人口支持力)という概念は修正しながら用いなくてはならない[挿図11]。私たちが対象としてきた集団では、程度の差はあれ人口が増加しており、人々はさまざまな方法でこの状況に対処してきた。近代化以前には、前述したように、適応しにくい環境への移住という手段もとられた。しかし最近では、過剰となった人口を都市をはじめとする外部に流出させるという手段、換金作物栽培などにより広義の生産性を向上させ環境収容力を上昇させるという手段が一般的となり、それぞれの集団はこれらの手段を組み合わせながら対処してきたと考えられる。このような状況のなかで、環境の持続的利用を前提に人々の生活の質を向上させるには未解決の問題が多い。これからの数十年間を予測すると、人口密度の低い集団では伝統的な生業システムに加えて、換金作物の導入などの技術革新を小規模に行うことで対応できる可能性が高いものの、人口密度がすでに高い集団では技術革新と社会経済システムの大がかりな変革をしないかぎり対応が困難となろう[28]


[挿図11]町のマーケットでサツマイモを売るアサロの女性。マーケットは周辺の農民が現金収入を得る大切な場で、野菜やココヤシなど多くの品々が並べられる。




【註】

[1]大塚柳太郎編、一九九五年、『モンゴロイドの地球2−南太平洋との出会い』、東京大学出版会[本文へ戻る]

[2]Yoshida, M., Ohtsuka R., Nakazawa, M., Juji, T. and Tokunaga, K., 1995, HLA-DRB1 frequencies of Non-Austronesian-speaking Gidra in south New Guinea and their genetic affinities with Oceanian populations. American Journal of Physical Anthropology 96: 177-181./ Horai, S., Odani, S., Nakazawa, M. and Ohtsuka, R., 1996, The origin and dispersal of modern humans as viewed from mitochondrial DNA. Gann Monograph on Cancer Research, 44: 97-105.[本文へ戻る]

[3]大塚柳太郎・片山一道・印東道子編、一九九四年、『オセアニア1−島嶼に生きる』、東京大学出版会[本文へ戻る]

[4]Ohtsuka, R., 1983, Oriomo Papuans: Ecology of Sago-Eaters in Lowland Papua. Tokyo: University of Tokyo Press./ 鈴木継美、一九九一年、『パプアニューギニアの食生活』、中公新書。/ 大塚柳太郎、一九九六年、『熱帯林の世界2−トーテムのすむ森』、東京大学出版会[本文へ戻る]

[5]Ohtsuka, R. and Suzuki, T. eds., 1990, Population Ecology of Human Survival: Bioecological Studies of the Gidra in Papua New Guinea. Tokyo: University of Tokyo Press.[本文へ戻る]

[6]Ohtsuka, R., Inaoka, T., Umezaki, M., Nakada, N. and Abe, T. 1995, Long-term subsistence adaptation to the diversified Papua New Guinea environment. Global Environmental Change, 5: 347-353.[本文へ戻る]

[7]Ohtsuka, R., Kawabe, T., Inaoka, T., Akimichi, T. and Suzuki, T. 1985, Inter- and intra-population migration of the Gidra in lowland Papua. Human Biology, 57: 33-45.[本文へ戻る]

[8]Ohtsuka, R., 1987, The comparative ecology of inter-and intra-population migration in three populations in Papua New Guinea. Man and Culture in Oceania, 3: 207-219.[本文へ戻る]

[9]Ohtsuka, R., 1986, Low rate of population increase of the Gidra Papuans in the past: A genealogical-demographic analysis. American Journal of Physical Anthropology, 71: 13-23.[本文へ戻る]

[10]Nakazawa, M., Ohtsuka, R., Kawabe, T., Hongo, T., Suzuki, T., Inaoka, T. and Akimichi, T., 1994. Differential malaria prevalence among villages of the Gidra in lowland Papua New Guinea. Tropical and Geographical Medicine, 46: 350-354.[本文へ戻る]

[11]Ohtsuka, R., 1994, Genealogical-demographic analysis of the long-term adaptation of a human population: Methodological implications. Anthropological Science, 102: 49-57.[本文へ戻る]

[12]Ohtsuka, R., 1994, An ecological assessment of the low population density of taro monoculturalists in highland-fringe of Papua New Guinea. Man and Culture in Oceania, 20: 103-115./ Ohtsuka, R., 1994, Subsistence ecology and carrying capacity in two Papua New Guinea populations. Journal of Biosocial Science, 26: 395-407.[本文へ戻る]

[13]Inaoka, T., 1990, Energy expenditure of the Gidra in lowland Papua: Application of the heart rate method to the field. Man and Culture in Oceania, 6: 139-150.[本文へ戻る]

[14]Ohtsuka, R., Inaoka, T., Kawabe, T., Suzuki, T., Hongo, T. and Akimichi, T., 1985, Diversity and change of food consumption and nutrient intake among the Gidra in lowland Papua New Guinea. Ecology of Food and Nutrition, 16: 339-350.[本文へ戻る]

[15]Hongo, T., Suzuki, T., Ohtsuka, R., Kawabe, T., Inaoka, T. and Akimichi, T., 1989, Element intake of the Gidra in lowland Papua: Inter-village variation and the comparison with contemporary levels in developed coutries. Ecology of Food and Nutrition, 23: 293-309./ Yoshinaga, J., Suzuki, T., Ohtsuka, R., Kawabe, T., Hongo, T., Imai, H., Inaoka, T. and Akimichi, T., 1991, Dietary selenium intake of the Gidra, Papua New Guinea. Ecology of Food and Nutrition, 26: 27-36./ Ohtsuka, R., 1993, Changing food and nutrition of the Gidra in lowland Papua New Guinea. In: C.M. Hladik, A. Hladik, O.F. Linares, H. Pagezy, A. Semple, and M. Hadley Eds., Tropical Forests, People and Food: Biocultural Interactions and Application to Development, pp. 257-269. London: Parthenon.[本文へ戻る]

[16]Yamauchi, T., 1995, Energy expenditure of rural- and urban-dwelling Huli people in Papua New Guinea: Field investigation by heart rate monitoring. Master Thesis, School of International Health, University of Tokyo.[本文へ戻る]

[17]Inaoka, T., Suzuki, T., Ohtsuka, R., Kawabe, T., Akimichi, T., Takemori, K. and Sasaki, N., 1987. Salt consumption, body fatness and blood pressure of the Gidra in lowland Papua. Ecology of Food and Nutrition, 20: 55-66./Ohtsuka, R., Inaoka, T., Kawabe, T. and Suzuki, T., 1987. Grip strength and body composition of the Gidra Papuans in relation to ecological conditions. Journal of Anthropological Society of Nippon, 95: 457-467/ Hongo, T., Suzuki, T., Ohtsuka, R., Kawabe, T., Inaoka, T. and Akimichi, T., 1990, Hair element concentrations of the Gidra in lowland Papua: The comparison with dietary element intakes and water element concentrations. Ecology of Food and Nutrition, 24: 167-179./ Hongo, T., Ohtsuka, R., Nakazawa, M., Kawabe, T., Inaoka, T., Akimichi, T. and Suzuki, T., 1993, Serum mineral and trace element concentrations in the Gidra of lowland Papua New Guinea: Inter・village variation and comparison with the levels in developed countries. Ecology of Food and Nutrition, 29: 307-318.[本文へ戻る]

[18]Yamaguchi, K., Inaoka, T., Ohtsuka, R., Akimichi, T., Hongo, T., Kawabe, T., Nakazawa, M., Futatsuka, M. and Takatsuki, K., 1993, HTLV-1 and hepatitis B and C viruses in Western Province, Papua New Guinea: A serological survey. Japanese Journal of Cancer Research, 84: 715-719.[本文へ戻る]

[19]Inaoka, T., 1994, Evaluation of nutritional adaptation in the field: An application of filter paper method for urinalysis. Anthropological Science, 102: 39-47./ Inaoka, T., Ohtsuka, R., Kawabe, T., Hongo, T. and Suzuki, T., 1996, Emergence of degenerative diseases in Papua New Guinea islanders. Environmental Sciences, 4: 79-93.[本文へ戻る]

[20]Hongo, T., Ohtsuka, R., Inaoka, T., Kawabe, T., Akimichi, T., Kuchikura, Y., Suda, K., Tohyama, C. and Suzuki, T., 1994, Health status comparison by urinalysis (dipstick test) among four populations in Papua New Guinea. Asia-Pacific Journal of Public Health, 7: 165-172.[本文へ戻る]

[21]Ohtsuka, R., 1996, Long-term adaptation of the Gidra-speaking population of Papua New Guinea. In: R. Ellen and K. Fukui Eds., Redefining Nature: Ecology, Culture and Domestication. pp. 515-530. Oxford: Berg.[本文へ戻る]

[22]Ohtsuka, R., 1987, The comparative ecology of inter- and intra-population migration in three populations in Papua New Guinea. Man and Culture in Oceania, 3: 207-219.[本文へ戻る]

[23]Umezaki, M. and Ohtsuka, R., 1996, Microdemographic anlaysis for population structure from a closed to open system: A study in the Kombio, Papua New Guinea. Man and Culture in Oceania, 12: 19-30.[本文へ戻る]

[24]夏原和美、一九九六年、「パプアニューギニアの都市部居住者における循環器疾患のリスクファクター」、東京大学医学部卒業論文[本文へ戻る]

[25]Ohtsuka, R., Hongo, T., Kawabe, T., Suzuki, T., Inaoka, T., Akimichi, T. and Sasano, H., 1985, Mineral content of drinking water in lowland Papua. Environment International, 11: 505-508./ Suzuki, T., Watanabe, S., Hongo, T., Kawabe, T., Inaoka, T., Ohtsuka, R. and Akimichi, T., 1988. Mercury in scalp hair of Papuans in the Fly estuary, Papua New Guinea. Asia-Pacific Journal of Public Health, 2: 39-47.[本文へ戻る]

[26]Abe, T., Ohtsuka, R., Hongo, T., Suzuki, T., Tohyama, C., Nakano, A., Akagi, H. and Akimichi, T., 1995, High hair and urinary mercury levels of fish eaters in the nonpolluted environment of Papua New Guinea. Archives of Environmental Health, 50: 367-373.[本文へ戻る]

[27]Ohtsuka, R., Inaoka, T., Umezaki, M., Nakada, N. and Abe, T., 1995, Long-term subsistence adaptation to the diversified Papua New Guinea environment. Global Environmental Change, 5: 347-353./ Ataka, Y., 1996, Human ecological research of population dynamics and migration and their causes among Baluan Islanders, Papua New Guinea. Master Thesis, School of International Health, University of Tokyo.[本文へ戻る]

[28]Ohtsuka, R., 1996, Agricultural sustainability and food in Papua New Guinea. In J.I. Uitto and A. Ono Eds., Population, Land Management, and Environmental Change, pp. 46-54. Tokyo: The United Nations University./ Ohtsuka, R., 1995, Carrying capacity and sustainable food production: The facts and prospects from Papua New Guinea. Anthropological Science, 103: 311-320.[本文へ戻る]



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