トロン電子機器 HMI 研究会


電脳社会でのヒューマンインタフェース

トロンプロジェクトが想定する近未来の電脳社会では、トロン電脳住宅やトロン電脳ビ ル、そしてトロン電脳都市のように、数多くのコンピュータやそれによって制御されて いる電子機器が人間をとりまく。それらは互いにネットワークによって接続されて協調 動作しながら生活のあらゆる場面をサポートしていく。

トロンプロジェクトでは、このコンピュータ制御された各種電子機器が数多くのネット ワークによって接続されたシステム全体を指して「超機能分散システム」( HFDS : Highly Functionally Distributed System )と呼んでいる。

このように人間の生活の中に深く電子機器がかかわっている環境においては、「あらゆ る人」—子供からお年寄り、健康な人から身体に障害を持つ人まで— が電子機器を利 用することになることになる。つまり、現在よりも電子機器の利用者層が飛躍的に拡大 する。

そこで重要なのは、「だれも」が電子機器の高機能なサービスを引き出すことができる、 優れた操作方法・操作環境を提供することである。こうした操作方法や操作環境をトロ ン作法と呼んでいる。優れたヒューマンインタフェースの作成においてはトロンプロジェ クトでは、( 1 )操作作法の統一、( 2 )障害者への配慮、( 3 )国際性への対応、 ( 4 )安全性への配慮を重要視している。

操作方法の統一

すでに近年の電子技術の発達により、家電製品・電子機器製品はますます高機能化し差 別化が図られているが、このような高機能化によって—最近の多機能電話に見られるよ うに—操作はますます複雑化していき、利用者が十分に機能を使いこなせない場合が多 くなっている。つまり作り手から見れば、意図通りの高い付加価値を利用者に提供でき なくなっているといえる。

また、これまでは、単にある電子機器が独立で使いやすいかどうか、といった観点で議 論されることが多かった。しかし、 HFDS の生活の中では、ほかの機器と同じヒュー マンインタフェースで操作できること、つまり標準化が重要になる。これによって、は じめて使う機器や機能であっても類推によって操作が可能となり、一度覚えた操作は、 ほかの機器を使う時にも生かせることになる。このように、統一性や一貫性をもったヒュ ーマンインタフェースを提供することによってはじめて、電子機器の高付加価値が生か せることになる。

障害者への配慮

すでに述べたように、電脳社会においては、「あらゆる人」が電子機器を使用できる必 要がある。現在の電子機器のヒューマンインタフェースは、グラフィカルなインタフェ ースによって、盲人が手探りで電子機器が操作できなくなることがある。これは機器の 設計段階において、視覚障害者のことをまったく考慮していなかったために起こる問題 である。

したがって、電脳社会の電子機器のヒューマンインタフェースは、あらかじめさまざま な障害のことを考慮して設計されなければならない。そして電子機器に組み込まれたコ ンピュータの機能を最大限に利用して、障害者の使用を積極的にサポートしていくこと を目指している。

トロンプロジェクトでは、障害者をサポートするためのヒューマンインタフェースをイ ネーブルウェアと呼んでいる。

国際性への対応

今後、ますます異なる国の間で人や文化の交流が活発になることは確実である。世界各 国の文化によって、さまざまな表示 —たとえば、数字、通貨、時刻、カレンダー、色、 の意味— などが異なる。電子機器を設計する場合、このような文化の違いを尊重する ことが必要である。

そこで、ヒューマンインタフェースに関連の深い、さまざまな差異を取り上げ、それら の項目に対して、デザイナーが十分に注意を払い国際的に通用する電子機器の設計ガイ ドラインを定めている。

安全性への配慮

電脳社会では、電子機器が生活のあらゆる部分をサポートするため、その社会的影響力 も大きい。人間の誤操作や、機器の誤動作によって大変危険な事態を招く可能性がある。 そのため、 HFDS のヒューマンインタフェースの設計には、このような危機を防止す るための手段を講じなければならない。


トロンヒューマンインタフェース仕様

前提とする技術水準

トロン作法は、原則的には、 HFDS 環境における技術水準や利用環境を前提とするも のである。しかし、それまでの過渡的な状態も認め、その両者でできるだけ整合性が保 たれるように努力している。したがって、現在の技術水準を前提としたトロン作法とい うものも存在し、現在の現実的な電子機器製品の設計において適用できるものである。

トロン作法構築のためのアプローチ

私たちは、まず最初に現在使われているヒューマンインタフェース手法の系統的な分類・ 整理を行うことから始めた。こうした作業により、一度ヒューマンインタフェースを最 小の基本要素に分解し、その後、再度トップダウンにそれらの基本要素を組み上げ、ト ロン作法を構築する手法を取っている。

このような分類・整理は、今後多くの人によりヒューマンインタフェースが議論される ときに、共通の基盤を提供する点でも意義深い。

GUI と SUI

トロン作法は、ほかの多くの試みに見られるように、電子ディスプレイ上の GUI ( Graphical User Interface )だけを対象とするのではない。機器の操作盤の上のボタ ン、レバー、ダイアルといった物理的なパーツ(部品)を使ったヒューマンインタフェ ースも対象としている。後者を SUI ( Solid User Interface )と呼んでいる。

これにより、 GUI と SUI との間に、類推性/交換性を確保することを狙っている。 GUI と SUI は、入力・表示装置の種類によって拘束条件が異なるだけであり、その本 質に違いがあるわけではない。 GUI と SUI を操作頻度、緊急性、利用環境といったさ まざまな観点の特性で違和感なく組み合せ、応用に対して最適なヒューマンインタフェ ースを構成することが可能になる。

一般に GUI では、必要なものだけを自由に表示できるため、利用者に対してわかりや すいヒューマンインタフェースを提供することが容易になる。一方、 SUI では、入出 力装置の拘束条件がきびしく、複雑な設定ほど、操作がわかりにくくなる傾向にある。 たとえば、複数のパーツの間に相互関係が存在するヒューマンインタフェースの場合は、 GUI によって実現するのは比較的容易である。一方、 SUI では表示装置の拘束条件が 多く、うまく表現することが難しくなる。「このスイッチが ON のときだけ、このスイッ チを使える」といったように、パーツの間に主従関係がともなうことの表現を SUI で 行うのは難しい。

こうした問題に対して、私たちは、 GUI からの「落とし込み」により SUI の仕様を検 討することを行っている。すなわち、まず、設計したいものを GUI 上で実現をし、パ ーツの間の依存関係を洗い出す。そして、依存関係をどのように SUI へマッピングす るかを決定していく。

HFDS の環境では、電子機器の利用者は、 BTRON 環境上の GUI によるヒューマンイ ンタフェースの操作も慣れていることを期待できる。したがって、一定の規則にしたがっ て GUI から SUI への落とし込みが行われていれば、 SUI への無理のない移行が可能 となる。

手順をともなう操作の分析と標準化

個々のパーツそのものの操作方法はわかっても、それらが複数個組み合せられ、手順 (シーケンス)をともなった操作が必要となるヒューマンインタフェースは利用者を戸 惑わせることになる原因の 1 つである。特に SUI においては、 GUI に比べ手順をとも なった操作を利用者にわかりやすく提示・表現することが難しい。

たとえば、電子レンジなどの操作は、食品の種類を指定してからスタートボタンを押す といったように、操作に手順が必要である。さらに、システムコンポのリモコン装置な どは、数多くのボタン類が無秩序に並び、利用者に余計な負担を与えている場合が多い。

そこで私たちは、操作手順とそれによって生じる機器の状態遷移を分類を行ったうえで、 標準化を提案している。特に、時刻設定/タイマー設定に関しては、より精密な分析を 行い、機能/標準値の設定のされ方や機器の状態遷移の仕方を規定している。

色、点滅の標準化

ヒューマンインタフェースの設計において、色や点滅の使用のガイドラインを決めるこ とは重要である。特に、利用者や機器が危険な状況に陥ったときに、その状況を正しく 利用者が認知できる必要がある。私たちは、このような安全性にかかわる点においては、 きちんとした規定を行うことが重要だと考えている。

色の使用基準(意味づけ)に関しては、 ISO をはじめ多くの類似の規格の試みがある が、実際の機器設計の現場などでは、役に立たないことが多い。たとえば、現在多用さ れている 2 色発光の LED では、機能的には「赤」「緑」とその両方を点灯した時に得 られる「橙」の 3 つの色が得られる。そこでこの 3 つの色を具体的な機器の設計にお いてどのように使用するかのガイドラインもトロン作法の中に含まれている。

また、トロン作法では、点滅の用途についてもその用途を列挙している。特に、パーツ の状態が時間的に変化するような性質をタイムアウト属性と呼び、ランプの点滅で表現 するよう仕様を定めていることなどは、類似の標準化の試みには見られないものであろ う(図 1 )。

図 1  タイムアウト属性を持ったアップダウンセレクタ

パーツレイアウトのガイドライン

複数のパーツをどのようにレイアウトし、利用者に提示するかは、デザイナーの腕の見 せどころでもある。これに関しても、これまでも数多くのガイドラインが提案されてい るが、実際の設計の現場では役に立たないこともある。特に SUI では、拘束条件が厳 しく、意図通りにレイアウトできないことが多い。トロン作法では、図 2 や図 3 に見 られるようなパーツレイアウトのガイドラインを提唱している。いずれもトロン作法の レイアウト原則に基づいており、各種の応用に適用できる。

図 2  スイッチとガスコンロとの対応づけの例

図 3  壁スイッチと電灯との対応づけの例

電脳生活ヒューマンインタフェース仕様書

トロン電子機器 HMI 研究会では、 1991 年 10 月より「トロン電脳生活ヒューマンイ ンタフェース仕様書」の作成に着手し、早くも 1993 年 5 月に第 2 版を発行した。あ わせて、英文の仕様書も発行された。同仕様書の目的は、電子機器(家電製品、住宅設 備機器、オーディオ機器、事務機器、車載電子機器など)のヒューマンインタフェース を設計したいデザイナーや技術者が、これを読んで目的の機能を果たすヒューマンイン タフェースを迷わず構築できることにある。これによりできあがったヒューマンインタ フェースは、トロン作法に基づくものになり、利用者が戸惑うことなく操作できるよう になる。

ここまで広範囲な対象を統一的な設計方針でカバーするものは世界にも類をみず、非常 に意欲的な仕様書になっている。

注意しなければならないのは、同仕様書で規定するものはパーツの操作方法/操作手順 や基本的なフィードバックであり、ヒューマンインタフェースの意匠(デザイン)を規 定しているわけではないという点である。同仕様書では、利用者が戸惑うことなく操作 できるヒューマンインタフェースを構築するための規則を定めながらも、デザイナーが 個性を発揮できる余地を残すための工夫が行われている。

したがって、同仕様書は、厳密に仕様を定めるものから、「このように設計した方が良 い」といった指針(ガイドライン)まで、さまざまなレベルの記述がある。仕様決定に おいては、この 2 つのあいだでどのようにうまくバランスを取るかに腐心した。同仕 様書では、 ISO 規格の中で、有用であるものはそれを引用している。また、これまで の数多くの研究結果の中でも、特にトロンプロジェクトが重要だと考えているものにつ いては、参考文献としてあげる方針をとっている。

トロンプロジェクトでは、同仕様書に従わない電子機器を完全に排除してしまおうと、 考えているわけではない。しかし、利用者やデザイナーの中で、トロン作法に準拠した 電子機器が使いやすいという認識が広まれば、トロン作法準拠の電子機器がしだいに増 えていき、そうでもないものが自然淘汰されると期待している。


電脳デザインコンペティション

私たちは、これまで「電脳デザインコンペティション」を開催してきた。家電製品や住 宅設備機器のヒューマンインタフェースデザインを競い合うコンペティションである。 アートデザインだけでなく、機器の操作性までもを審査対象にしたコンペティションは 珍しく、大きな成果を上げることができた。

同コンペティションの目的は、大きく 3 つある。第 1 は、トロンヒューマンマシンイ ンタフェース仕様を普及させること。第 2 は、工業デザインにおけるヒューマンイン タフェースの重要性、特に統一的な操作仕様の重要性を、参加するデザイナーを通じて 社会全体に啓蒙すること。そして第 3 は、出展作品を評価、検証することを通して、 トロンヒューマンインタフェース仕様自体の評価を行い、仕様にフィードバックをかけ ることである。すでに現在進められている仕様改訂作業にその成果が盛り込まれつつあ る。


今後の活動

本委員会では、引き続き仕様書の改訂作業を進めている。現在の仕様書はヒューマンイ ンタフェース設計者を対象に書かれている。そこで全体を整理し直し、エンドユーザが 身につけておきたい知識と、設計者が習得すべき知識を分けて記述する作業を進めてい る。また、カバーする範囲を「マルチメディア(音、ジェスチャ)」や「コンピュータ アプリケーション」に広げるための作業が進行中である。さらに、同仕様書の内容を電 子化し、 BTRON 仕様パソコン上でパーツデータベースを検索したり、実際のヒューマ ンインタフェースの動作を見せたりすることを検討している。

もう一つの大きな活動の柱は、 BTRON 、 ITRON の専門委員会と協同で進めている“ ITRON-GUI ”のプロジェクトである。“ ITRON-GUI ”は、 ITRON に簡単な GUI 機 能を持たせたものであり、最近のカラーコピーマシンや VTR に見られるような複雑な ヒューマンインタフェースの用途を目的としている。

トロン電脳生活 ヒューマンインタフェース標準ハンドブック


おわりに

本稿では、 HMI サブプロジェクトのこれまで成果、そして今後の活動予定について報 告した。

人間と機械との接点であるヒューマンインタフェースは、トロンの各サブプロジェクト の技術が集約される部分でもある。また、ヒューマンインタフェース仕様の策定には、 人間という複雑な系を対象としているだけ、長期にわたり広範囲な基礎研究が必要にな る。今後とも、他のサブプロジェクトとの協力関係も強化し、精力的に活動を進めてい く必要がある。