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ベトナム バッコック村


ベトナム バッコック村

バッコック村はベトナム北部紅河デルタに位置する。バッコック (Bach Coc) (百穀) とは15世紀に成立してから20世紀半ばまで継続した 歴史的伝統的名称であり、 現在はナムハ (Nam Ha) 省ヴーバン (Vu Ban) 県タィンロイ (Thanh Loi) 社 コックタィン (Coc Thanh) 合作社の一部を形成している旧村である。 コックタィン合作社は8個のソム (Xom) という村落単位に分かれており、 この内ソムA、B、C、アップフー (Ap Phu)、 チャイノイ (Trai Noi) が旧バッコック村に属する。

[バッコック村の地図の画像]
バッコック村の地図

紅河デルタの稲作地帯は1平方km当たり千人程度という 世界的に極めて高い農村人口密度を維持している。 この例にもれず、コックタィン合作社の面積は3.8461平方km、 1992年当時の人口は4017人であるから人口密度は1平方km当たり 1044人という過密さである。 村は省都ナムディン (Nam Dinh) から7km、 紅河分流であるナムディン川と国道10号線、 南北統一鉄道に挟まれ必ずしも遠隔地ではないのだが、 ハノイやホチミン市を潤すドイモイ (刷新) 政策の影響は わずかに家の新築とバイクの増加に窺えるに過ぎない。

20世紀後半に至るまで、村では ha当たり1.3t程度の稲作が 主要な産業であった。 しかし、この稲作は我々が想像する伝統的稲作とは異なっている。 この地域では雨季には水田が水没し稲作は冬に行われてきた。 村で二期作が可能になるのはポンプによる排水網が完成した 1960年代後半からである。

ベトナム戦争期に建設された近代的水利体系、 高収量品種の採用等によって稲作の生産性は大きく上昇し、 19世紀初めから1990年代にかけて3〜3.5倍に上昇した人口を支えて来た。 しかし1年1ha当たり10tという現在の高い稲作生産性を持ってしても 人口過密は限界に来ている。 集約労働にも限界があり、肥料の過剰投入による土地の疲労も問題である。 この結果青年層を中心とする移出が多く、未婚女性が村に残されるのが バッコック村の社会的移動における特徴となって来ている。

台風、豪雨、低温等によって頻発する不作時には食料自給が困難となり、 ほとんど唯一の実質的現金収入源である野菜類を売って 米に変えなければならない。 バッコックは我々が調査に入った94年夏から96年までに すでに2度の天災に見舞われている。 94年冬作には暴風、96年夏作には暴風雨に繰り返し襲われ 所によっては3回も田植えをやり直さなければならなかったのである。 こうした天災時には貧困層は米を買うことすらできず、 近所から借りたりもらったりしなければならない。 免滅税の措置はあるものの食べるに事欠く状態が起こる。

しかし、こうした厳しい生態環境は部外者の目には映りにくい。 我々の目に映る村の印象は常に隈なく利用しつくされた土地、 雑草の一本もない水田、水牛が水浴びする池、森の様な屋敷地や生け垣、 そしておしなべて落ち着いた村人の表情である。笑顔も明るい。

長い歴史から来る自負、90%近い村内婚から来る共同体意識が 自然と拮抗しているのであろうか。 時に恥じながら語られる生活状況は貧困ではあっても悲惨さはない。 相互扶助の伝統や合作社の援助活動により非人間的な貧困からは免れている。 村入は概して勤勉かつ実直であり、 こつこつとためたり貸し借りしあった資金で家を直し、子供の学費にする。 庭は大抵きれいに掃き清められているし、衣服も粗末ではあっても清潔だ。

村人はまた誇り高い。 彼らの多くは1950年代の対フランス独立戦争やその後のベトナム戦争、 中越戦争等で家族を失っており、 戦争の記憶を語りその記念品を飾る老人も多い。 村の男たちは40年間以上も村で、ベトナム各地で、 時にはラオスやカンボジアで日本人、フランス人、アメリカ人、中国人、 そしてベトナム人同士と戦ってきた。

1940年代、日本軍進駐のつらい思い出が語られることもある。 1945年にベトナム中北部を襲った飢饉はこの村にも大きな被害をもたらした。 50年代初めには村は戦場となり多くの家が焼かれ、 70年代初めには米軍の爆弾が降り注いだ。 こうしたなかで貧しいながらも勉強に励んだ昔を語る伝統的知識人もいた。 また革命に捧げた人生を語る老革命家もいた。 兄弟と息子のほとんどを戦争で失った老夫婦もいた。

中年層は1950年代から80年代における農業集団化を支えた年代である。 この時代に形成された合作社は経済改革政策に伴って かつての様な農業生産経営体、社会保障機構としての機能をほとんど失い、 今後の役割を模索している。 戦争で体や心に傷を追った人々も目につかない訳ではない。 彼らへの保障は充分とは言いがたい。

若い世代は現在と取り組んでいる。 煉瓦を少しづつ買いたして家を新築し、子供の教育に希望をかける。 バイクやビデオといった消費物資も少しづつ増えている。 植民地統治、 戦争と革命の現代を経てきた村は次第に現代の消費生活に親しみつつある。 一方で貧富の格差も忍び寄って来ている。 もはや貧困を救済する公的な組織は存在しない。

村の歴史はまだ終わっていない。 現在の子供たちはこれから何を目撃して行くことになるのだろうか。

この写真は我々が94年から96年の夏にかけて見ることのできた、 村のごく一部の表情に過ぎない。

(野口 博史)


バッコック村の表情

ベトナム紅河デルタ南部に位置するバッコック村の記録。 1993年から日本とベトナム共同の総合調査が行われてきている。 野口氏は1994年から96年にかけて各3週間程度訪問し、 村落景観や村民の生活を記録した。

(撮影場所:ベトナム・バッコック村、撮影時期:1994〜1996年、撮影:野口 博史)

村落景観
動植物
村人

(野口 博史)


[編者注] この展示内容に関する最新情報や関連資料等は、随時、 東京大学総合研究博物館のインターネットサーバ上の 以下のアドレスで公開、提供していきます。

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