『東洋一』を誇った盛岡の川口荷札では、大正期に年間四億八千万の荷札が輸 入石版印刷機で刷られていた。日産十三万枚の荷札が生産され、鉄道便などを 介して木炭や炭俵とともに全国へ運ばれていったのである。荷札はまたとも呼 ばれていた。電報で『エ』と略称される『駅』と、駅名を記した『札』の『フ』 を語源とするようで、江戸時代武家階級の荷物にくくりつけられた『絵符』と 音韻を同じくする。荷札は文字流通の最大のメディアであり、ここには「記号 として消費される文字」が見られる。
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