慶長12年(1607)年駿府に隠居した徳川家康が、 林道春(羅山)と金地院崇伝に命じて造らせた金属活字。 総数は約11万本強と推定される。 これらは国内で最初に造られた銅活字である。 木製の種字から父型をとり、銅を流し込んで鋳造された。 鋳造は慶長11(1606)年から元和2(1616)年にかけ、 3度にわたってなされた。鋳造技術は貨幣鋳造のそれと共通している。 家康没後火災に遭って焼けたが、一部が紀州徳川家の南葵文庫に伝えられ、 昭和15年に凸版印刷株式会社の所有するところとなった。 現在、銅大字1箱866個、銅小字17箱31300個、 木活字5箱5813個、銅罫線88個、銅輪郭18個、摺板2面が保存されている。