遼の太祖は、漢文化に対する民族的自覚の上から、 自国の文字を作ることを考えた。 「遼史」本紀によると920年にまず大字を作り、 ついで、その弟がウィグル人からその言語文字を集得して、 924〜925年頃に小字を作ったという。 これが契丹文字の起こりだった。 この契丹文字の解読の研究は行われてはいるが、 未だ完全な解読には成功していない。
展示品名 | 道宗皇帝哀冊 (契丹文) |
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大きさ | 1550×1800mm |
所蔵 | 東京大学東洋文化研究所 |
上の画像は、道宗皇帝の哀冊の文章で、契丹文と漢文とで 全く同様の内容が書かれていると思われる拓である。
展示品名 | 道宗皇帝哀冊 (漢文) |
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大きさ | 1550×1800mm |
所蔵 | 東京大学東洋文化研究所 |
契丹文字とは契丹語 (死語) を表記した遼王朝の文字である。 表意文字である契丹大字と、 表意字形と表音字形を混用する契丹小字がある。 大字は920年前の創案であり、小字は924年か925年の創作と推定されている。 小字の解読は比較的進んだものの、 なお音価の不明な字形が多く全体は依然として未解読のままである。 上の画像に示された拓本は墓誌の一種で、 遼の第8代皇帝であった道宗のもの (1101年) である。 契丹小字と漢字で同じ内容が記されている。 |
その他にも、本学東洋文化研究所には、 道宗皇帝篆蓋の漢契両文の対応したもの、 宣い皇后哀冊の漢契両文の対応したものなど、 漢文と契丹文字と対をなす資料が複数存在する。
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