ポール・クローデルが、東京で1926年6月から1927年1月にかけて編纂し、 今日『百扇帖』の名で知られているこの詩集は、以来、 いくつかの異なった形で世に送り出されてきた。 しかし、現在流布している版からは、 その興味深い内容をなかなか窺い知ることができない。
『四風帖』と題された初版において、 詩集は日本の四季を主題とする4つの扇を入れた一つの包みから成っていた。 それぞれの扇には、クローデルの手になる毛筆の一句と、画家、 富田渓仙による絵が寄せられており、 さらにクローデルの文章の日本語訳も添えられていた。
『雉橋集』と題して1926年に発表された第二版が、 帰国の前にクローデルが日本で公表に立ち会うことができたものとしては 最後の版にあたる。 詩人は当初 『雉子橋の館』 という題名にするつもりだったらしい。 「[雉子橋とは]フランス大使館が占める東京の或る一角の名である」と、 ある注の中で彼自身が解説を加えている (1) 。 この版は、旧版をはるかに凌ぐ内容を誇る。 36の紙扇 (左端から右端まで横長55センチ、斜めの縁で測って縦長21センチ) をひとまとめにして青い布張りの帙 (64×38cm) におさめ、 帙を象牙のこはぜで閉じるという体裁になっているのだ。 三十六扇のうち四扇は『四風帖』からそのまま引き継がれ、 やはり短い文とそれに対応する挿絵を扇面に組み合わせている。 クローデルがこれに16の新しい文を別個に加え、 富田渓仙も、同様に16の絵をそれぞれ独立した形で加えた。 この作品は240部刷られたが、 そのうち40部は豪華版で絵がすべて多色になっているもの、 他の200部は四枚の絵だけが多色刷り、残りは黒褐色で刷られたものである。 ここに紹介する東京大学所蔵の一対は、その後者の版の一つにほかならない。
第三の版は、1927年、クローデルが日本を去った後に出版された。 これは、右から左へと見開いてゆく屏風のように折り畳まれた 三葉の紙 (折り本) を一つの帙におさめたものである。 クローデルによる172の手書きの詩句と、 有島生馬による毛筆の イデオグラム 表意文字を配したこの版にいたって、 初めて『百扇帖』と題されたわけである。
1942年以降の続版は、クローデルの手書きの詩句を活字に組み直した形で、 この最後の版を踏襲してゆくことになる。 こうして、今日では1927年以前の版を見ることは至極困難であり、 まさに稀覯本となってしまった原作品を所有する 恵まれた人々だけの特権となっている。 ここに、より多くの人々が第二版『雉橋集』を目にする機会を作りたい と願う所以である。
中国、ヨーロッパ、ブラジルを経て、クローデルは日本大使に任命される。 彼は1921年11月に来日し、1927年2月に日本を離れている。 すなわち、この詩集を編んだ時、 彼の日本滞在は既に終りに近づいていたのであり、 われわれは当然、詩集の中に、6年以上の年月を過ごしてきた国に対する 「詩人大使」クローデルの賛辞を読み取ることができる。 日本人芸術家との合作という形をとったこと、 書物の物質性を極めて重視したこと、扇、手書きの筆致、帙などを 採用したこと、そしてさらに、テクストそのものの中で、 日本の生活や芸術を喚起させるような言葉を繰り返し用いていること。 すべてそうしたことは、 詩集の熟成にあずかった宇宙がいかなるものであったかを物語っている。 しかし賞賛は屈服を意味しない。良い意味での競合心、 「東洋の書のしきたりを目の当たりにした詩人クローデルが かくも率直に表明している (2) 」 という競合心に誤解の余地はないだろう。 クローデルの野心は、日本の詩を真似ることでもなければ、 日本の詩をフランス語に適応させたり、 フランス語に移しかえたりすることでもなかった。 「つつましやかな書物ではあるが、それを網のように包み込んでいる 詩人の一貫した思索と経験に思いをいたすならば、 それを単なるマージナルな小作品とみなすことなど 到底不可能であることがわかる。 この書物を、一フランス大使が任地東京で過ごした日々といった 偶発的なコンテキストからいったん切り離して位置づけ直してみるとよい。 そして、この作品に顕著な形式上の実験、テーマの多様性といった 要素のなかにも、詩人がいたるところで表明し続けた探究の姿勢が、 やはり変わらぬ重々しさをもってこめられていることに気づきさえすればよい。 そうすれば、この優美で空想的な日本趣味が、 口当たりの良い異国趣味の移植などとは次元を異にした、 より野心的な計画に応えるものであることがわかるだろう (3) 。」
クローデルは『百扇帖』によって、形而下のオブジェであると同時に 「形而上の装置 (4) 」としてある、 そのような書物を作り出そうとした。 形而下のオブジェ —— 言葉は、そこでみずからの支持体や受容の条件から 不可分の状態に置かれる —— であると同時に、 形而上の装置としての書物 —— なぜなら、 目に見えるものはあくまで目に見えないものの徴 (シーニュ) にすぎないのだから。 『百扇帖』の制作は、クローデルによる書物をめぐる思索 (主に『書物の哲学』のなかにまとめられている) と時期を同じくしている。 詩人が、自作品のものとしての完成度にあれほどこだわったのも、 ひとえに、異なる要素を互いに不可分なものとして組み合わせながら 一個の完結した書物を構築したいという関心の表われなのである。
第一の要素、それは筆致である。 毛筆による、肉感のある、親しみのこめられた筆致。 それは読む者に解読の労を課しつつ、フランス語の筆致と表意文字体系との つながりを想起させる。 「筆致は [...] 重要な役割を果たす。フランス語でも中国語でも、 文字の外的な形は観念の表出と無関係ではないのだ。」と、クローデルは 未発表文書とともに保存されていたあるテクストのなかで述べている (5) 。 第二版においては、各詩句が、1927年の第三版に見られるように 実際の表意文字と見開きの対照関係にはおかれていない。 それでも、それぞれの詩句が、その形自体で意味をなす線を描いて われわれの目に飛び込んでくる。 場所によって厚みを帯びたり、細くなったりする文字の線。 「扇、いまにも風のそよぎをおこしてくれそうな、この翼 (6) 」 をスペースとして配置された言葉の集まり。 そしてさらに目を打つのが、予想外の場所での単語の切断である。 すべてこうしたことを通じて、テクストの読解が、 いつしか精神と言葉の冒険へと質を転じているのだ。 「たとえば、タイポグラフィーのちょっとした遊びのつもりで [...] 音節の区切りでないところで言葉を切るとしよう。 すると言葉に包まれていた意味の出血のようなものが起こるのだ (7) 。」 この「タイポグラフィーのオシリス (8) 」を繋ぎ直し、 「それまでは読みすすめるだけであったものを、目で見、思考する」 のは読者の役割というわけである。 視線と言葉は、もはや切り離されてはいない。 つまり目に触れる言葉の外容こそが、「それを口にする精神の緊張 (9) 」を造り出すのである。
第二の要素は絵である。 富田渓仙の挿絵は、単独のものであれ、 テクストと同じ扇に描かれているものであれ、それ独自の様式を保っている。 おもに地蔵や風景を水墨で描き出したものだ。 この挿絵が、図案上あるいは主題上の要素を繰り返し取り上げることによって 全体を貫く統一性を醸し出している。 ただし、クローデルの詩的世界と富田渓仙の絵画的世界が 単に並置させられているわけではない。 二つの世界は、いわば互いに絡み合い、語り合うのだ。 挿絵の方が、クローデルのテクストの中のある言葉、 たとえば地蔵、月、靄といったものを引き取って描き出すかと思えば、 時に独自の手段を用いて、黒と白、空と密の関係について 絵画的解釈を提案することもある。 詩人は詩人で、また、 これらの関係について思考をめぐらせてゆくというわけなのだ。
それゆえ、筆致と声と挿絵とは、 互いに互いの言い直しであるような印象を与えない。 それらは部分的にしか重なり合わないし、互いの関係はむしろ、 複数のリズムが揺れ動きながら、 複雑に積み上げられてゆくようなものと見なされるべきである。 複数のリズムとは、すなわち、「人の身振りのような、 有機的な毛筆のリズム、空間の形成という形のリズム、 テクストの分散と言葉の解体によって生じる語りのリズム、そしてまた、 モチーフの反復に見られる、知性それ自身のリズム… (10) 」である。
こうしてみれば、読者に委ねられた役割は明らかであろう。 読者の方でこそ、意味するものと意味されたもの、 テクストとイマージュを結び合わせねばならない。 読者の方でこそ、文章と絵の交互の出現、文章と絵の配置、 そして扇が配列されるべき、 あるいは配列され得る順番に意味を与えなければならない。 まさに読者が、 この『雉橋集』という一つのオブジェから一冊の書物を成立させるのである。
(1) ポール・クローデル、『詩作品集』、プレイヤード叢書、1967年、p.1149
(2) ミシェル・トリュフェ、『序文』 (出典は本文中に掲載) 、p.19
(3) 同、p.16
(4) 同、p.19
(5) 同、p.144
(6) ポール・クローデル、『百扇帖』、1942年版のための序文のなかの言葉。『詩作品集』プレイヤード叢書、1967年、p.699
(7) ポール・クローデル、『散文作品集』、プレイヤード叢書、1965年、p.6
(8) 同
(9) ミシェル・トリュフェ、既出書、p.38
(10) 同、p.39
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