赤門内右側に位置する煉瓦倉庫は、その建設が大正前期に遡る学内最古級の建築のひとつである。明治44(1911)年旧東京医学校本館(明治9年竣工)が赤門の近くに移転し、当時の史料編纂掛がそこへ移転したのを機に、大正5(1916)年2月に建設された耐火書庫で、現在もなお史料編纂所の書庫として用いられている。附属図書館、文学部本館、法学部教室、法文学部教室、八角講堂など、学内の3分の2に相当する施設が大正12年の関東大震災で灰燼に帰したことを考えるなら、旧状をかなり良好に留めているこの古建築は、それ自体歴史的な価値を有する文化財であると言うことができる。 鉄骨煉瓦造3階建の建物は貴重図書を保存するための耐火書庫として建てられたこともあり、大震災の揺れにも、また長いあいだの風雪にも耐え抜いてきたが、しかし、建設から80年以上の歳月を経るなかで各部に老朽化が目立っており、ために貴重書の保存施設としての今日的なスタンダードを満たし得なくなっている。そこでわれわれは、120周年記念事業のひとつとして、建築物を今日的なニーズに応え得る施設として再生させるというプロジェクトで、この倉庫建築の歴史的価値の再評価を試みることとした。 われわれの提案は、この倉庫建築を大学史関連史料の恒常的な展示施設として再生させるというプロジェクトである。学内には大学の歴史的な歩みすなわち大学史に関する史料が日々蓄積されている。そのため、大学史史料の組織的な収集や保存を行う機関が必要であり、本学では創立100周年事業の一環として大学史史料室が設けられた。しかしながら、大学史史料は保存すると同時に、学内関係者はもとより、一般社会に向けても広く公開すべき質のものである。とりわけ公的な教育機関の場合には、それらを常時公開しておける専用施設が必要である。欧米諸国の主だった大学に設置されている「ユニヴァーシティ・アーカイヴ」の展示公開施設がこれに相当する。 建坪100平方メートルで3階層の建物は膨大な大学史関連資料の保管庫としては充分と言えないが、厳選された貴重史料の公開には最適である。幸いなことに、2階部分には造り付けの鉄骨骨組みに欅板張りの書架が、3階部分には昭和初期の鋼鉄製の書架がそのまま残されており、これらに透明アクリルのカバーを掛けることでもって、それらをそのまま展示ケースに変えることができる。照明のシステムについては、1階部分を遮蔽板による間接照明、2階部分を光ファイバーによる個別照明、3階部分をスポットによる直接照明の3種類に使い分け、変化を持たせることとする。1階の小部屋は事務室として利用されることになり、施設全体の管理をここで行うことになる。(西野) |
10-1a |
10-1b 10-1a,b 煉瓦倉庫展示素案 |
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10-2 10-2 煉瓦倉庫雛形(20分の1) |
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10-3 10-3 煉瓦倉庫雛形(100分の1) |
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